「オーイ。オーイ。」と遠くのほうから、呼ばれているような気がして、フッと目をひらくと、すぐ目の前に、おまわりさんの大きな姿が、のしかかっていました。
へんだなと思って、あたりを見まわすと、花田君は、ただひとり、森の中のくさむらに、たおれていることがわかりました。
「オイ、きみ、どうしたんだ。きぶんが悪いのか。」
おまわりさんが、やさしくたずねてくれます。
「アッ、あれだッ。」
花田君は、なにかを見つけて、とんきょうな声をたてました。
「エッ、あれって、なんだね?」
「あれです、あのうちです。」
森の木のあいだから、魔法博士の洋館が見えています。花田君は、それを指さして、きちがいのように、さけびました。
「あすこに、虎がいるんです。それから、天野勇一君が、いるんです。それから魔法博士が、いるんです。」
それを聞くと、おまわりさんの顔色が、サッとかわりました。一大事です。おまわりさんは、花田君をひきおこして、しんけんな顔で、ことのしだいを、聞きだしました。
花田少年の、とぎれとぎれの物語で、ゆうべからの出来事がわかると、警官は花田君をつれて、大急ぎで交番にひきかえし、そこから電話で、本署に報告しました。花田君は、本署からふつうの電話で、明智探偵事務所の小林少年にも知らせてもらうようにたのみました。
それから一時間ほどのち、魔法博士の怪屋は、警視庁からもかけつけた人々をあわせて、十数名の武装警官に、とりかこまれていました。
その中から、決死隊ともいうべき、五名の警官がえらばれ、手に手にピストルをかまえ、案内役の花田少年をかばうようにかこんで、怪屋の表口からしのびより、そこの大とびらをサッとひらきました。
うちの中は、まるで墓場のように、しずまりかえっています。
「オーイ、だれかいないか。」
どなってみても、答えるものはありません。
ピストルをかまえて、ドアというドアを、かたっぱしから、ひらきながら、廊下をすすんで行きました。しかし、どの部屋も、道具も何もない、空家のような、からっぽの部屋ばかりです。
花田少年は、大きなからだの警官のかげに、かくれるようにして歩いていましたが、見おぼえのある廊下を、いくつもまがって、とうとう例の白い部屋の前にたどりつきました。
「ここです。この中に、天野勇一君がいたんです。」
ソッとささやきますと、五人の警官はいきなりドアをひらいて、その部屋にふみこんで行きました。
「なあんだ。だれもいないじゃないか。そして、ちっとも白くないじゃないか。」
おや、これはどうしたのでしょう。それはたしかに、さっきの部屋なのですが、中はやっぱり、空家のようにからっぽです。あの美しい、まっ白な天井や、かべや、じゅうたんは、いったいどこへ行ったのでしょう。白いテーブルもイスも、何もかも、かき消すように、なくなっていたではありませんか。
「虎の檻はどこにあるんだ。」
聞かれて、花田君はドギマギしましたが、
「こっちです。」
と言って、先に立ちます。その部屋もよくおぼえていました。ここと指さすと、警官は、こんどは、じゅうぶん用心しながら、ドアをひらきました。
「おやおや、ここもからっぽじゃないか。虎の檻は、いったいどこにあるんだ。きみは、夢でも見たんじゃないのかい。」
花田君は一言もありません。たしかに、たしかに、この部屋だったのに、虎の檻なんか、どこにも見あたらないのです。
もしや、花田君が部屋をまちがえているのではないかと、一階の部屋という部屋を、ぜんぶ見てまわりましたが、白い部屋や虎の檻なんて、影も形もないことがわかりました。
「たしかに、一階だったんだね。二階や地下室ではなかったのだね。」
「たしかに、一階でした。一度も階段をのぼらなかったのですもの。」
花田君は、もうベソをかいています。ねんのためというので、二階や塔の中まで、くまなくしらべましたが、みんな、からっぽの部屋ばかりです。
地下室は、炊事場の下に、ひとつだけありました。しかし、そこは、いぜん酒ぐらに使っていたらしく、古い酒だるなどがころがっているばかりで、すこしもあやしいところはありません。ゆかやかべを、たたきまわってみましたが、どこにも秘密の入り口はありません。
しまいには、外をかこんでいた、十数名の警官が、みんな家の中にはいって、手わけをして、しらべたのですから、万一にも見おとしなどは、ないわけです。
それでは、花田君が見たのは、みんな夢だったのでしょうか。いや、けっしてそうではありません。一ぴきの大きな虎が、花田君を背中にのせて、深夜の町を歩いているのを見た、女の人があります。その女の人の知らせを受けた交番のおまわりさんが、矢のように走りさる怪自動車を見とどけています。知らぬ女の人が、花田君と同じ夢を見たとは考えられません。花田君は、けっして、夢を見たのではないのです。
あとで時間をしらべてみると、花田君が、サンタクロースのおじいさんにねむらされてから、おまわりさんに起こされるまでには、一時間ほどしかたっていないことがわかりました。たった一時間や二時間のあいだに、あの虎の檻をどうして、はこびさることができたのでしょう。また、あのまっ白な部屋を、どうしてぬりかえることができたのでしょう。人間わざにはおよびもつかぬ、ふしぎです。
いったいこれはどうしたわけでしょうか。魔法博士は、またしても、大魔術を使ったのです。
魔法博士は、わざわざ花田少年を、怪屋の中へつれこんでおいて、そのまま、とりこにもしないで、森の中へほうりだしておいたのは、なぜでしょう。そこになにか、深いこんたんがあるのではないでしょうか。
ここまで言えば、かしこい読者諸君は「ハハーン。」とお気づきになったかもしれませんね。魔法博士の大魔術の種が、諸君には、もうちゃんとわかってしまったかもしれませんね。