ふしぎな国
その日曜日の午後一時、小林少年は、電話で約束したとおり、勇一君のおうちへやって来ました。こんの洋服を着て、リンゴのようにつやつやした頬、いつも元気な小林君でした。
二少年はすぐに、つれだって、魔法博士の洋館にいそぎました。鉄の門はひらかれていますが、まだ時間が早いせいか、ほかの少年たちの姿は見えません。
ふたりは門をはいって、玄関の石段をあがり、柱についているベルのボタンを押しました。すると、中から「どうぞおはいり。」という声がしたので、ドアをひらいて、はいりましたが、だれもいません。正面にもう一つドアがあります。しかし、だまってあけていいかどうかわからないので、モジモジしていますと、また中から声がひびいてきました。
「そこのげた箱へクツを入れて、正面のドアから、はいってください。」
ふたりは言われるままに、クツをぬぎ、げた箱に入れて正面のドアをひらきました。そこはホールというのでしょう。広い板の間です。
そのホールへはいったかと思うと、ふたりは、いきなり頭をガンとやられでもしたように、アッと言ったまま、立ちすくんでしまいました。正面のかべいっぱいに、とほうもないお化けが笑っていたからです。
それは何千倍に大きくした魔法博士の顔でした。さしわたし一メートルもあるようなデッカイメガネの玉が二つ、その中に光っている、ほそいけれども、メガネの玉よりも長い目、小山のような鼻、くさむらのような眉、例の黄と黒のダンダラのかみの毛は、部屋の天井にただよう、あやしい雲のようです。
正面のゆかから天井までが、一つの顔なのです。よくもこんなに、にせたものだと思うほど、魔法博士とソックリの顔なのです。それが、ほそいつり竿を何十本もそろえたような口ひげを、左右にピンとのばして、ほら穴のような大きな口をあいて、笑っているのです。
ふたりの少年は、なんだかおそろしい夢でも見ているような気がして、しばらくはものも言えませんでしたが、よく見ているうちに、その顔はハリコのつくりもので、べつにおそろしいものではないことがわかってきました。
「ワハハハハハハハ。」
どこからかギョッとするほど、大きな笑い声が、聞こえました。
「きみたち、ビックリしているね。ワハハハハハハ、だが、こんなものにびっくりしちゃだめだよ。ここはまだ入り口なんだ。中にはもっと、ふしぎなものが待っている。」
たしかに魔法博士の声です。まさか、あのつくりものの大きな顔が、ものを言っているのではないでしょう。しかし、博士の姿はどこにも見えません。
「どっかにラウド・スピーカーがあるんだよ。そして、ぼくたちに見えないような場所に、のぞき穴があって、博士はそこからのぞきながら、マイクロフォンに向かってしゃべっているんだよ。だから、あんな大きな声がするんだ。」
小林君が、ソッと、勇一少年にささやきました。
「きみたち、なにをグズグズしているんだね。早くはいって来たまえ。ウフフフフフフフ、入り口がわからないって言うのか。ほかに入り口なんかありゃしないよ。わしの口の中へはいるのだ。わしの口が、ふしぎの国の入り口だよ。」
わしの口というのは、つまり、つくりものの博士の顔の、ほら穴のような口のことです。その口が大きくひらいているので、しゃがんで、通れば、通れないこともありません。
口の中はまっ暗です。そこへはいって行くのは、なんだか怪物にのまれるようで、いやな気持ちでしたが、ほかに入り口がないとすれば、しかたがありません。ふたりは、ふとんのようなまっかな唇と、のこぎりの岩のような歯をまたいで、オズオズと巨人の口の中へはいって行きました。口の中は、せまい廊下のようなところです。ふたりは手を引きあって、かべにさわりながら、歩いて行きますと、まもなく、行きどまりになってしまいました。正面にも板かべがあって、すすむことができないのです。しかたがないので、入り口のほうへひきかえそうとしていますと、また、ラウド・スピーカーの声が、ひびいてきました。
