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虎牙-石狮子
日期:2021-11-07 23:41  点击:267

石の獅子(しし)


 小林君は、あまりのことに、声をたてることも、身うごきすることもできません。魔法の力ですいつけられたように、ジッと黒い怪物を見ていました。
 すると、黒いヒョウのような動物は、まもなく、レンガのかべを下までおりて、そのままよつんばいになって、そこの木のしげみの中へ、かけこんでしまいました。その向こうは、やぶれたレンガ塀をへだてて、すぐ八幡神社の森につづいています。黒い人間獣は、夕やみのジャングルの中へ、姿をかくしてしまったのです。
 小林君は、おそろしい夢でも見たのではないかと、自分の目をうたがうほどでしたが、しかし、けっして夢ではありません。あの黒い怪物は、たしかに魔法博士の顔を持っていたのです。
 小林君が見たのは、黒い怪物だけです。では、勇一少年はどうしたのでしょう。勇一君まで、魔法の力で四つ足の動物になって、博士よりもさきに、森の中へかくれてしまったとでもいうのでしょうか。
 なんにしても、早くこのことを、みんなに知らせなければなりません。
 小林少年は、塔の階段を飛ぶようにかけおりて、下に待っていた見物の人たちに、ことのしだいをつげました。
 知らせを聞いた人々は、あまりのふしぎさに、ボンヤリしてしまって、しばらくは、おたがいに顔を見合わせるばかりでしたが、やがて、正気にかえると、にわかに大さわぎをはじめました。
 とにかくさがさなければならない。勇一少年と魔法博士の行くえをつきとめなければならない。二十何人の子どもとおとなが手わけをして、洋館の中と八幡神社の森の中を、オズオズさがしはじめました。
 一方、小林少年は、勇一君のおうちにかけつけ、青くなったおとうさんといっしょに現場に帰り、捜索隊にくわわりました。また、ひとりの少年のおとうさんは、近くの交番に、このことを知らせましたので、まもなく本署から数名の警官がかけつけます。それらの人たちがいっしょになって、洋館のうち外を、のこるところなくさがしたのですが、勇一少年と魔法博士の姿は、どこにも発見することができませんでした。
 八幡神社のうすぐらい森の中、立ちならぶ木の枝の上、くさむらの中など、くまなくしらべましたが、黒い怪物の影もなく、また神社をかこむ町の人たちに聞きまわっても、あやしいものを見た人は、ひとりもいないのです。
 そのうちに、ますます、あたりが暗くなってきましたので、ひとまず、捜索をうちきることにし、警官たちも、ふたりの見はりばんをのこして、本署に帰りましたが、ただちにこの事件は、警視庁に報告せられ、東京中の警察署が、魔法博士と勇一少年をさがすことになったのは、言うまでもありません。
 そうしてみんながひきあげてしまっても、小林少年だけは、ただひとり、八幡神社の森の中にのこって、大きな木の幹にもたれ、ボンヤリと考えごとをしていました。
「ふしぎだなあ。あんな黒いヒョウみたいな姿で、森の外へ逃げだしたら、町には、だれか人が通っているんだから、たちまち見つかって、大さわぎになるはずだ。うまく逃げだせるはずがない。もしかしたら、あいつは、例の魔法を使って、だれにもわからないように、この森の中に、かくれているんじゃないかしら。」
 そう考えると、なんだかゾーッと背中が寒くなってきました。森の中はもうまっ暗です。向こうの社殿(しゃでん)がボンヤリと見わけられるばかりで、そのほかは、一面に黒いまくを、ひきまわしたようです。
 ところが、ふと気がつくと、そのやみの中で、なにかモヤモヤと動いたものがあります。ギョッとして、小林君は、木の幹に、からだをかくし、動いたもののほうを見つめました。
「なあんだ、気のせいだったのか。」
 それは社殿の前の左右にすえてある大きな石のコマイヌでした。その右のほうのコマイヌが小林君の五メートルほど向こうに立っていて、それが身うごきをしたように感じたのです。
 三だんに組んだ石の台の上に、ちょうど人間がうずくまったほどの、大きな石のコマイヌがいるのです。コマイヌといっても、イヌの形ではなくて、むかしの絵にある獅子のような姿をしています。たてがみが、クルクルうずをまき、大きな顔、ふとい足、ふさふさした尾、どこの動物園にもいないような、ふしぎな怪獣です。
 しかし、それは石をほってこしらえたものですから、動くはずはありません。さっきから、みんながその前を行ったり来たりしていたのですが、だれも石のコマイヌなんかに注意するものはなかったのです。
 小林君は、へんな気持ちで、やみの中にぼんやりと浮きだしている、そのコマイヌをながめていました。「あの石のイヌが動きだしたらどうだろう。いまにきっと動くぞ。」昼間から、ふしぎなことばかり見せられたので、ついそんなことを考えるようになっていたのです。
 すると、小林君の考えが、石のイヌにつたわりでもしたように、そのコマイヌが、モゾモゾと動きはじめたではありませんか。
