透明妖怪
勇一君は、その日の晩ごはんの時に、魔法博士のことを、おとうさんに話しましたが、おとうさんは、
「フーン、そんなへんな人が、あのうちへこして来たのかねえ。むろん奇術師だよ。バットやミットなんかは、そのダブダブのマントの中にかくしていたのさ。それが奇術の力で空中から取りだすように、見えたんだよ。おとうさんも、いつかその人と近づきになりたいもんだね。ひょっとしたら、有名な奇術師かもしれない。」
と興味ありげにおっしゃるのでした。
「ぼく、そのふしぎの国っていうのが、見たくてしょうがないのですよ。」
「ウン、おとうさんも見たいね。奇術師のことだから、どうせ、うちの中に、いろんなしかけがしてあって、まるで童話の国へでも行ったような気がするにちがいない。」
おとうさんも同意してくださったので、勇一君はいっそううれしくなり、それからというものは魔法博士のことばかり考えていましたが、どうしたわけか、その後、博士はいっこうに姿をあらわしません。待ちどおしくなって、あの古いレンガづくりの洋館の前へ、なんども行ってみましたが、いつも門の鉄の戸がピッタリしまっていて、まるで空家のように、シーンとしているのでした。
そして、三日ほどたった、ある夕方のことです。裏庭のほうからおかあさんのあわただしい声が聞こえて来ました。
「勇ちゃん、勇ちゃん、ちょっと来てごらん。たいへんですよ。ウサギが二ひきとも、ぬすまれてしまった。」
勇一君は裏のの横に、鉄の網をはって、二ひきのウサギをかっていたのです。それがぬすまれたというのですから、びっくりして、そこへかけつけましたが、見ると、鉄の網は引きさかれ、柱はへしおれて、さんたんたるありさまです。だいじにしていた二ひきの白ウサギは、影も形もありません。そのうえ、かわいそうなことには、しきわらの上に、ポトポトと血のしたたったあとが残っているのです。
「さっきなんだかおそろしい音がしたので、もしやと思って見に来たのよ。そうしたらこんな……。」
「人間のしわざじゃありませんね。」
勇一君は首をかしげながら、ひとりごとのように言いました。
「そうよ。人間なら、こんなむちゃくちゃなこわしかたはしないわね。ちゃんとひらき戸がついているんですもの。どこかの、のらイヌがはいってきたのかもしれない。」
「でも、おかあさん、どんな大きなイヌだって、このふとい柱をおったり、鉄の網をこんなにらんぼうに引きさいたりする力はありませんよ。」
「じゃあ、人間でもイヌでもないとすると、いったい、なんだろうね。」
ふたりは、おびえたように、目を見あわせて、しばらく、だまっていました。
「ねえ、おかあさん、これは、きちがいが、塀をのりこえて、はいって来たのかもしれませんよ。きちがいは、ばか力がありますからね。」
「まあ、きみのわるい。でも、そんなきちがいが、このへんにいるという、うわさも聞かないけれど……。」
ふたりはなんだかこわくなって、そのまま、大いそぎで、うちの中へはいりました。そして、おとうさんが、会社からお帰りになるのを待って、このことをお話ししますと、おとうさんはお笑いになって、
「きちがいだなんて、そりゃ勇一の考えすぎだよ。やっぱりのらイヌだろう。イヌだって、腹がへると、死にものぐるいの力を出すからね。」と、おっしゃって、この事件はそのままになってしまいました。
ところが、その晩です。じつになんとも説明のできない、きみの悪いことがおこったのは……。
その晩は、いやにむしあつかったので、勇一君は勉強部屋の窓をひらいたまま、テーブルに向かって本を読んでいたのですが、本の活字を追っている目のすみに、なんだか白いものが、チラッとうつりました。
オヤッと思って、窓の外を見ますと、まっくらな庭に、白いものが動いています。やみの中に、そのものの影がクッキリと白く浮きだしているので、すぐにウサギだということがわかりました。昼間ぬすまれたウサギの一ぴきにちがいありません。
