黒い一寸法師
お話かわって、こちらは明智夫人の文代さんです。みなにわかれて寝室にはいりましたが、こんやこそ、透明怪人が、自分をつれだしにくるのかと思うと、とてもねむる気にはなれません。昼間の服装のまま、ベッドによこたわって、まじまじとしていました。右がわの部屋には中村係長と黒川記者が、左がわの部屋には小林少年がいるのですから、何かあやしいことがあったとしても、声をたてれば、すぐたすけにきてくれると、安心はしていても、やはり、なんとなくしんぱいで、ねむってしまうことはできません。
そのとき、どこかの裏のほうで、ピリピリ……と笛の音がしました。警官のもっている呼びこのようでした。それは、刑事のひとりが道化服の男をみつけて、おっかけながら吹いた、あの呼びこだったのですが、文代さんはそれとは気づきません。しかし、何かおこったのではないか、透明怪人が、しのびこもうとしているのではあるまいかと、にわかに胸さわぎがしてきます。文代さんは、思わず、ベッドの上に、起きなおって、耳をすましました。
すると、呼びこの音があいずででもあったように、入り口のドアが、スーッと音もなくひらいたではありませんか。ギョッとして、見つめると、ひらいたドアのそとに、中村係長と黒川記者が、ものものしいようすで、立っていました。
文代さんが、びっくりして、何か、言おうとしますとふたりとも、指を口の前にたてて、「だまって。」という、あいずをしました。そして、一方の手で、しきりに手まねきをするのです。
文代さんは、なんだか夢を見ているような気持ちでした。いそがしく、手まねきされるものですから、ベッドをおりて、さいわい、昼間の着物をきていたので、そのまま、入り口のふたりに近づきました。
「ここにいてはあぶない。あんぜんなところへ、おつれします。おおいそぎです。あとで、わけはゆっくり話します。」
中村係長が、文代さんの耳に口をつけてあわただしく、ささやきました。そして、文代さんは、何を考えるひまもなく、ふたりに両手をひかれて、裏庭のほうへ、いそぐのでした。
ちょうどそのころ、裏のコンクリート塀のそとに、またしても、みょうなことがおこっていました。
ふたりの刑事は道化師をおっかけて、裏のくぐり戸を、あけはなしたままにしておいたのですが、そのくぐり戸を、何か小さな黒い影が、目にもとまらぬ早さで、すべりだすと、道化師が逃げたのとははんたいの方角へ、塀のかげをつたいながら、チョコチョコとすばしっこく、走っていくのです。
百メートルほど、走ると、そこの町かどに、一台の自動車がとまっていました。中には運転手がひとりいるばかりです。ヘッド・ライトは消してありますし、車内の電灯もついていないので、運転手のすがたも見わけられないほどです。
一寸法師のような黒い影は、手に四角なブリキカンのようなものを、さげていました。そして、自動車のうしろへ近づくと、黒い影は、車体の下へ、もぐりこむように見えましたが、それも、ほんのわずかのあいだで、やがて、自動車をはなれて、サッと、そばの電柱のかげに、身をかくしました。ふしぎなことに、そのときには、黒い影の手には、ブリキカンがなくなっていました。
一寸法師の影が、電柱のうしろに、かくれたかと思うと、探偵事務所の方角から、三人のおとなの影が、いそぎ足で近づいてきました。まん中にいるのは女のようです。それをふたりの男が、りょうほうからはさむようにして、あるいてくるのです。そして、自動車のそばによると、いきなりドアをひらいて、つぎつぎに、その中へはいってしまいました。
すると、自動車はエンジンの音をたてながら、スーッとすべりだして、見るみるうちに、やみの中へ、すがたを消していきました。ヘッド・ライトを消したままです。
それを見おくるようにして、電柱のかげから、さっきの一寸法師のような黒い影があらわれ、そのまま探偵事務所のほうへ、走りだしました。目にも見えない、すばやさで、チョコチョコと走って、たちまち、もとのコンクリート塀の、くぐり戸から、事務所の庭にはいっていったのですが、そのとき、ヒョイとふりむいた顔を、街路灯の光が、まざまざと、照らしだしました。それは、小林少年でした。リスのようにすばしっこい、少年探偵の小林君でした。
小林君は、あの自動車の下にもぐりこんで、何をしたのでしょう。また、小林君がさげていたブリキカンのようなものは、いったい、なんだったのでしょう。じつは、この小林君のふしぎな行動が、もとになって、少年探偵団の大活躍が、はじまるのですが、それは、もっとあとのお話です。
場面は一転して、こんどはやみの中に消えていった、怪自動車の内部です。その座席には、明智夫人の文代さんが、中村係長と黒川記者に、りょうほうから、はさまれて、腰かけていました。さっき、小林少年の目の前で、自動車に乗った三つの黒い影は、この人たちだったのです。
自動車が、走りだしたかと思うと、文代さんは、「アラッ!」と、するどいさけび声をたてました。そして、いきなり身もだえをはじめたのです。
むりもありません。自分をまもってくれるとばかり思っていた、中村係長と黒川記者が、おそろしいことをはじめたからです。
黒川は文代さんの首のうしろから、手をまわして、手ぬぐいのようなもので、文代さんの口のへんをしばろうとしているのです。声をたてさせないためです。また、中村係長は、文代さんが身うごきしないように、そのからだを、グッとだきすくめています。
ふたりの大の男が、りょうほうから、かかってくるのですから、かよわい文代さんは、どうすることもできません。たちまち、さるぐつわをはめられ、グッタリとなってしまいました。
いったい、これはどうしたことでしょう。文代さんをまもるために、探偵事務所にとまった、警視庁の捜査係長と、大新聞社の記者が、いまは、おそろしい敵になって、文代さんを、どこかへ、つれさろうとしているのです。このふたりは、怪老人の魔法に、かけられてしまったのでしょうか。そして、にわかに、怪老人の手下になってしまったのでしょうか。
黒川記者は、文代さんの口をしばってしまうと、座席から腰を浮かして、自動車のドアに手をかけました。
「じゃあ、いいね。たのんだよ。」
中村係長に、そう言いのこして、パッとドアをひらく。すると運転手は気をきかせて、自動車の速度をグッとゆるめる。それをまって、黒川記者はヒラリと、やみの中に飛びおりてしまいました。
こうして、文代さんは、どこともしれず、つれさられたのです。いったい、その行くさきは、どこだったのでしょうか。そして、中村係長と黒川記者は、どういうわけで、こんな悪事をはたらいたのでしょう。また、小林少年が、それと知りながら、文代さんを助けもせず、みょうなブリキカンのようなものを自動車の車体の下にとりつけたのは、そもそも、何を意味するのでしょう。
それらのひみつは、まだ、くらやみにとざされています。しかし、まもなく、すっかりわかるときがくる。それも、さして遠いことではありません。
さて、お話はまた一転して、その夜、べつの場所におこった、もう一つの、ふしぎな事件にうつります。