動くかべ・走る小人
麻ひもが百メートルものびたところで、道は、またひろい場所に出ました。岩の天井は、懐中電灯のひかりも、とどかないほど高く、左右の岩かべも、遠くはなれて、人々は、はても知らぬ暗やみに、つつまれているような、なんともいえぬ心ぼそさでした。
その暗やみを、麻ひもにすがって、トボトボと歩いていますと、人間の世界から、何千キロもはなれた、遠い遠い地獄の底にいるようで、ふたたび、生きて人間界に、かえることができるのかと、うたがわれたほどです。
そのとき、ひろいやみの中に、おそろしいさけび声が聞こえました。
「アッ、岩が動いている。あれ、あんなに、あんなに……。」
それは人間の声とも思われぬ、ものすごいひびきでした。そして、同じことばが、
「あんなに、あんなに、あんなに……。」
と、暗やみのほうぼうから、かさなりあって、ひびいてくるのです。おおぜいの人が、どこかに、かくれてでもいるように。
みんなは、びっくりして、立ちどまりましたが、やがて、それは「こだま」にすぎないことが、わかりました。小林少年がとんきょうな声をたてたので、それが、ひろい洞窟に反響して、同じことばが、いくつも、いくつも、聞こえてきたのです。
「こだま」とわかったので、安心しましたが、しかし、「岩が動く」というのは、ゆだんがなりません。もしや地底に異変がおこって、洞窟そのものが、くずれるのではないでしょうか。人々は、やはり、立ちすくんだまま、小林君の懐中電灯がてらしている岩かべを、みつめました。
五メートルほど、はなれた、ひろい、デコボコの岩かべを、懐中電灯の、まるいひかりが、ゆっくりと移動しています。てらされた岩かべは、灰色に見えます。その灰色のかべぜんたいが、まるで波のように、ユラユラと、ゆれているのです。稲のほが風になびくような感じで、耳をすますと、サーッ、サーッと、異様な音さえ、聞こえてきます。
岩ぜんたいが動いているとすれば、みんなの立っている地面もゆれて、からだがフラフラするはずですが、そんなようすは、すこしもありません。じつに、ふしぎです。
「わかった。」
ずっと、かべに近づいて、そこを、にらみつけていた小林少年がさけびました。すると、暗やみの、むこうのほうから、「わかった、わかった、わかった……。」と、れいの「こだま」が、ものすごく、ひびいてきました。
「カニですよ、大きなカニが、岩かべを、おおいかくすほど、かさなりあって、ウヨウヨ動いているんです。」
またしても、小林君の声が、「こだま」をともなって、ひびきわたりました。
「ワッ、こちらにもいる。わしのズボンにも、のぼってきた。」
これは黒井博士の声です。そのへんは、カニの巣になっているとみえ、灰色の大きなやつが、ウジャウジャ、はいまわっているのです。みんな足のほうからはいのぼってくるカニを、はらいおとすのに、大さわぎをしました。
一行は、逃げるようにして、おくのほうへ、すすみました。それから、枝道を、いくつか通りすぎて、麻ひもが百二十メートルものびたころ、またしても、とつぜん、
「ワーッ。」
という、だれかの、さけびごえが、ひびきました。さっきのような「こだま」にはなりませんが、ワーン、ワーンという異様な反響をともなって、じつにものすごく、聞こえるのです。
「この洞窟には、動物がいる。」これは黒井博士の声でした。
「いま、わしのからだに、ぶっつかったやつがある。サルのように立って歩く動物だ。人間とすれば、小人のような、小さなやつだ。」
「気のせいじゃありませんか。ここには、立って歩く動物なんか、いるはずがないんだが。」
松野さんの声です。黒井博士のすぐつぎにいたはずの松野さんの声が、ずっとうしろのほうから、聞こえてきました。さっきのカニのさわぎで、麻ひもを持つじゅんじょが、メチャメチャになってしまったのです。
「いや、ほんとうですよ、ぼくもそいつを見ました。サルのようなやつでした。」
八木さんの声です。かれは出発のときとはぎゃくに、黒井博士のうしろに、いるのでした。
ふたりが見たとすると、気のせいとはいえません。なにか、あやしいやつがいるのです。それが、ひょっとしたら、漁師の若者が見たという、化けものかもしれません。しかし、黒井博士も八木さんも、そいつのすがたを、ハッキリ見たわけではありません。黒い影のようなものが、前のほうから、とびだしてきて、博士のからだにぶっつかり、アッというまに、うしろのほうへ、走りさってしまったのです。
この探検隊には、お化けなんか信じる人はひとりもいないのですが、しかし、げんに、黒い小人のようなやつが、あらわれたのですから、さすがの博士たちも、なんだか、ゾーッと、うすきみが悪くなってきました。それで、前にすすむことをためらって、そこに立ちすくんでいました。
と、うしろのやみの中から、