「その正面のかべをさぐってごらん。ドアのとってがある。それをひらいて、中へはいるんだよ。そして、中へはいったら、ドアは、かならず、もとのとおり、しめなくてはいけないよ。」
ふたりは、まるで催眠術でもかけられたように、夢ごこちで、言われるままに、ドアをひらいて、中にはいり、もとのようにそれをしめました。
すると、そこには、気でもちがったのではないかと思うような、ふしぎなことが、おこっていたのです。
おそろしい明かるさに、まず目がくらみました。目が光になれると、こんどは、ふたりのまわりに、何百人ともしれぬ少年の大群衆がひしめいているのに、きもをつぶしました。少年たちは、それぞれ、セーターやジャンパーを着ています。それが、学校の式場にでもあつまったように、四方八方、すきまもなく、ならんでいるのです。
読者諸君は、そんなバカなことがあるものかと思うでしょう。そのとおりです。魔法博士の洋館が、いくら広いといっても、何百人という少年がはいれる部屋なんか、あるはずがありません。では、戸をひらいて出たのは、建物の外だったのでしょうか。これは洋館の外の広っぱなのでしょうか。
広っぱならば、空が見えるはずです。小林少年と勇一君とは、そう思って頭の上を見ました。すると、あまりのふしぎさに、ふたりは目がクラクラッとして、たおれそうになりました。そこには青空がなかったばかりか、やっぱり何百人という少年が、さかさまになって、あるいは横だおしになって、天からふって来るように見えたのです。
いや、それだけではありません。ビックリして、見あげていた顔をふせて、足もとを見ますと、ハッとしたことには、足の下のゆか板がなくなっていました。そして、下のほうにも、何百人という少年がウジャウジャしているのです。ああ、いったい、これはどうしたというのでしょう。何百何千という少年のむれにかこまれて、宙にただよっているとしか考えられないのです。
こんなふうに書くと長いようですが、小林君と勇一少年が、このふしぎな群衆を見て、おどろいていたのは、ほんの二十秒ぐらいのあいだです。二十秒もたつと、すっかりなぞがとけてしまいました。そこは広っぱどころか、わずか一坪ほどの小さな部屋にすぎなかったのです。
読者諸君、おわかりですか。わずか一坪の部屋に、どうして、そんなにたくさんの少年がいたのでしょう。
二十秒ほどたったとき、まず、ふたりが気づいたのは、上下、左右、前後をヒシヒシとかこんでいる、何百人の顔が、みんな同じだということでした。いや、正しく言えば、ふたいろの顔でした。つまり、小林少年の顔と、勇一君の顔と、そのたったふたいろの顔が、数かぎりなく、ならんでいたのです。
自分とまったく同じ少年が、何百人もいて、それがウジャウジャと、まわりをとりかこんでいたのです。もうわかったでしょう……。それは八角形につくられた鏡の部屋だったのです。
八角形になったかべが、ぜんぶ鏡ではりつめられ、天井も鏡の板、ゆかもあついガラスの鏡、その小部屋は、どこにも鏡でないところはないのです。そして、天井とかべと床のすみずみに、小さいくぼみがあって、その中に一つずつ電灯がついていました。つまり十六個の電球が、四方八方からてらしているわけです。
なぞはとけましたが、でも何百人という自分の姿に、かこまれているのは、あまりいい気持ちではありません。手を動かすと、何百人が、いっぺんに手を動かします。ものを言うと、何百人の口が、いっぺんに動くのです。こんなきみの悪いことはありません。
ふたりは、早く鏡の部屋を出たいと思いました。しかし、どこが出口だかわかりません。はいって来たドアも、うちがわは、やはり鏡のかべになっているので、どれがドアだか、けんとうがつきません。どうしたらいいだろうと、マゴマゴしていますと、ちょうどそのとき、八角のかべの一つが、スーッと外へひらいて、そこに、魔法博士の顔がニコニコ笑っていました。あの千倍のお化けの顔ではありません。ほんものの魔法博士の顔です。