魔法の種
しかし、読者諸君、手足をグルグルまきにしばられて、たたみの上にころがっている小林君の顔を、ちょっと、ごらんなさい。もうだめだと、あきらめてしまって、グッタリしていたでしょうか。どうして、どうして。かれは、にこにこ笑っているのです。リンゴのようなほおは、すこし青ざめていましたが、けっして、あきらめた顔ではありません。
小林君は、自信ありげでした。なにか、思いもおよばないような、てだてを、ちゃんと、用意していたのかもしれません。なわをとき、密室をぬけだすてだてです。そして、四十面相をひきとめるてだてです。百科事典に化けたほどの小林君ですから、なにか、とほうもない魔術を思いついたのかもしれません。
よく見ると、うしろ手にしばられて、ころがっている、小林君の右手の指が、機械のように、小さく動いていました。人さし指と中指が、しばられたなわの中で、ゴシゴシ、ゴシゴシと、まるで、のこぎりのように、たえまなく動いているのです。
一分もたたないうちに、なわの一本が、プツンと切れ、たちまちなわがゆるんで、両手が自由になってしまいました。
むろん、小林君の指がなわを切ったのではありません。指のあいだに、はさんでいた安全カミソリのような、はものがなわを切ったのです。小林君は、さっき、よろいの中からひきだされ、二階へはこばれるあいだに、ポケットにかくしていた、カミソリのようなはものを、指のあいだにはさんで、しばられたときの用意をしていたのです。
両手が自由になれば、あとは、なんでもありません。さるぐつわをとり、足のなわをほどき、見るまに、からだぜんぶが、自由になってしまいました。
それから、小林君は立っていって、入り口のドアを押したり、引いたりしてみましたが、ビクともうごきません。たしかに、そとからかぎがかかっています。つぎに、小林君は、押しいれの戸をあけて、中をのぞいてみました。
「ウン、いいものがあるぞ。これをつかってやろう。」
ひとりごとを言いながら、押しいれの中から、三枚の座ぶとんをだして、たたみの上におくと、こんどは、きていたセーターをまくりあげて、腹のところに、かくしていた、一つのふろしきづつみを、ひきだしたかと思うと、いきなり、そこにあぐらをかいて、ふろしきをひろげました。
ふろしきの中には、二十センチほどの長さの竹のつつが三本と、しぼんだゴムふうせんのようなものが三つ四つと、針金の輪になったたばが一つ、はいっていました。
小林君は、それらの品を見て、さもおかしそうに、ニヤニヤと笑いました。どうやら、これらの奇妙な品々が、小林君の魔法の種らしいのです。
小林君は、ふろしきの上を見まわしていましたが、まず、しぼんだゴムふうせんの一つをとって、口にあてると、プーッと、息をいれはじめました。
ふうせんは、みるみる、ふくれてきます。へんな色です。半分ほどは、まっ黒で、半分ほどは、すこし黄色がかった白っぽい色がぬってあるのです。それが、またたくまに、小林君の顔と同じぐらいの大きさに、ふくらみました。小林君の顔がふたつになったような感じです。
そうです。ほんとうに顔がふたつになったのです。ゴムふうせんは、人間の首のような、かっこうにできていました。
頭は黒く、耳と鼻がすこし出っぱり、まゆも、目も、口もちゃんとかいてあります。しかも、それが小林君と、そっくりの顔なのです。
小林君は、ゴムふうせんのはじを糸でしばり、それを自分の顔のまえにもってきて、にらめっこをしました。
「ウフフフ……、よくできたねえ、おまえ。ぼくとそっくりだよ。まるで、鏡を見ているようだ。」
小林君は、そんなことを言って、ゴムふうせんのほうを、指でポンとはじいてみました。すると、少年の顔をしたふうせんは、「いや、いや。」というように、首を左右にふるのでした。
