校庭の異変
ここは千葉県市川市から、あまり遠くないS村の、S小学校の校庭です。
世界劇場の塔から、四十面相が、アドバルーンでとびさった、あくる日のお昼すぎのことです。ちょうど、やすみ時間で、生徒たちは、S小学校のひろい校庭に、みちあふれていました。
野球をするもの、かけっこをするもの、すみのほうにかたまって、女の子らしいあそびをしている女生徒たち、ほうぼうから、ワーッ、ワーッ、という声があがって、たいへんな、さわがしさでした。
そのとき、まっさおに晴れわたった空の、はるかかなたにポッツリと、黒い点があらわれ、それが、すこしずつ大きくなっていきました。
その黒い点が、だんだん、ふくれて、野球のボールほどになったとき、校庭であそんでいた生徒のひとりが、やっと、それに気づきました。
「みてごらん、ホラ、あすこから、へんなものが、とんでくるよ。」
すると、まわりにいた、ほかの生徒たちも、空のかなたをみつめました。
「へんだなあ。あれ、空とぶ円盤かもしれないよ。」
「まさか。でも、だんだん大きくなるね。こっちへ、とんでくるんだよ。」
そのまるいものが、フットボールぐらいの大きさになったときには、校庭にいた生徒のぜんぶが、空をみつめていました。何百人の男の子と女の子が、もう身うごきもしないで、一つところを、みつめているのです。いままで、さわがしかったのが、シーンと、しずまりかえって、なんだか、おそろしいような感じでした。
「やあ、なんだか、さがっているよ。赤い字だよ。」
「ふうせんだ。やあ、銀色に光ってらあ、あれ、広告ふうせんだよ。」
はじめは黒く見えていたのが、大きくなるにしたがって、銀色に光ってきたのです。
「アドバルーンだ。あれ、アドバルーンっていうんだよ。」
みんながガヤガヤ言っているあいだに、その銀色の大ふうせんは、風におくられて、グングンちかづいてきました。
「やあ、へんだなあ。つなに人間がぶらさがってらあ。まっ黒な人間が、ぶらさがってらあ。」
少年たちは、怪人四十面相が、アドバルーンにつかまって逃げたことを、まだ知りません。ですから、まっ黒な人間のさがったふうせんが、とんできたのが、ふしぎでしかたがありませんでした。
あまり、さわがしいので、先生たちも、校庭へ出てこられましたが、先生にもわけがわかりません。みんなといっしょに、空をながめて、ふしぎがるばかりです。
大ふうせんは、もう、みんなの頭の上に、せまっていました。浮く力をうしなって、おそろしい、いきおいで、落ちてくるのです。ガスがぬけてしまったのか、銀色の大ふうせんは、いっぱい、しわがよっています。
「わあ、でっかいなあ。」
ほんとうに、でっかいふうせんです。
「あの黒い人、死んでるのかしら。ちっともうごかないわ。」
女の子が、目ざとく、それに気づいて、かんだかい声で、さけびました。
「ほんとだ。死んでるのかもしれないね。」
「わあ、たいへんだ。ふうせんは、ここへ落ちてくるよ。」
いかにも、大ふうせんはS小学校の校庭をめがけて、グングン落ちてくるのです。
「みんな、あぶないから、教室のほうへ、よるんだ。」
先生のさけび声に、生徒たちは、なだれをうって逃げまどいます。
「ワーッ、落ちた、落ちた。」
ワーッ、ワーッという、さわぎのなかに大ふうせんは校庭に落ちてきました。そして地面とすれすれに、フワフワと風にふきおくられています。そのうしろのつなには、かたちのくずれた赤い布の大文字がくっつき、あのまっ黒な人間も、いっしょに、ズルズルと地面をひきずられていくのです。
上級生のゆうかんな少年たちが、十人ほど、大ふうせんにむかって、かけよりました。そして、みんなで、つなにすがりついて、ふうせんが風にふかれるのを、ひきとめてしまいました。
すると、先生がたも、そこへ、かけつけて、まっ黒な人間を、だきおこそうとしました。
「アッ、これは人間じゃない。」
「エッ、人間じゃないって?」
「さわってみたまえ、ゴツゴツしている。こんなかたい人間って、あるもんか。」
ふたりの男の先生は、ふしぎそうに、顔を見あわせていましたが、ひとりの先生が、いきなり、その黒い人間のかぶっていた、ふくめんをはぎとりました。
「なあんだ。こりゃあ人形じゃないか。よくショウウインドウにかざってある、マネキン人形だよ。」
「どうりで、なんだか、かたいとおもった。やっぱり人間じゃなかったのだね。」
先生は安心したように、つぶやくのでした。それを聞くと、生徒たちも、ワーッと、そこへかけよりました。そして、黒衣の人形をとりかこんで、押すな押すなのさわぎです。
それから、まもなく、学校の小使いさんの知らせによって、駐在所の警官が、かけつけてきました。警官は怪人四十面相がアドバルーンで逃げたことを、ちゃんと知っていたのです。しらべてみると、たしかに、世界劇場のアドバルーンでした。透、明、怪、人という大文字が、なによりのしょうこです。
それなのに、そのふうせんに、ぶらさがっていたのが、四十面相ではなくて、人形だったとは、いったいどうしたわけなのでしょう。警官は首をかしげて、考えこんでしまいました。
読者諸君、このわけが、おわかりですか。
あの悪がしこい四十面相が、海のまんなかへ落ちるかもしれないアドバルーンなどで逃げるはずがありません。かれは、いざというときの身がわりに、まえもって、人形を用意しておいたのです。黒いシャツを着せ、黒ふくめんをさせた人形を、塔の屋上の、コンクリートの怪獣のかげに、かくしておいたのです。
そして、その人形をアドバルーンのつなに、しばりつけ、さも、自分が空中へ逃げたように見せかけたのです。警官隊も、消防官も、この思いもよらぬ、ごまかしに、まんまとひっかかってしまったのです。
しかし、それなら、ほんとうの四十面相は、いったい、どこへ、かくれてしまったのでしょう。警官隊にとりかこまれた、あの塔の上から、逃げるみちは、空へでものぼるほかには、まったくなかったはずではありませんか。
そこが奇術師の怪人四十面相です。かれは、みんなの目を、アドバルーンに、ひきつけておいて、そのすきに、ふしぎな手品を、つかったのです。あのおおぜいの警官隊の目を、みごとに、くらましてしまったのです。