奇々怪々
だれよりも先に、蔵の網戸に飛びついていったのは、明智探偵でした。そして網戸に両手をかけてひらこうとした時です。
パチャンという、はげしい音がしたかと思うと、蔵の中がまっ暗になってしまいました。魔人が電球をたたきわったらしいのです。
廊下には電灯がついていますが、奥深い蔵の中まで光がとどかず、魔人と手塚さんとが、何をしているのか、少しも見えません。
明智探偵はポケットから、用意の懐中電灯を取りだし、それをつけて、網戸をガラッと引きあけ、いきなり中へ飛びこんで行きました。中村係長もそのあとにつづきます。
しかし、懐中電灯の細い光では、思うように見ることができません。どこかのすみで、魔人と手塚さんとが、とっくみあっているような物音がしているのですが、なかなかその場所へ光があたらないのです。
そのうち、金庫の横のへんで、ドタリと人の倒れる音がしました。明智探偵がいそいでそこを照らしてみますと、倒れたのは手塚さんでした。懐中電灯の丸い光の中で、しかめっ面をして、起きあがろうとしています。
中村係長が手塚さんを助けおこしているあいだに、明智の懐中電灯は大金庫の正面を照らしました。
「アッ、金庫がッ!」
だきおこされた手塚さんのさけび声です。
見れば金庫のとびらがひらかれて、中のひきだしがぬきだしたままになっています。手塚さんはそのひきだしに取りすがりました。
「ないッ、夜光の時計がなくなったッ!」
アア、魔人は約束をたがえなかったのです。あの有名な宝石時計をうばいさったのです。しかし、逃げ道はありません。蔵の戸の前の廊下には電灯がついている。大ぜいの目が光っている。その入口からはだれも出たものがありません。では、窓は? 窓もだいじょうぶです。蔵のことですから、どの窓にもがんじょうな鉄の格子がとりつけてあります。怪人は蔵の中にいるにちがいない。もう袋のネズミも同じことです。
そとの廊下には、さわぎを聞きつけて、昌一君、太一君、書生なども来ています。そのほかにふたりのお巡りさんと平林さんです。
明智は金庫が開かれたことを知ると、いきなり網戸の所へかけよって、さけびました。
「平林さん、中へはいって、手塚さんを介抱してください。それから、書生さんはいそいで電球を。警官おふたりも中にはいって、捜索してください。あとの人は厳重にここを見はっていて、怪しいやつが出て来たら、大声でどなってください。」
そこで平林さんとふたりのお巡さんは蔵の中へはいり、まもなく、書生は電球を持ってかけつけました。それらの人たちを中に入れると、明智は網戸をピシャンとしめて、その前にたちはだかったまま、ゆだんなく蔵の中を見まわすのでした。
中村係長がわれた電球を、書生の持って来たものと手早く取りかえました。パッと明かるくなった蔵の中、平林さんは手塚さんを抱きかかえるようにして、一方のすみに立っています。手塚さんの額から血が流れていますが、たいした傷ではありません。
中村係長は窓の所へ行って、鉄格子に顔をくっつけるようにして、外を見はっている警官たちによびかけました。
「外から見て異状はないか?」
「異状ありません。」
警官たちの答えです。
「よし、窓はいうまでもなく、かべや屋根もじゅうぶん注意してくれたまえ。怪しいやつを見たら、すぐよびこを吹くんだぞ。」
庭にはところどころ屋外灯がついているうえ、警官たちは六人とも懐中電灯を持っているのですから、めったに見のがすことはありません。
それから明かるい電灯の下で、蔵の中の大捜索がはじまりました。というのは青銅の魔人は、どこへかくれたのか、見わたしたところ、まったく姿が見えないからです。中村係長とふたりの警官と書生、それから、ほとんど元気をとりもどした手塚さん、平林さんもいっしょになって、蔵のすみからすみまでさがしまわりました。
蔵の中には着物などを入れた大きな箱や、たんすや、そのほかの道具類がズラッとならんでいるのですが、それらを一つ一つひらいて中をしらべ、そのうしろのかべをしらべ、床板をしらべ、人間ひとりかくれられそうな個所は、残るところなく見てまわったうえ、かべと床と天井とを全体にわたって念入りにしらべましたが、どこにも怪人の姿は見えません。また秘密の抜け道などは、まったくないことがわかりました。
この捜索のあいだ、明智探偵は入口の網戸の前をすこしもはなれず、するどい目で四方をにらみまわしていました。みんな捜索にむちゅうになっているすきに、この入口からコッソリと、怪物が逃げだすようなことがあってはならないと考えたからです。
一時間余りつづいた捜索は、まったくむだにおわりました。蔵のそとを三方から見はっていた警官たちは、窓からも、かべからも、屋根からも、ネズミ一匹ぬけださなかったと断言し、また、蔵の入口の前にいた人たちは、だれも網戸のそとへ出なかったといいはりました。蔵のあつい床板にはすこしの異状もないのですから、怪物が地下へもぐったはずもありません。つまり、前後、左右、上下、どこに一点のすきもない、いわば鉄の箱のような蔵の中から、あの大きな金属製の怪物が、かきけすように消えうせてしまったのです。
いったいこれを、どう説明したらいいのでしょう。あいつは、目には見えるけれども、堅さのない気体のようなおばけだったのでしょうか。イヤ、そんなものがこの世にいるはずはありません。それとも、捜査にあたった人たちが、ひとりのこらず催眠術にかかったのでしょうか。イヤ、こういうたいせつな場合に、みんなが催眠術にかかるということは、ありえないのです。人々はハッキリと、手塚さんにおそいかかっている怪物の、おそろしい姿を見たのです。では、あとにどんな説明がのこっているでしょう。このふしぎな謎をどうとけばいいのでしょう。
手塚さんや家族の人たちはもちろん、中村係長もお巡りさんたちも、おそろしい夢でも見ているような、へんな気持ちになって、ボンヤリと、おたがいに顔見あわせるほかはありませんでした。
さすがの名探偵明智小五郎も、とっさにこの謎をとく力はないように見えました。蔵の前のイスにもたれこんで、例のモジャモジャの髪の毛を、指でかきまわしながら、じっと考えこんでいます。
しかし、へんですね。明智が頭の毛を指でかきまわすのは、いつも何かいい考えがうかんだ時にやるくせではありませんか。ではこのだれにもとけない謎が、明智にはわかりはじめていたのでしょうか。
そうです。われらの名探偵は、その時、じつにとほうもないことを考えていたのです。このふしぎな謎が、明智の頭の中では、ほとんどとけていたのです。しかし、たしかな証拠をつかむまでは何もいわないのが名探偵のくせです。その晩は、中村係長から、
「さすがの明智君も、この怪物には、少々こまっているようだね。」
と、からかわれても、ニコニコ笑うだけで、何も答えませんでした。