赤いポスト
小林君は、やにわにかけだして、むこうの町かどまで行ってみました。しかし、どちらを見ても、人かげはありません。しかたがないので、また、もとのところまで、もどってきました。そして、そこに、つっ立ったまま、ながいあいだ、じっとしていました。ちょうど、ネコがネズミを見うしなったときのように、あたりを見まわしながら、息をころして、じっと考えていたのです。しかし、夜の屋敷町には、なんのかわったことも、おこりません。まるで、この世から、人間がいなくなってしまったように、シーンと、しずまりかえっているばかりです。
さすがの小林君も、とうとう、あきらめたようです。チェッと舌うちをして、肩をすぼめると、そのまま、もと来たほうへ、立ちさってしまいました。
小林君がいなくなって、しばらくのあいだは、なにごともおこりませんでした。町は、水の底のように、しずまりかえっていました。ところが、十分ほどたったかと思われるころ、じつに、なんともいえない、きみの悪いことが、はじまったのです。
その町かどのコンクリートの塀の前に、赤い郵便ポストが立っていました。遠くの街灯のひかりが、ボンヤリと、それをてらしています。その赤いポストが、しずかに、しずかに、ジリッ、ジリッと、まわっているのです。コンクリートでできたポストが、まるで生きもののように、からだをまわしていたのです。
ポストの上のほうに、手紙をいれる横に長い穴があります。そのまっ黒な穴のなかから、なにかキラッと、光るものが見えました。目です。人間のだか、動物のだかわかりませんが、二つの大きな目が、そこから、そとをのぞいているのです。ポストを、ジリッ、ジリッとまわしながら、その二つの目が、あたりを、くまなく見まわしているのです。
つぎには、もっと、きみの悪いことが、おこりました。
赤いポストが、まわるだけでなくて、横にうごきだしたのです。ゆっくり、ゆっくり、まるで虫がはうように、コンクリートの塀にそって動いているのです。そして、いつのまにか、もとの場所から十メートルもへだたったところへ、行っていました。ポストは生きているのです。生きて、歩きだしたのです。
ところが、そのつぎには、もっと、もっと、おそろしいことが、おこりました。
ポストの下の石の台が、ユラユラと動いて、その下から、黒い手ぶくろをはめた、人間の手が二本、ニュッと出たのです。そして、その手が、石の台を、かるがると持ちあげたかと思うと、石の台も、赤いポストも、クルクルと、まきあがるように、上のほうへちぢんでゆくのです。みるみる、ポストの三分の一ほどが、地面から上のほうへもちあがり、その下から、ニューッと二本の足が、あらわれました。黒い警官のズボンとクツです。
ポストは、まだまだちぢんでゆきます。警官服の胸があらわれ、肩があらわれ、ついに顔まであらわれました。ああ、やっぱりそうでした。ポストの中にかくれていたのは、四十面相だったのです。四十面相の顔が、遠くの街灯のひかりをうけて、ニヤリと笑いました。
ポストは、四十面相の頭の上で、大きな赤いおぼんのように、ひらべったく、ちぢんでいました。コンクリートのポストが、そんなにちぢんでしまうなんて、いったい、どうしたしかけなのでしょう。
これは、四十面相の発明したかくれみのでした。そのポストは、たくさんのうすい金の輪を、かさねあわせてつくったもので、ちょうど手品師の持っているステッキのように、自由にのびたり、ちぢんだりするのです。のばせばポストの高さになり、ちぢめれば五センチほどのあつさの、大きなおぼんのようになってしまうのです。まあいってみれば、うすい金属でできた、ちょうちんのようなものだったのです。
それにポストと同じ赤いペンキがぬってあって、金属の輪のつぎめも、ひじょうに、うまくできているので、うすぐらい場所では、ほんもののポストとそっくりに見えたのです。
四十面相は、さっき、小林君に尾行されていると気づいたとき、町かどをまがると、かかえていたふろしきづつみを、おおいそぎでほどき、赤い、大きなおぼんのようなものを、頭の上にのせて、カチッと、とめがねをはずしたのです。すると、かさなりあっていた、うすい金属の輪が、サーッと下におりて、ポストのかたちになってしまいました。金の輪でできた石の台まで、ちゃんとついています。ふろしきをといてから、ポストのかたちができるまで、三十秒もかからなかったでしょう。
こうして、四十面相は、みごとに忍術を使いました。ポストというかくれみのの中にはいって、この世から、すがたを消してしまったのです。なんとまあ、きばつなかくれみのではありませんか。
その町かどには、もともと、ポストはなかったのです。しかし、小林君は、そんなことは知りません。いちども来たことのない町ですから、ほんとうのポストだと、思いこんでしまったのです。まさか、四十面相が、こんな、のびちぢみ自在のポストを、用意していようとは、いくら名探偵の小林君でも気がつくはずがありません。小林君は、このお化けポストに、まんまとだまされてしまったのです。
四十面相は、かくれみののポストを、五センチほどにちぢめてしまうと、ポケットに入れておいたふろしきで、もとのようにつつみました。大きなおぼんのかたちになったのです。
かれは、そのふろしきづつみを、ひとふり振って、ヒョイと、コンクリートの塀の中へ、投げこみました。そして、そのそばに立っていた電柱に、両手をかけたかとおもうと、まるでサルのように、スルスルとそれをのぼり、そこから塀の上にとびついて、そのまま、その大きな屋敷の中へ、すがたをかくしてしまいました。
四十面相は、そのあいだも、たえずニヤニヤ笑っていました。小林少年というチンピラ探偵に、まんまといっぱいくわせたのが、ゆかいでたまらなかったのです。
しかし、チンピラ探偵は、はたして、いっぱいくわされたのでしょうか。子どもながらも、明智探偵のだいじな弟子です。しかも、あいては、うらみかさなる怪人四十面相です。むざむざ、まけてしまうはずはありません。凶賊と少年探偵のたたかいは、いよいよ、これからなのです。
それにしても、四十面相は、このコンクリート塀の大邸宅に、しのびこんで、なにをするつもりでしょう。ただ、そこから、べつの町へぬけだして、逃げるだけのためだったのでしょうか。もっとほかに、大きなもくろみが、あったのではないでしょうか。