「キ、キ、キ、キ……。」
という、なんとも言えない、いやな笑いごえがひびいてきました。えたいのしれぬ動物が、探検隊の人たちを、あざわらっているのです。
そのときは、懐中電灯の電池をけんやくするために、六人のうち三人だけが電灯をつけていたのですが、怪物があらわれたとなると、そんなことに、かまってはいられません。みなが懐中電灯をつけて、笑いごえのしたほうへ、ふりてらしながら追っかけていきました。
しかし、怪物はすばやいやつで、いくらさがしても、もう、そのへんには影もないのでした。
ひどくきみが悪くなってきましたが、いまさら、あとへ、ひきかえすわけにはいきません。また、はてしもない、暗やみの旅を、つづけるほかはないのです。
「みんな、つかれただろうから、このへんで、ひとやすみして、元気をつけよう。わしは、こんなおりの用意に、コーヒーを水筒に入れて、もってきたから、みんな、これをひと口ずつやりたまえ。」
黒井博士は、そう言って、大きな水筒を肩からはずし、コップをそえて、あとにいる人にわたしました。
みんなは、つかれてもいたし、のどもかわいていたので、そこに、腰をおろしてつぎつぎと、その水筒のコーヒーをのむのでした。そのコーヒーは、ひどくにがくて、ふだんなら、すこしもおいしくないのでしょうが、そんなおりですから、ひとびとは、よろこんで、のんだのです。
「みんな、のんだかね。」
黒井博士は、かえってきた水筒を、うけとりながら、たしかめるように、言いました。
「みんな、のみましたよ。じつにおいしかった。」
うしろにいた八木さんが答えました。しかし、あとになってわかったのですが、そのにがいコーヒーをのんだのは、六人のうち三人だけでした。そして、ふしぎなことに、水筒の持ちぬしの、黒井博士も、のまなかったうちの、ひとりだったのです。
みんなは、ひとやすみすると、また立ちあがって、歩きだしました。ときがたつにつれて、やみは、ふかくなるばかりでした。それに、空気は氷のようにつめたく、ふるえだすほどの、寒さでした。
「なんだか、懐中電灯が暗いね。電池がよわくなってきたんだ。やっぱり、けんやくしたほうがいい。これからは、一つだけつけて、あとは、消しておくことにしよう。」
博士はそう言って、さきにたっている青年の懐中電灯だけをのこして、あとは、みんな消させました。すると、あたりは、いよいよ暗くなり、なんともいえぬ、心ぼそさですが、もし、電池をつかいつくして、まったく、ひかりがなくなったら、それこそたいへんですから、だれも、苦情を言うものは、ありませんでした。
すると、そのとき、ゆくてのやみの中から、またしても「キ、キ、キ、キ……。」という、怪物の笑いごえが聞こえてきました。みんながゾッとして、立ちどまると、その声が、矢のように、近づいてきたかと思うと、黒い、小人のようなものが、サーッと、人々のそばを通りぬけ、うしろの、やみに消えていきました。そして、その、うるしのようなやみの中から、また、「キ、キ、キ、キ……。」と笑うのです。
まるで、悪夢にうなされているような気持ちでした。夢であやめもわかぬやみの中をたったひとり、トボトボ歩いている、あのおそろしい気持ちです。この世ではなくて、あの世の旅です。人間界ではなくて、地獄の旅です。
麻ひもが百六十メートルまで、のびました。あと四十メートルで、いよいよ、つきてしまうのです。それが、つきるまでに、もくてきの場所に、つくことができるのでしょうか。心ぼそさは、こく一こくと、ますばかりでした。
それから、すこし行くと、足音の反響が、ゴーン、ゴーンと異様にひびく、ひろい場所に出ました。さきに立つ青年の懐中電灯が、ゆくてのやみを、白い矢となって、移動します。
すると、そのクルクルまわる、あわいひかりの中に、もうろうとして、じつに、おどろくべき光景が、あらわれてきました。世界が一変したような感じでした。いままで黒かった岩かべの色が、まったくかわったのです。そして、そこに、思いもおよばないような、巨大なおそろしいものが、まちかまえていたのです。人々は懐中電灯のひかりで、かすかに見える、その巨大なものを、ぼうぜんとながめていました。それがなんであるか、きゅうには、はんだんできなかったのです。
もう電池をおしんでいるばあいではありません。六つの懐中電灯が、つぎつぎと、ひかりをはなち、それが、ひろい洞窟の正面の巨大な、なにものかを、てらしました。そこで、やっとそのおそろしいものの、ぜんたいのすがたが、わかったのですが、すると、人々は「アッ。」と、声をのんだまま、もう身うごきもできなくなってしまいました。
漁師の若者を、きちがいにし、そのいのちをとった、化けものというのは、これだったのです。若者が気がちがうほど、それを、おそれたのも、けっして、むりでないことがハッキリわかりました。