変装術
それから、じつにみょうなことが、はじまったのです。明智探偵ともあろうものが、とほうもないことを、やりだしたのです。
手洗い所にはいって、あんないの女中が立ちさると、探偵は、入り口のドアをしめて、ポケットから、針金のまがったものを、とりだし、それをかぎ穴にいれて、カチカチ音をさせていたかと思うと、ピチンとかぎがかかってしまいました。つまり、自分を、手洗い所の中へ、とじこめてしまったのです。そとから、だれかがあけようとしても、ひらかないようにしたのです。明智は、いったい、なにをはじめるつもりでしょう。
部屋の一方に洗面台があって、その上のかべに、大きな鏡が、はめこみになっています。明智はその前に立って、自分の顔を、鏡にうつしました。
「フフン、明智先生、きみとも、もうおさらばだよ。」
みょうなひとりごとを言って、ニヤリと笑ったかと思うと、かれは、自分の頭を両手でつかんで、モジャモジャのかみの毛を、いきなり、はがしはじめました。すると、頭の皮が、スルスルと、めくれてしまったではありませんか。いや、頭の皮ではありません。それは、ひじょうによくできたカツラだったのです。
カツラをはいでしまうと、その下から、ほんとうの頭があらわれました。すそのほうを、みじかくかって、七三に分けた黒いかみの毛です。
とくちょうのあるモジャモジャ頭がなくなると、明智の顔が、すっかり、かわってしまいました。それは、もう、明智探偵ではありません。えたいのしれぬ、ひとりの、あやしげな男です。
男は、カツラを洗面台におくと、こんどは、ポケットから、銀色の、まるいコンパクト(おしろい入れ)を出して、パチンとひらき、その中にはいっている赤黒いえのぐのようなものを、両手の指につけると、それを、顔いちめんにぬりつけるのでした。
鏡のなかの男の顔は、みるみる赤黒くかわっていきました。それから、黒いチョークのようなもので、まゆげをふとくぬり、目のまわりも、うす黒く、いろどりますと、いままでの、白い明智の顔が、日にやけた、わかい労働者の顔に、かわってしまいました。
男は鏡をのぞいて、さも、まんぞくらしく、ニヤリと笑いましたが、つぎには、着ていた黒い背広とズボンとワイシャツを、てばやく、ぬぎすてました。すると、ワイシャツの下に、きたないセーターを、着こんでいることがわかりました。
それから、上着とワイシャツは、小さくまるめて、洗面所のすみにあったくず箱の底におしこみ、ズボンは、うらがえしにして、はきました。すると、いままでの、黒の背広のりっぱな紳士が、たちまち、うすぎたない労働者の若者にかわってしまいました。ズボンのおもては、きれいな黒ラシャですが、それをうらがえすと、きたないカーキ色のもめんに、かわるのです。おもてと、うらと、両方つかえる、変装用のズボンなのです。
たった三分でした。三分のあいだに、明智探偵は、きたないセーターに、カーキ色のズボンをはいた若者に、はやがわりをしてしまったのです。
その男は、すっかり、みなりをかえると、もういちど、鏡のなかをのぞきこんで、ぶきみな笑いを、もらしましたが、セーターのすそをまくって、腹のへんにかくしていた、もみくちゃになった鳥打帽をとりだし、その中にまるめてあった、十センチ四方ほどの紙をたばにしてとじたものを、左手にもち、鳥打帽は頭にのせました。これですっかり、用意ができたのです。
男は、さっきの、まがった針金で、入り口のドアをひらくと、ソッと廊下に出ました。さいわい、あたりに、人かげもありません。男はまたニヤリとして、すこしも足音をたてない歩きかたで、かげのように、玄関までたどりつき、そのまま、門のほうへ、歩いていきました。
そのじぶんには、宮永家の門前には、私服や制服の警官が四、五人、見はりをしていました。明智探偵からの電話で、警視庁から、かけつけた人たちです。
変装した男は、左手に持った紙のたばを、ヒラヒラと、見せびらかすようにして、警官たちの前を、通りかかりましたが、すると、ひとりの警官が、
「オイ、きみはだれだね。」
と、よびかけました。
「電灯会社です。メーター調べですよ。」
