猛虎ヨーガ
花田君が、ふと目をひらくと、そこはやっぱり自動車の中でした。あのおそろしい虎は、いつのまにか、いなくなり、そのかわりに、ひとりのおじいさんが、ニコニコ笑っていました。白いひげを胸までたらして、まんまるい顔が、つやつやと赤くて、サンタクロースのようなおじいさんです。そのおじいさんが、背びろの洋服を着て、花田君のとなりに腰かけて、花田君を抱くようにしていました。
「おお、よくねむっていたね。ああ、ついたよ。きみも見おぼえがあるだろう。あのうちだよ。」
車の窓からのぞいて見ますと、もう、しらじらと夜があけて、そのほの白い空に、お城のような洋館が、そびえていました。赤レンガの古い建てかた、つたのはったまるい塔、たしかに見おぼえがあります。それは、勇一少年が行くえ不明になった、あの魔法博士の洋館でした。花田君は、小林団長といっしょに、勇一少年のおうちをたずねるまえ、この洋館を、ちゃんと見ておいたのです。
「おじいさんは、だれですか。ぼく、早くうちへ帰らなければ、うちで心配しているから。」
花田君が言いますと、おじいさんは、それをうち消すように、ニコニコ笑って、
「なあに、心配することはないよ。じき帰してあげる。だが、せっかくここまで来たんだから、あの子にあっていったほうがいいじゃないか。」
「あの子って、だれですか?」
「天野勇一っていう、かわいい子どもさ。」
「えッ、それじゃあ、勇一君が、このうちにいるんですか。」
「そうだよ。さあ、車をおりて。」
どうも、がてんがいきません。魔法博士のうちは、からっぽのはずです。あれほど、みんなでさがしても、ネコの子一ぴきいなかったのです。そこに勇一君が、帰って来ているなんて、信じられないことです。
しかし、花田少年は、さがしにさがしていた勇一君が、この洋館にいると聞いては、うちに帰ることもなにも、忘れてしまいました。
サンタクロースのようなおじいさんに、手をとられて、車をおり、門をくぐり、洋館の中へはいって行きました。
話に聞いていた、魔法博士の顔のつくりものや、鏡の部屋などは、もう取りかたづけられたのか、まがりまがった廊下には、べつにかわったものはありません。やがて、廊下のつきあたりの、奥まった一つの部屋に、たどりつきました。
「さあ、ここだよ、この部屋に勇一君がいるんだよ。きみ、自分でドアをあけてごらん。」
花田君は、おじいさんの言うままに、そのドアをソッとひらきましたが、その中を一目見ると、ハッと、息をのんで、たちすくんでしまいました。
おそろしいものがいたわけではありません。部屋の中が、あまり美しかったからです。
「ホラ、あすこにいるのが、勇一君だよ。早く行って、あうがいい。」
老人はやっぱりニコニコしながら、花田君を部屋の中にみちびきました。
それは、まるでお菓子のように、きれいな部屋でした。天井もかべもまっ白、じゅうたんも、まっ白、テーブルやイスや、そのほかのかざりものも、みんなまっ白で、まるでクリスマス・ケーキのおさとうの家の中へでも、はいったようです。
魔法博士の洋館の中は、化けもの屋敷のように、うすぐらくて、古めかしくて、いんきだと、聞いていたのに、いつのまに、こんなまっ白な、美しい部屋ができたのかと、あっけにとられていますと、正面のイスにかけていた、ひとりの美しい少年が、立ちあがって花田君に、ちょっと、おじぎをして、ニッコリ笑いかけました。
写真で見た天野勇一君です。服装も写真と同じでした。しゅすのように光った、まっ白な上着、まっ白な半ズボン、まっ白なクツしたとクツ、童話にある西洋の王子さまとそっくりです。
「さあ、さあ、花田君も、勇一君と向かいあって、ここへかけなさい。いま、すてきなごちそうを持って来てあげるからね。」
サンタクロースのおじいさんは、なにかひとりでホクホクしながら、部屋の外へ出て行きました。花田君は、そのすきにと、ささやき声で、勇一少年に話しかけます。
「きみ、天野勇一君ですね。ぼくは小林さんの少年探偵団の団員で、花田っていうのです。きみを助けに来たんです。」
「ありがとう。でも、とてもだめですよ。」