 小林君は、からだがツーンとしびれたようになって、もう身うごきもできません。これはおそろしい夢でしょうか。いや、夢ではない。昼間のことから考えると、夢がこんなに順序よくつづくものではありません。
 コマイヌ、というよりも石の獅子です。その石の獅子は、いまではもう生きた怪物になって、そろそろと石の台をおりています。みょうなかっこうで、台をおりてしまうと、やみの中を、社殿のほうへ、よつんばいになって歩きはじめました。
 小林君は、もしかしたら、こちらへ、飛びかかってくるのではないかと、ドキドキしていましたが、石の獅子は、木のかげに小林君がいることは知らないらしく、ふりむきもせず、社殿に近づき、階段をはいのぼり、正面のとびらをひらいて、社殿の中へ、姿を消してしまいました。そして、とびらが、何かに引かれるように、スーッとしまったかと思うと、「ウォーッ。」と一声、おさえつけたような、うなり声が、聞こえてきました。
 ああ、あの声です。昼間、魔法博士が舞台から消えたとき、見物たちの耳をうった、あのぶきみな猛獣のうなり声とそっくりです。
 小林君は、もうむがむちゅうで、かけだしました。あとからあの怪物が追っかけてでもくるように、死にものぐるいで逃げました。そして、洋館の入り口に見はりをしている警官のそばにたどりつくと、やっと元気をとりもどして、ことのしだいをつげるのでした。
 警官は、おどろいて近くの交番から、このことを本署に電話で知らせました。そして、しばらくすると、本署からピストルを持った数名の警官が、かけつけて来ました。
 もうすっかり夜になっていましたから、警官たちは、手に手に懐中電灯をふりかざし、八幡神社の社務所の人を呼びだして、それを案内役にして、一かたまりになって、社殿に近づきました。
 警官たちは、みなピストルをサックから出して、手に持ち、いざといえば、うてるように、かまえながら、サッと社殿のとびらをひらきました。とびらの中に集中する懐中電灯の光。
「オッ、そこにいるゾ。」かさなりあうまるい光の中に、大きな石の獅子が、チョコンとすわっています。警官たちを見ても、逃げるでもなく、飛びかかってくるでもなく、まるで石のように身うごきもしないのです。しばらく、異様なにらみあいが、つづきました。
「おい、へんだぜ。こいつは、ほんとうの石のコマイヌじゃないか。」
 ひとりの警官が、およびごしになって、グッと手をのばして、ピストルの先で、怪物の肩のへんを、つっつきました。すると、コツコツと石をたたくような音がしたではありませんか。たしかに石でできているのです。
 それにいきおいをえて、みんながコマイヌのそばに近より、懐中電灯でてらしつけながら、その全身にさわってみました。ひとりの警官が、コマイヌの頭に手をあてて、グッとおすと、からだぜんたいがかたむき、手をはなすと、ゴトンと音をたてて、もとの位置にもどりました。
「ハハハ……、なあんだ、やっぱり石のコマイヌじゃないか。おい、きみ、きみは、こいつが動いたと言うのかい。」
 小林少年は、夢に夢みるここちでした。
「さっきは、たしかに生きていたのです。あすこの石の台の上からおりて、ここまで、はって来たのです。」
「フーン、この石がねえ。」
 警官はピストルでコマイヌの頭をコツコツやりながら、また笑いだすのでした。
「しかし、昼間は、こいつ、たしかにあの台座の上にいた。それは大ぜいが見て、知っている。ところが、見たまえ、あの石の台座の上はからっぽだ。」
 べつの警官が、台座のほうを懐中電灯でてらしながら、ふしぎそうに言いました。
「まさか、きみが、コマイヌをここへ持って来たわけじゃなかろうね。」
「ぼくには、こんな重いもの、とても持てませんよ。」
「そうだろうね。すると、いったい、これはどういうことになるんだ。」
 警官たちが、首をかしげているあいだに、小林少年は、ふと、社殿の一方の柱に、異様な傷があることに、気づきました。ひとりの警官の懐中電灯が、ちょうどそこを、てらしていたからです。
「あれは、なんでしょう?」
 小林君の声に、みながそのほうを見ました。おそろしい傷あとです。十五センチ四方ほど、柱の皮がめくれ、白い木はだがあらわれて、それがひどいササクレになっています。
「へんな傷だね。大きな動物が、(きば)でかみついたというような傷だね。それに、傷のまっ白なところを見ると、ごく新しい傷だ。」
 警官たちも小林少年も知らなかったけれども、読者はごぞんじでしょう。勇一君のおうちの庭で、白ウサギが消えたとき、マツの木の幹にのこっていた、あのおそろしい傷あと、あれとそっくり、そのままなのです。
 それは知らなくても、一方には、いつのまにか社殿にしのびこんだ石の獅子、一方には、見るもおそろしい柱の傷あと、この二つの怪異(かいい)のくみあわせの、ぶきみさに、人々はゾーッとおびえた目を見かわして、ただ立ちすくむばかりでした。


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