大魔術
明智は話しつづけます。
「それから虎だ。いたるところに虎があらわれる。きみ自身が、頭の毛を黄色と黒にそめわけたり、ピンとはねた虎ひげをはやしたりして、まるで虎の化身みたいな顔をしている。虎だか人間だかわからないという感じをだそうとしたんだね。夜の間に、ひとのうちの庭に、虎の足あとをつけておいたり、そのへんの立ち木や柱に、虎の牙でかみさかれたような、おそろしい傷をつけておいたり、世間をこわがらせようとしたんだ。
きみが使っている虎には、ふたいろある、一つはほんとうの虎で、こいつは、いつも檻の中に入れてある。いつか小林君と天野少年に見せたのは、そのほんもののほうだ。もう一つはにせものの虎だ。石のコマイヌと同じように、虎の毛でこしらえた衣装を、人間が着て歩きまわるのだ。頭の部分は、はく製の虎になっているのだから、ちょっと見たのではわからない。
花田少年を背中にのせて、夜の町を歩いたのも、ついさきほど、三人の少年の部屋へ飛びこんでいったのも、みなにせもののほうだ。こわい顔をしているし、ほんとうの虎のように、ほえるけれども、それは中にはいっている人間が、そういう音の出る笛を吹くだけで、人にかみつくことなんか、できやしない。にせの虎は、いつも夜とか、うちの中のうすぐらいところにあらわれるのだし、それに、あいてが少年たちだから、いままで見やぶられなかったのだ。
ぼくは、さっき、きみの部下のひとりが、虎の衣装をかぶるのを見た。ぼくは警官の服を着て、きみの部下に化けていたのだから、だれもうたがわない。ぼくの前で平気で虎の衣装をかぶったのだ。それで、すっかり秘密がばれてしまったのだ。
ぼくはそれから、もうひとりの警官の服を着た、きみの部下をしばりあげて、石の部屋にとじこめ、それから、表口、裏口に見はりばんをしているやつを、ひとりずつ、同じようにしばって、石の部屋に入れてしまった。そして、さっきの虎が、三人の少年をおどかしてから、部屋を出てくるのを待っていた。それが、ここにいる虎だよ。見たまえ、ピストルがこわくて、ぼくの命令にそむくことができないのだ。」
明智探偵のイスの足のところに、うずくまっている虎は、ほんものではなく、中に人間がはいっていたのです。明智の右手に持ったピストルのが、その虎の背中にグッとくいいっています。いうことを聞かねば、いつでもピストルの引きがねをひくぞというわけです。さいぜんから、この虎がまるでネコのように、おとなしくしているのは、そのためだったのです。
だまって聞いていた魔法博士は、そのとき、また、うすきみ悪くニヤニヤと笑いました。メガネの中の両眼が、まるで糸のようにほそくなっています。
「さすがは明智先生だねえ。つくづく感心したよ。すると、おれの部下はひとりのこらず、きみにしばられて、おれはとうとうひとりぼっちになってしまったのか。ブルブル、ああ、なんだか心ぼそくなってきたぞ。」
しかし、博士の顔はちっとも心ぼそそうではありません。ゆったりとかまえて、すこしもさわがないのです。
そのとき、コツコツと足音がして、正面のかんのんびらきのドアから、ひとりの少年がはいって来ました。
「先生。」
「おお、小林君か。」
それは小林少年でした。
小林君は、明智探偵のそばによって、何か、いそがしく耳うちしました。
「ワハハハハ……、敵はいよいよ数がふえるな。まだ四人少年がいる。それも助けだされたというわけだろうね。」
魔法博士はこともなげに、大笑いをしています。おくそこの知れない怪物です。
「小林君は、ぼくが助けだした。そして、応援軍をよぶために、いまり、つかいに行って、帰ったところだ。四人の少年は、やがて、その応援軍が来て、助けだすはずだよ。」