小林君は、このゴムふうせんで、いったい、なにをしようというのでしょう。三枚の座ぶとん、三本の竹のつつ、針金のたば、これが、どんな魔法の種になるのでしょうか。竹のつつは、なんだか花火のつつに、似ています。ふうせんと花火、それから、座ぶとんと針金、読者諸君、この秘密が、おわかりですか。つぎの章を読むまえに、ひとつ、小林君の魔法をあててみてください。
老人に化けた四十面相は、小林君を二階にとじこめ、安心して、出かける用意をしていました。机の上をせいりし、金庫にかぎをかけ、小僧をよんで、留守ちゅうのことを言いつけ、さていよいよ、出かけようとしたときに、とつぜん、
「火事だあ、火事だあ。」
という、さけび声が、二階のほうから、ひびいてきました。
おどろいて、階段の下にかけより、上を見ますと、かすかに白い煙が、はいおりてきます。どうしたわけか、二階で火事がおこったのです。さけんでいるのは、なんだか、小林君の声らしいのです。少年は、密閉された部屋の中で、煙にむせているのかもしれません。
「いけないッ、小林をたすけなければ……。」
四十面相は、とっさに、そう考えました。かれは、いくら悪いことをしても、けっして、人を殺さないというのを、じまんにしていました。もし、小林君がやけ死にでもしたら、日ごろのじまんが、むだになってしまうのです。
四十面相は、いきなり、階段を、かけあがりました。見ると小林君をとじこめた部屋の板戸のすきまから、黄色い煙がもうもうと、ふきだしています。うたがいもなく、中に火事がおこっているのです。
小林君のさけび声は、バッタリととだえてしまいました。火にかこまれて、もう気をうしなっているのかもしれません。
四十面相は、いそいで、ポケットからかぎたばを、とりだしました。かれは、うちじゅうのかぎを、金の輪にはめて、いつもポケットに、いれているのです。そのかぎたばから、一つのかぎをよりだし、板戸の錠まえをひらきました。
ドアをあけると、パッと顔にふきつけてくる、おそろしい煙のうず。四十面相は、思わず、目をふさいで、タジタジと、あとじさりをしましたが、気をとりなおして、目をひらき、煙の中をすかして見ますと、部屋のむこうのすみに、小林少年がしばられたまま、たおれているのが、かすかに見えました。
四十面相は、ハンカチで、口と鼻をおおい、勇気をふるって部屋の中へ、とびこんでいきました。そのとき、かれと、いれちがいに、ひとりの小さな人間が、スーッと部屋から出て、入り口の板戸をしめ、そとから、錠をおろしてしまったのを、すこしも知りません(その錠は、かぎがなくてもしまる南京錠でした)。四十面相は、むこうにたおれている小林君のすがたに気をとられ、わきめもふらずに、まっしぐらに、そのほうへ、すすんでいったからです。
部屋の中へはいってみると、思ったほどの煙もなく、どこにも火はもえていませんでしたが、四十面相は、そこまで考えるひまもなく、いきなり小林君のところへ、ちかづいて、たすけおこそうとしました。
ところが、小林少年の首のところに、手をかけて、グッとひっぱると、ギョッとするような、へんなことがおこりました。少年の首が、とつぜん、胴体からはなれて、フワフワと、宙にういたのです。そして、まるで、お化けのように、たたみとすれすれに、むこうのほうへ、ころがっていくのです。
さすがの四十面相も、この怪異を見て、びっくりしましたが、たちまち、ことのしだいをさとって、そこにころがっている小林少年の胴体を、つかみあげました。すると、あんのじょう、それは座ぶとんをまるめて、その上から、ネズミ色の大ぶろしきをかぶせ、なわをグルグルまきつけて、人間の胴体らしく見せかけたものに、すぎませんでした。
あたりを見まわしても、どこにも火のもえているようすはなく、三本の竹のつつが、あちこちにころがって、それが煙をふきだしているばかりでした。その竹のつつは、花火ではなくて、火をつけると、もうもうと煙をふきだす発煙筒だったのです。
