おそろしきなぞ
「さあ、お待ちどうさま、ついたよ。」
すぐ車のそばで、じいさんの声がして、さるぐつわと目かくしが、取りさられました。ふたりの男に両手を取られて、自動車を出ますと、目の前に例の魔法博士の赤レンガのうちがそびえていました。やっぱりここだったのか。それにしてもこのあいだ、警官たちが、あれほどさがしても、ネコの子一ぴきいない空家だったのに、いつのまにか、魔法博士は、またここへ帰っていたのでしょうか。
ふたりの男と老人にとりかこまれながら、玄関をはいって、うすぐらい廊下を、いくつかまがると、一段ひくくなったところに、がんじょうな板戸があり、怪老人は、それをひらいて、小林君を中に入れました。
まるで、牢屋のような、きみの悪い部屋です。四メートル四方ほどの広さで、鉄棒のはまった小さな窓が一つあるばかり、ゆかは板もはってない、タタキのままです。四方のかべは、赤レンガのむきだしで、かざりも何もない、穴ぐらのようなところでした。
「まあ、そこにかけるがいい。いまたべものを持たしてよこすからね。それをたべたら、ゆっくりやすむがいい、万事はあすの朝のことだ。きみにいろいろ見せたいものがあるんだよ。」
じいさんは、それだけ言うと、そそくさと部屋を出て行ってしまいました。
一方のすみに、そまつな木のベッドがあり、毛布がしいてあります。そのほかにはイスもテーブルも何もないのです。小林君はしかたがないので、そのベッドに腰かけて待っていますと、ひとりの男が、おぼんにパンとミルクをのせて、持って来ました。そして、それをベッドのはしにおくと、何も言わないで、出て行きました。
小林君は夜になったら、コッソリ建物の中をしらべてやろうと考え、それには、おなかをこしらえておかなければと、おちついて食事をはじめました。もう夕方です。高いところにある、鉄棒のはまった窓から、赤い色の夕日がさしこんで、赤レンガのかべを、てらしています。このいんきな部屋に、日がさすのは、夕方ちょっとのあいだだけなのでしょう。
しばらくすると、天井に小さな電灯がつき、部屋の中をボンヤリとてらしました。それから、二時間ほど、じつにたいくつな時がたっていきました。この部屋へは、だれもやって来ません。廊下からも、遠くの部屋からも、なんの物音も、話し声も、聞こえて来ません。まるで墓場のようなしずかさです。
入り口のドアにかぎをかけて行ったようすもなく、出ようと思えば出られるのです。みんなの寝しずまるまで、待つつもりでいたのですが、それほど用心することも、なさそうです。小林君はドアのそばへ行って、しばらく耳をすましたうえ、ソッととってをまわしてみました。
かぎはかかっていません。ソッとおすと、おもい板戸は音もなくひらきました……。アッ、いけない。だれかいる……。十センチほどひらいた戸のすき間から、のぞいて見ると、まっ暗な廊下の、すぐ目の前に、なんだかへんなものが、うずくまっているではありませんか。
大きな目です。人間の五倍ほどもある大きな二つの目が、やみの中に青く光っていました。虎です。一ぴきの猛虎が、まるで番兵のように、戸の外にすわっていたのです。
小林君はハッとして、いそいで戸をしめましたが、こわいもの見たさに、またソッと、ごくほそく戸をひらいて、のぞいて見ますと、虎はノッソリと立ちあがって、こちらをにらみつけながら、廊下を歩きはじめました。どこかへ立ちさったのかと思うと、そうではなくて、またもどって来ます。そして、小林君の部屋の前を、行ったり来たりして、いつまでも見はりをつづけているのです。
小林君は、ピッタリ戸をしめ、とってをまわして、外からひらかぬようにし、ベッドにもどって、考えこんでしまいました。あの虎は、一晩中、廊下をうろついているかもしれません。そうすると、夜中に、建物の中をしらべることなんか、とてもできないわけです。そんなことよりも、もしあの虎が、ドアをおしやぶって、ここへはいって来たら……、それを思うと、もう気が気ではありません。小林君はベッドの上に小さくなって耳をすまし、おびえた目でドアを見つめていました。
しばらくは、何事もおこりませんでしたが、やがて、廊下にかすかな物音がしたかと思うと、ドアのとってが、ソーッとまわっているのに、気がつきました。
小林君はハッとして、いきなりベッドから飛びおりると、敵をむかえる身がまえをしました。あの虎がとってをまわしているのでしょうか。番兵をつとめるほどの虎ですから、人間のようにとってをまわす芸当だって、できないとは言えません。
いよいよ、虎にくい殺されるのかと思うと、さすがの小林少年も、顔は青ざめ、心臓は、おどるように、脈うち、全身に冷やあせが流れてきました。