「ワハハハ、……、敵はウンカのごとくおしよせるね。ゆかい、ゆかい。それでこそ、魔法博士も、はたらきがいがあるというもんだ。ところで、明智先生、おれは、もう一つ二つ魔法を使っておいたはずだが、きみはむろん、それも気づいているだろうね。」
「ウン、きみは大魔術を使ったね。花田少年がこの建物へつれてこられた。そして、麻酔薬でねむらされて表の草の中へほうりだされた。そこへ、ちょうど警官が通りかかったので、建物の大捜索がおこなわれたが、花田君がねむっていたのは一時間かそこいらだったのに、建物の中には、何もなくなっていた。白い部屋も、天野少年も、虎の檻も、何もかも、消えてしまっていた。とほうもない大魔術だったね。
いまでは、むろん、その秘密はすっかりわかっている。きみは花田少年をつれて行ったときに、麻酔薬をかがせて自動車がどこを走るかわからないようにした。建物からつれだすときには、また麻酔薬をかがせた。そして森の中の草の中へほうりだしておいた。てむかいもしない少年に、なぜ麻酔薬を使わなければならなかったのか。ここに秘密をとくかぎがある。ぼくはここへこぬまえから、だいたいその秘密がわかっていた。いつか小林君にそれを話したことがある。」
「そうです。あのとき、先生のおっしゃったとおりでした。」
小林少年が、そばから口をだしました。
「ぼくが入れられた牢屋のような部屋には、窓が一つしかなかったのです。はじめ、その窓から夕日がさしていました。ところが、ひと晩、そこで寝て、あの朝、目をさましてみると、おなじ窓から朝日がさしていました。それで、ぼくはすっかりわかってしまったんです。」
「ウーム、きみはえらいところに気がついたね。それで、きみはわかったのか。」
魔法博士がさも感心したように、うなりました。
「そうだよ。あのとき、きみは紙しばいのじいさんに化けて、ぼくにねむり薬のはいったオレンジエードをのませただろう。そして、ぼくがすこしも気づかないうちに、べつのうちへ、はこんだんだろう。」
「べつのうちにしては、部屋のようすが、すっかり同じだったね。」
「でも、向きがちがっていた。はじめの部屋の窓は西向きで、あとの部屋の窓は東向きだった。まったく同じかっこうの建物が二つあるんだ、ねえ、先生、そうですね。」
「そうだよ。ぼくは魔法博士の部下に化けて、麻酔薬のおせわにならないで、ここへ来たから、この目で見て、よくわかっている。ここは天野勇一君の近所の、あの洋館ではない。ここは世田谷区ではなくて、横浜の山の手なんだよ。外から見たところも、中の間どりも、ふたごのように、まったく同じ洋館が二つあるんだ。だから、世田谷のほうを、いくらさがしても、白い部屋も、虎の檻も、何もなかったわけだよ。
さいしょブラック・マジックをやって見せたのは世田谷の洋館、それからあとの出来事は、みんなこの横浜の洋館でおこったのだ。花田君は、はじめ横浜のほうへつれてこられ、それから麻酔薬で寝むらされて、自動車で世田谷の洋館の前にはこばれ、そこの草の中へほうりだされていたんだよ。それにしても、こんな、ふたごのような古い洋館が、どうしてできたのか、そのわけは、ぼくにもわからないがね。」
「明治時代に、ものずきなイギリス人の兄弟がいたのさ。そして、べつべつの場所に、まったく同じせっけいの洋館を建てたのだよ。何もかも同じだったが、ただ向きだけがちがっていた。おれは、これは大魔術の種になると思ったので、苦心して両方とも手に入れたんだが、とうとう、きみたちに見やぶられてしまった。感心、感心、さすがは名探偵と、名少年助手だねえ。しかし、秘密は、それでおしまいじゃあないぜ。まだ、もう一つ大きな秘密がある。明智君、きみにはそれも、もうわかっているのだろうね。」
魔法博士はスックと立ちあがって、明智と小林少年を見おろしながら、ウフフフフと、うすきみ悪く笑うのでした。