最後の切り札
では、二十面相は最後の切り札をだしつくして、ここでとらえられてしまったのでしょうか。イヤイヤ、怪物といわれる二十面相です。このくらいのことで、へこたれるものではありません。やつには、まだおそろしい奥の手がのこっていたのです。
二十面相は血ばしった目で、キョロキョロと、あたりを見まわしていましたが、三人のチンピラが、「ワーッ」とわめいて、とびかかってくるのを、あいずのように、サッと身をひるがえしました。
そのすばやさは、まるで、つむじ風でもおこったようなありさまでした。二十面相は、とりすがるチンピラどもを、つきのけて、立ちならぶ仏像のあいだを、こまネズミのように、クルクルと走りまわりました。
さすがの明智探偵も、このふいうちにはちょっとおどろかされました。「何かわけがあるな」と、とっさに気づきましたが、その「わけ」が何かということがわからないのです。明智は二十面相の秘密を、何もかも見ぬいたつもりでしたが、たった一つ、見おとしていたことがあるのです。名探偵にしては、めずらしい失策、しかも、それはじつに大きな失策でした。
仏像のあいだを、クルクルはしりまわる二十面相の、目にもとまらぬ姿をあっけにとられて、見まもっているうちに、フッとその姿が消えてしまいました。クルクル動いていた人の影が、かきけすようになくなって、あとには大小さまざまの仏像が、まるで風のない林のように、シーンとしずまりかえって、立ちならんでいるばかりです。
「明智君、きゃつはまた消えてしまった。手塚さんのたんぜん姿で消えてしまった。」
仏像のあいだを、あわただしく見まわったあとで、中村警部は、なじるようにいうのでした。
青銅の魔人はゴム人形だから消えたのですが、なま身の二十面相は、ゴム人形ではありません。
「仏像だ、仏像にしかけがあったんだ。ぼくはそれを見おとしていた。」
明智は残念そうにつぶやいて、林のような仏像を、かたっぱしから、しらべはじめました。
二十面相のことです。どれかの仏像の中に身をかくし、ほとけさまになりすまして、そしらぬ顔で立っているのかもしれません。
三人のチンピラどもも、明智にならって、次から次と、仏像をげんこつでたたきまわりました。
「アッ、これだ。」
明智がとうとう、それを見つけだしました。人間よりも大きな、一つの仏像の背中が、とびらのようにひらくのです。非常にうまくできているので、ただ見たばかりではわかりませんが、たたいてみると、音がちがいます。
明智は、いろいろ苦心をして、やっととびらを見つけ、用心しながら、ソーッとそれをひらいてみました。
その中には、怪人二十面相が、おそろしい形相で立ちはだかっていたでしょうか。明智は、もしやと思って、用心したのですが、ひらいてみると、仏像の中は、ただまっ暗なほら穴で、人のけはいもありません。
明智はポケットから懐中電灯をだして、仏像の中をてらして見ました。
「アッ、ぬけ穴だ。ここに秘密の通路があるのです。二十面相はもう逃げだしてしまったかも知れない。中村君、きみはぼくといっしょに来てくれたまえ。刑事さん、きみは三人の子供をつれて、大いそぎで古井戸の出入口へかけつけてください。このぬけ穴は、たぶんあの古井戸の近くへ通じているのです。」
仏像の台座の中が地下へぬけていて、そこに、やっと人ひとり通れるほどの、せまい急なはしごがかかっていました。明智は懐中電灯をてらしながら、先に立って、そのはしごをおりて行きます。中村警部もあとからつづきます。
はしごをおりきると、背中をまげて、やっとあるけるほどの、せまいトンネルが、ズーッとつづいています。明智と警部とは、注意ぶかく、しかし、できるだけの早さで、その中を進んでいきました。
枝道でもあっては、事めんどうですが、さいわい、そういうものもなく、道はまっすぐに通じています。
しばらく進むと、明智はふと立ちどまりました。
「オヤ、これはなんだろう。」