「きみからおとうさんに送った写真と手紙も見ました。あの手紙、ほんとうに、きみが書いたの?」
「エエ、ぼくが書いたんです。魔法博士の命令で書いたんですよ。だから、ぼくの思うとおり書けなかった。」
「魔法博士って、ここのうちにいるの?」
「いますとも、いまのおじいさんが魔法博士です。あいつは、何にだって化けるんです。だから、ゆだんしちゃだめですよ。」
「やっぱり、そうだったのか。それで、きみは、ひどいめにあわされたの?」
「いいえ、まだそんなことはありません。でも、逃げだそうとしたら、虎にくわせてしまうと言うんです。」
「エッ、虎にくわせる。」
「シッ。」勇一少年は老人がもどって来たと、目で知らせました。
サンタクロースのおじいさんは、両手に大きな銀のおぼんをさげて、ニコニコしながら、はいって来ました。そして、「そら、ごちそう。」と言いながら、それを大テーブルの上におきました。
おぼんの上には、西洋のお城のようなたてものの、さとう菓子がのっています。りっぱなクリスマス・ケーキです。しかも、ふしぎなことに、そのさとうのおうちが魔法博士の洋館とソックリ同じ形をしているではありませんか。
「とてもみんなは、たべられないだろうね。まあ、塔の屋根からたべはじめるんだね。さあ、ここにナイフもホークもある。えんりょなくやりなさい。」
ふたりの少年は、うたがわれてはいけないと考えて、塔の屋根をナイフで切って、たべましたが、このおじいさんが魔法博士かと思うと、ちっともおいしくありません。たべないさきから、おなかがいっぱいなのです。
しばらく、それをながめていた老人は、大声に笑いだしました。
「ワハハハハハハ、きみたち、子どものくせに、あまいものが、あまりすきでないとみえるね。よし、よし。それじゃあ、またあとで、ゆっくりたべることにして、きみたちに、おもしろいものを見せてあげよう。さあ、こちらへおいで。」
二少年は、まるでネコの前のネズミのように、老人に何か言われると、いやだと思ってもさからうことができないのです。しかたなく、老人のあとについて部屋を出ました。
また廊下を、いくつかまがって、一つの広い部屋にはいりました。こんどは、まえの部屋とちがって、ひどくうすぐらいのです。目がなれるまでは、何があるのか、よくわかりませんでしたが、やがて、向こうのすみに、ふとい鉄棒のはまった、大きな檻がおいてあるのが見え、それといっしょに、動物園のけだもののにおいが、プーンと鼻をうちました。
「あの檻の中に何がいるか、こちらへ来てごらん。」
老人にせきたてられて、二少年は、檻の正面に立ちました。うすぐらい檻の中には、一ぴきの大きな虎が、うずくまっていました。
「これはたいせつなわしの宝ものじゃ。わしのまもり神じゃ。よいかな、わしの言うことをきかぬやつは、この檻の中へぶちこんで、虎のえじきにしてしまうのだよ。わかったかな。」
老人は二少年をジロリとにらんでおいて、コツコツと檻の鉄棒をたたきました。
「これ、ヨーガ、ヨーガ、お客さまじゃ、起きて、お客さまに、あいさつせぬか。」
猛虎は、かいぬしのことばを聞くと、ねむりからさめたように、ガバとはね起き、背中の毛をさかだて、まんまるな目で二少年をにらみつけ、まっかな口をひらいて、ゴオオ……と一声ほえました。
少年たちは、思わず、タジタジとあとじさりしました。なるほど、勇一少年が「とても逃げだすことはできない。」と言ったわけがわかりました。それにしても、花田君を背中にのせたり、自動車にいっしょに乗ったりしたのは、この虎だったのでしょうか。花田君はジッと虎の顔を見ていましたが、どうもよくわかりません。同じ虎だったようにも思われ、そうでないようにも思われるのです。
サンタクロースのおじいさんは、そんなことを考えている花田少年のうしろへ、ソッとまわっていました。そして、なにか白い綿のようなものを持った手で、花田君の鼻と口をおさえてしまいました。自動車の中と同じことがおこったのです。なんとも言えぬ、いやなにおい。花田君は、息ぐるしさに、もがいているうち、スーッとたましいがぬけるように、目の前がまっ暗になって、そのまま、気をうしなってしまいました。