黒魔術
「ワハハハハハハハ、おどろいたかい。ふしぎの国というのは、ざっとこんなものさ。まだおもしろいしかけはいろいろあるけれども、きょうはこのくらいにして、あとは、いよいよ本舞台の大魔術を、お目にかけよう。さあ、こちらへ出て来たまえ。」
ふたりは鏡の部屋を出て、魔法博士の前に立ちました。博士はきょうは、まっ白な服を着ています。エンビ服のように、しっぽのついた、白じゅすの上着、同じズボン、それから、肩にはおった、例のコウモリの羽のようなマントも、やはり、まっ白なラシャです。
小林少年が、おじぎをしますと、博士もかるく頭をさげて、
「ああ、きみが有名な小林君ですね。きみの名探偵ぶりは、本で読んで、よく知っています。少年名探偵のご光来をかたじけなくしてわしも光栄ですよ。ワハハハハハハハハ。」
博士は黄と黒のしまになったかみの毛をふりみだし、まっかな唇を思うさまひらいて、さもゆかいらしく笑いました。入り口の千倍の化けものの笑い顔と、ソックリです。
「さて、これから、わしの大奇術をお目にかける。奇術といっても、手品師がやるような、ありふれたものではない。わしは魔法博士だからね。ナポレオンと同じように、わしの字引には、不可能という文字はない。どんな大魔術をやるか、しばらく、その見物席に腰かけて待っていてくれたまえ。お客さんが、まだそろわないからね。わしは楽屋にはいって、準備をしなければならん。」
博士はそう言って、舞台のうしろへ、姿を消しました。あとにのこったふたりは、見物席のイスに腰をおろし、大魔術の舞台というのをながめるのでした。
そこは十メートル四方ほどの大広間で、見物席には三十あまりもイスがならび、一方には一段高い舞台がしつらえてあります。しかし、ふつうの劇場などとちがって、ここの舞台はなんのかざりもない黒ずくめです。幕はありません。はじめから、舞台はまるだしになっています。背景には一面に黒布がはられ、舞台のゆかも、すっかり、おなじ黒布ではりつめてあります。つまり、全体が黒ひと色なのです。
見物席の窓はみなしまっていて、ちょうど映画館のように、黒いカーテンでおおわれています。ですから、太陽の光はすこしもささず、広間の中は夜のような感じです。見物席には電灯はありませんが、舞台の前の天井と、一段高くなった台の前とに、ズーッと電球がならんでいて、それが見物席のほうをてらしているので、なんだかキラキラして、まばゆいようです。
見物席には、勇一君たちよりもさきに、五、六人のおとなや子どもが来ていました。やがて、例の鏡の部屋から、つぎつぎとお客さんの姿があらわれました。博士の助手が出て来て、鏡の部屋のドアをひらいてやり、見物席に案内しています。お客の少年たちは、ひとりでくるのは、めずらしく、たいていは、おとうさんらしい人、にいさんらしい人とふたりづれでした。中にはおかあさんらしい女の人と、いっしょに来た少年もあります。
鏡の部屋を出てくる少年たちは、みなビックリしたような顔をしていました。よほどこわかったのか、まっさおになっているのもいます。また、やせがまんで、さも平気らしくゲラゲラ笑いながら、出て来るのもいます。
「さあ、これで、きょうのお客さまは、すっかりそろいました。では、これから大魔術をはじめることにいたします。」
助手がそう言って、舞台の奥に、姿を消したときには、かぞえてみると、お客の数は、おとうさんやおかあさんなどもあわせて、二十五人でした。
しばらくすると、舞台の上に、まっ白な服を着た魔法博士が立ちあらわれました。そして、見物席に向かって、うやうやしく一礼すると、エヘンとせきばらいをして、もったいぶった口調で、何かしゃべりはじめました。
「みなさん、きょうは、ようこそおいでくださいました。鏡の部屋には、ちょっとビックリしたでしょう。しかし、あれは、ふしぎの国では、幼稚園ぐらいのところですよ。ほんとうにビックリするのは、これからです。わたしは、この舞台で、大魔術をお目にかける。手品や奇術ではありません。魔術ですよ。魔術には何百という種類がありますが、これからやるのは、そのうちのブラック・マジック、すなわち黒魔術というやつです。そこで、まずこてしらべとして、このなんにもない舞台に、諸君のビックリするようなものを、あらわしてお目にかける。では、はじめますよ。」
博士はそう言っておいて、二、三歩あとにさがると、両手をグッと前に出して、舞台の空間を、二、三度、スーッとなでまわすような、しぐさをしました。
すると、どうでしょう。いままで何もなかった舞台の中央に、雨戸ほどの大きさの、一枚のトランプの札が、パッとあらわれたではありませんか。それは、ハートの女王で、もようも、ほんとうのトランプとすこしもちがいません。ただ、それが千倍に大きくなっているだけです。
博士は、空中に立っている大カードに近づくと、両手でそれを持ち、グルッと裏がえしにして見せました。裏もほんとうのトランプと同じもようです。そうして、しかけのないことを、あらためたうえ、またもとのように正面を向け、ヒョイと一歩あとにさがって、一つ手をたたきました。すると、どうでしょう。ハートの札のほうの女王さまが、いきなりニコニコ笑いだしたではありませんか。
「オヤッ。」と思って、見つめていますと、女王さまは、トランプからぬけだすように、スーッと上半身を前にのりだし、両手を、ひろげて、見物席に向かって、にこやかにあいさつしました。
ああ、なんというあざやかな奇術でしょう。しかし、これだけならば、ふつうの奇術師にも、できないことではありません。読者諸君も、よくお考えになれば、そのやり方がわかるはずです。
ところが、博士はこれを、こてしらべだと言っています。ほんとうの大魔術はこれからなのです。いったい、どんな魔法を使おうというのでしょう。
何かおそろしいことが、おこるのではないでしょうか。魔法博士は、なんの目的で、こんな魔術の会をひらいたのか。ただ子どもたちをよろこばせるため? いや、いや、どうもそうではなさそうです。小林少年が、ちょうどこの会に来あわせたというのも、もしかしたら、博士がわざと、そうさせたのかもしれません……。では、なんのために?