それにしても、すばしっこいウサギが、どうしてあんなにノロノロ歩いているのでしょう。ああ、わかった。あと足がきかなくなっているのです。大けがをして、かんじんのあと足がだめになったので、みじかい前足だけで、からだをひきずるようにして、歩いているのです。
「かわいそうに、早く助けてやらなくちゃあ。」
勇一君は大いそぎで、座敷のほうのえんがわから、庭へおりて行きました。
星のないまっ暗な夜です。光といっては、勇一君の勉強部屋の窓から、電気スタンドのうすい光線がもれているばかりで、庭は手さぐりをしなければ、歩けないほどです。ただウサギの白いからだだけが、ハッキリ見えています。
勇一君のおうちの庭は、なかなか広くて大きな木が林のようにしげっていました。白ウサギはビッコをひきながら、その林の暗やみのほうへすすんで行くのです。
「オイ、ルビーちゃん、そのほうへ行っちゃだめじゃないか。こっちへおいで、こっちへおいで。」
まっかな目が、ことに美しいので、ルビーちゃんという名がついていました。からだのかっこうが、どうもそのルビーちゃんのほうらしいので、勇一君はそう呼びながら、白いもののあとを追いました。
ウサギは、もう、木のしげみの中へ、はいりかけていましたが、ノロノロ歩いているので、追いつくのはわけはありません。勇一君はすぐにウサギのそばに近づき、両手を出して地面から、だきあげようとしました。
ところが、その時です。勇一君の手が、まだウサギにさわらないのに、ウサギはなにかほかのものに持ちあげられでもしたように、いきなりスーッと空中に浮きあがったではありませんか。
勇一君はあまりのふしぎさに声も出ません。まだこわいという気もおこりません。ただアッケにとられて、にただよう白いものを、見つめているばかりでした。
ウサギは勇一君の胸のへんの高さまで浮きあがって、しばらく、前足をモガモガやっていましたが、やがて、じつにおそろしいことがおこりました。
とつぜん、ウサギの頭が見えなくなってしまったのです。からだだけが宙にのこって、首から上が、長い耳といっしょにもぎとられたように、なくなってしまったのです。
勇一君は、かなしばりにあったように身うごきができなくなって、宙に浮く、首のないウサギを見つめていました。
すると、つぎには、ウサギの前足と胸のへんが、何かにのみこまれたように消えうせ、しばらくすると、あと足のほうまで、すっかりなくなってしまいました。
そして、一ぴきの白ウサギが、勇一君の目の前で、完全に消えてしまったのです。
じつに、とほうもない想像ですが、庭のやみの中に、人間の目には見えない、透明な妖怪というようなものがいて、ウサギをつかみとって、頭からたべてしまったのではないでしょうか。
勇一君は、ふとそんなことを考えると、ゾーッと気が遠くなるほどの、こわさにおそわれました。どうしてうちの中へかけこんだのか、もう、むがむちゅうでした。
勇一君の知らせでおとうさんは、大きな懐中電灯を持って、庭へ飛びだしてゆかれました。そして、木のしげみの中を、くまなくさがしましたが、ウサギは影も形もありません。そればかりか、おそろしいことには、ちょうどウサギが消えたあたりの地面に血が流れ、草の葉をまっかにそめていました。
「おや、これはなんだろう。」
おとうさんはビックリして、そこを電灯でてらしてごらんになりました。
血の流れているすぐそばに、一本の大きなマツの木があります。そのマツの幹の、地面から一メートルばかりのところに、ひどい傷がついているのです。十五センチ四方ほど木の皮がめくれ、白い木はだがあらわれて、それがおそろしいササクレになっています。
オノやなんかで、つけた傷ではありません。何か大きな歯車のようなもので、ムチャクチャに引っかいたというような、見るもむざんな傷あとです。
読者諸君、このマツの木の傷あとには、身の毛もよだつ秘密がかくされていたのです。それが、どんなおそろしい秘密であったかは、しばらくだれにもわかりません。勇一君のおとうさんも、まさかそこまでは考えおよびませんでした。