トンネルのかべに、くりぬいたような穴があって、その中に、クシャクシャに丸めた着物がおいてあったのです。明智はそれを手にとって、ひろげて見ました。
「アッ、これは手塚さんのたんぜんだ。まだあたたかい。二十面相はこの穴の中に、変装の衣類などを、チャンと用意しておいたのだ。そして、今逃げだす時に、たんぜんをぬいで、まったく別の姿に変装して行ったものにちがいない。」
「ウーン、じつに用心ぶかいやつだね。しかし、あいつはどんな人物に変装して逃げたのだろう?」
探偵と、中村警部の声。
「二十面相のことだ。どんな意外な人物にばけたか、わかったものじゃないよ。」
いいすてて、明智はまた、身をかがめたまま、はしりだしました。
そして、またしばらく行くと、むこうに、二尺四方ほどのギザギザの穴が見えました。これがトンネルの出口なのでしょう。
「アア、わかった。このぬけ道の出口は、ふだんは石かべで、ふさいであるのだ。二十面相は、あわてたものだから、その秘密の出口の石をとりのけたまま、ふさがないで、逃げたんだ。この穴の外は、きっと古井戸に近い通路だよ。」
その石かべの穴に近づいて行きますと、外から、へんなやつらが、目を光らせて、こちらをのぞいているのに気づきました。
「刑事さん、来たよ、来たよ。あやしいやつが、穴の中をはってくるよ。」
聞きおぼえのある声です。チンピラ隊副団長「ノッポの松」のわめき声です。
「イヤ、あやしいものじゃない。明智と中村だよ。ここは古井戸のそばだろうね。」
明智の声に安心して、そとの刑事が答えました。
「そうです、古井戸をはいった、すぐのところです。二十面相は、ぬけ穴の中にはいなかったのですか?」
「いない。きみたちも出あわなかったんだね。」
「エエ、どうやら、逃げだしてしまったらしいのです。今しらべてみましたが、ぼくたちがはいってくる時、井戸にさげておいた縄ばしごが、なくなっているのです。やつはぼくらに追っかけられることを、おそれて、あの縄ばしごを持ちさったのではないでしょうか。」
明智と中村警部は、穴をはいだして、刑事と三人のチンピラのそばに立ちました。
「明智君、縄ばしごのかわりはないだろうね。」
「いくらぼくだって、縄ばしごを二本は持っていないよ。しかたがない。むこうの部屋のドアーをこわして、はしごを造るんだ。二三十分もあればできるよ。」
明智はのんきなことをいっています。
「だが、明智君、二三十分もぐずぐずしていたら、やつは遠くへ逃げのびてしまうぜ、そのうえ、変装の名人ときているから、見つけだすのは、よういのことじゃない。最後のどたんばになって、まんまと、やつに一ぱいくわされたね。」
中村警部は、のんきな顔をしている明智を、横目で見ながら、腹だたしげにいうのでした。
「中村君、心配しなくてもいい、ぼくがのんきにしているわけはね、ぼくのほうにも、まだ奥の手があるからだよ。」
「エ、奥の手だって。」
「ウン、二十面相に奥の手があれば、ぼくにだって奥の手があるさ。ここにいるノッポの松公が、小林の身がわりをつとめていた。すると、その小林は、今どこにいるだろう。エ、わからないかね。ぼくは、こういうこともあろうかと思ったので、けさから井戸の外に、小林を団長とするチンピラ隊の連中を見はらせてあるんだよ。チンピラ隊は、ここにいる三人をのけても、まだ十三人もいるんだからね。このあいだの煙突さわぎの時の働きぶりでもわかるとおり、神出鬼没のチンピラ諸君は、おとなもおよばぬ腕がある。それに、小林と来ては、ぼくの片腕なんだからね。いかな二十面相も、そうやすやすとは逃げおおせまいよ。」
「フーン、そうだったか。いつもながら、一言もないよ。しかし、相手は音にきこえた二十面相だ。子供ばかりでは心もとない、大いそぎで、はしごを造ろう。さいわい、道化師のやつが、とりこにしてあるから、あいつをしらべたらいろいろわかることがあるだろう。」
それから、奥の部屋のドアーをはずして来て、急場のはしごが造られ、二十分もしないうちに、道化師を加えた七人の人々は、ぶじ、古井戸の外へ出ることができたのでした。