これが小林君の魔法でした。忍術の火遁の術に似ていますが、火はもえなかったのですから、煙遁の術とでもいうのでしょうか。つまりゴムふうせんと、座ぶとんと、ふろしきで、自分の身がわりをつくり、発煙筒に火をつけて、ドアのすきまから煙をだし、「火事だあ、火事だあ。」とさけんで敵をおびきよせ、敵が身がわり人形に、気をとられているすきに、部屋から逃げだすという、うまいくふうだったのです。
小林君は、古道具屋の店にしのびこむときに、まんいち発見されたら、どうなるかということを考え、四十面相にしばられ、部屋にとじこめられたばあいのために、ちゃんと、こういう用意をしておいたのです。
それにしても、ふろしきの中にあった針金のたばは、どこにも、つかわれなかったようですが、いったい、なんのために、用意したのでしょうか。それはこういうわけです。もし、その部屋に、座ぶとんもなにもなかったとすれば、身がわり人形の胴体をつくることができません。針金はそのときの用意なのです。針金をのばして、人間のからだのようにおりまげ、その上からふろしきをかけておけば、座ぶとんなどよりも、いっそう、ほんものらしく見えるのです。ふろしきが、ばかに大きかったのも、その色が、小林君のきているセーターやズボンと同じだったのも、みな、ちゃんと考えて、用意したことなのです。
四十面相が、それらの、いっさいのことを、さとったときには、小林少年は、もう遠くへ逃げてしまっていて、いまさら、追っかけても、むだなことがわかっていました。さすがの四十面相も、こんどは、まんまと、いっぱいくわされたのです。
もうグズグズしてはいられません。小林少年は、この四十面相のかくれがを、警察にしらせたかもしれないからです。いまにも、警官の一隊が、この古道具屋へ、おしよせてくるかもしれないからです。
そうかといって、電話でやくそくした宮永家へも、うっかり行くわけにはいきません。小林君がよろいの中にかくれて、あの電話をきいていたとすれば、宮永氏のうちを電話帳でしらべて、先まわりをしているかもしれないからです。そして、そこにも警官がまちぶせていないとはかぎらないからです。
四十面相は、もうどうすることも、できなくなってしまいました。では、かれは、いよいよ、小林君にまけて、かぶとをぬいだのでしょうか。そして、宮永氏の黄金どくろも、古道具屋の店もすてて、身ひとつで、逃げだしたのでしょうか。いや、いや、怪人四十面相は、そんな気のよわい男ではありません。こんな冒険が、なによりも、すきなのです。身があやうくなればなるほど、たのしくなり、わる知恵が、わきあがってくるのです。
四十面相は、三本の発煙筒を、窓から庭へなげすて、部屋を出ようとしました。しかし、入り口の板戸には、そとから、錠がおりていて、おせども、ひけども、ビクともするものではありません。こんどはぎゃくに、四十面相のほうが、密室にとじこめられてしまったのです。
四十面相は、ニヤリと笑いました。かれにとって、板戸の一枚ぐらい、やぶるのは、あさめしまえのしごとです。
かれは、いきなり、肩で、板戸にぶっつかりました。二度、三度、ぶっつかっていると、板戸はメリメリと音をたてて、そのまんなかに、大きな穴があきました。四十面相は、両手でその穴をひろげ、そこをくぐって、いきなり、そとへ、とびだしました。そして、やっぱり、ニヤリニヤリと笑いながら、いそいで、階段をかけおりるのでした。
しかし、かれは、これから、なにをしようというのでしょう。どうして、このあぶない立ちばを、のがれようというのでしょう。
「なにくそッ、四十面相の知恵を、はたらかせるのは、こんなときだぞ。いまにみろチンピラ探偵め、アッと言わせてやるから。」
かれは、そんな、のろいのことばをはきながら、なにかいそがしそうに、用意をはじめるのでした。