若者は、手にした紙のたばを、警官の目のまえに、さしだしました。それは電灯のメーターの数字を書きいれる、印刷した紙をとじたものでした。
「アア、そうか。よろしい。」
警官がうなずいてみせると、若者はピョコンと、ひとつ、おじぎをして、そのまま、いそぎあしに、立ちさってしまいました。
警官たちは、古道具屋の老人に化けた四十面相を、まちぶせていたのです。それは、これから、やってくるはずでした。中から出てくる人を、うたがう必要は、すこしもなかったのです。電灯会社のメーター調べという答えに、アア、そうかと、見のがしてしまったのは、むりもないことでした。
ところが、それから五、六分たったかと思うころ、一台の自動車が、門前にとまり、中から、黒い背広を着た明智探偵があらわれ、警官たちのそばへ、近づいてきました。
「アッ、明智先生ですか。」
ひとりの私服の警官が、みょうな顔をして、明智の前に、立ちふさがりました。
「ヤア、ごくろうさん、ぼくのまえに、だれもこなかっただろうね。」
明智が、にこにこしてたずねますと、警官は目をパチパチさせて、ひどく、どもりながら、へんなことを、言いだしました。
「あなたは、ほんとうに、明智先生ですか。」
「ほんとうだとも。なにか、あやしいと思うわけがあるのですか。」
「それがあるのですよ。わたしたちは、十分ほどまえに、ここへついたのですが、ここのうちの女中にきいてみると、明智先生と小林君とが、いま客間で、ご主人と話しているところだということでした。ですから、明智先生は、このうちのなかに、おいでになるとばかり思っていたのですよ。そこへ、いまごろになって、また先生がこられるというのは……。」
「エッ、ぼくが、うちのなかにいるって? まちたまえ。それじゃあ、きみたちがここへ来てから、だれか、この門を出ていったやつがあるね。あるだろう?」
「出ていったといえば、ついいましがた、電灯のメーター調べの男が、出ていったばかりですが……。」
「どのくらいまえだね。」
「五分ほどまえです。」
「それじゃ、もうおっかけても、しかたがないね。たぶん、もうひとりのぼくが、メーター調べに化けて、きみたちの目をくらましたのだよ。」
「エッ、もうひとりの明智先生ですって?」
警官は、びっくりしたように、明智の顔をみつめました。
「たぶん、それが四十面相だ。きわどいところで、ぼくに先手をうって、黄金どくろの文句を、ぬすみに来たんだ。あいつは、変装の名人だよ。これまでにも、たびたび、このぼくに化けたことがある。そして、もくてきをはたすと、こんどはメーター調べに変装して、きみたちをだしぬいたのさ。あいつのやりそうなことだ。たぶん、この、ぼくの想像は、まちがいないよ。宮永さんにあって、聞いてみればわかることだが……。」
「先生、もうしわけありません。つい、ゆだんしてしまいました。それじゃ、宮永さんに、たしかめてから、非常線をはります。風体はハッキリわかっているのですから。」
「だめだよ。いまごろは、もう、メーター調べの服装をぬいで、まったくちがったものに、化けてしまっているよ。あいつは魔法使いのような、変装の名人だからね。」
明智は、にが笑いをしながら、警官たちを、そこにのこして、門の中へはいっていきました。
そして、宮永さんと小林少年にあってみますと、明智の想像が、ピッタリとあっていたことが、わかりました。四十面相の変装術は、小林少年にさえ、見わけられなかったのです。小林君は、さっきまで客間にいた男を、ほんとうの明智先生と、信じていたのでした。
こうして、四十面相は、第四の黄金どくろの秘密を、まんまとぬすんでしまったのです。そこにほりつけてある、暗号のかな文字を、しっかりおぼえこんで、立ちさったのです。いまごろは、もう、四つのどくろの文句をくみあわせて、秘密をといてしまったかもしれません。
明智探偵は、おおいそぎで、宮永さんの黄金どくろの文句を調べ、小林君から聞いていた、三つの黄金どくろの文句と、ひきくらべました。しかし、この、奇妙な暗合が、そうやすやすと、とけるものではありません。そこで、明智は、事務所にかえってから、暗号をとくことにして、ひとまず、宮永さんにいとまをつげ、小林君をつれて、門前にまたせてあった自動車に、のりこむのでした。