とってがまわりきると、ドアがすこしずつ、ひらきはじめました。黒いすきまが、みるみる大きくなっていきます。
いまにも、あの猛虎が飛びこんでくるのかと、死のものぐるいのかくごをしていると、そこへヒョイと顔を出したのは、虎ではなくて、例のあやしい白ひげのじいさんでした。
老人は、うしろ手に、戸をしめて、ベッドのほうへ近づいて来ました。一方の手に銀色のぼんを持っています。
「やあ、たいくつかね。オレンジエードのあついのを持って来たよ。こいつを一ぱいグッとやって、それから、ゆっくり寝るがいい。あすはきみを、びっくりさせることがあるんだからね。」
小林君は、いまのおそろしさで、のどがかわいていたものですから、なんの考えもなく、そのあついコップを受けとると、ゴクゴクと、一息にのみほしてしまいました。
「よし、よし、それできみは、こん夜よくねむれるだろう。さあ、ベッドにはいりなさい。」
「おじいさん、この部屋のドアは、かぎがかからないのですか。」
小林君がたずねますと、じいさんはゲラゲラ笑いだして、
「虎がこわいんだね。少年名探偵ともあろうものが、虎なんぞにおびえて、どうするんだ。なあに、ちっともこわがることはないよ。あれは番人さ。番人の分を、ちゃんとまもって、それいじょうのことは、何もしやしないよ。きみが逃げだしさえしなければ、めったに、くいつくようなことはないよ。さあ、寝たまえ、寝たまえ。」
じいさんがしきりにすすめるので、小林君はベッドの中にはいりました。すると、なぜかきゅうにねむくなってきました。じいさんがまだブツブツ言っているのを、子もりうたのように聞きながら、小林君はいつのまにか、グッスリ寝いってしまいました。
それから、どれほど時間がたったのか、小林君が深いねむりからさめて、ふと目をひらくと、部屋の中には、あかあかと日がさしこんでいました。
赤レンガのかべ、木のベッド、タタキのゆか、がんじょうな板のドア、それを見まわしているうちに、きのうのことが、すっかり思いだされてきました。「ああ、ぼくは魔法博士のとりこになっていたんだな。それにしても、いまは何時だろう。」腕時計を見ますと、六時すこしまえです。
小林君は、ベッドにあおむきになったまま、高い窓からさしこむ日の光を見ていました。
「きのうの夕方、この部屋にいれられたときも、ちょうどこんなふうに夕日がさしていた……。」
そこまで考えたとき、小林君は、びっくりして、もう一度時計を見ました。
「へんだな。するといまは夕方の六時かしら。ぼくは二十時間いじょうも、寝てしまったのだろうか。」
どうもいまは朝のように思われるのです。しかし、たしかに窓からは日がさしています。きのう夕日のさした同じ窓から、きょうは朝日がさすはずがありません。では、やっぱり、いまは夕方なのでしょうか。
小林君はしばらく考えていましたが、ふとあることに気づいて、いよいよ、わけがわからなくなってしまいました。
「夕日ならば、かべにさしている日の光がだんだん上のほうへのぼって行くはずだ。ところが、さっきから見ていると、いまかべをてらしている光は、すこしずつ下のほうへさがっている。太陽が高くなるにしたがって、そのかげはさがるのだ。だから、この光は、どう考えても朝日にちがいない。」
小林君はなんだか、むずかしい数学の問題にぶっつかったような気がしました。きのう夕日のさした窓から、きょうは朝日がさしている。なんというふしぎな問題でしょう。どんなに知恵をしぼっても、とけないなぞです。
そういうことができるためには、この洋館ぜんたいが、しばいのまわり舞台のように、ひと晩のうちに、クルッと一回転したとでも考えるほかないではありませんか。
考えこんでいるうちに、日ののぼるのは早く、かべにさしていた光が、いつのまにか、タタキのゆかにおち、それがだんだん部屋のまん中へ近づいて来ます。もうすこしのうたがいもありません。窓からさしているのは朝日です。いまはたしかに朝なのです。
そのとき、ジッと考えにしずんでいた小林君の顔に、じつになんともいえない、ゾッとするような、おどろきの表情が浮かびました。
「ウーム、そうかもしれない。なんというおそろしい考えだろう。」
小林君は、うなるように、つぶやきました。
「明智先生のおっしゃった魔法の種というのはこれなんだな。うーむ、おどろいたなあ。あいつは人間じゃない。しんからの魔法使いだ。地獄からやって来た魔物だ。魔物でなけりゃあ、こんなことが考えられるものじゃない。」
小林君は、いったい何事に気づいたのでしょう。まったくきもをつぶしたという顔つきです。
ふと気がつくと、またドアのとってがまわっていました。それがクルッと一まわりして、ドアがスーッとあきました。そして、そこから、ゆうべの白ひげの怪老人がニコニコした顔をのぞかせていました。