しのびよる怪物
高橋太一郎さんは、その晩のうちに、事のしだいを警察にとどけましたが、あまりにとっぴな事件なので、警察でも、きちがいのしわざと考えたらしく、いちおう、高橋さんのやしきのまわりを、警戒することにはしましたが、事件をふかくしらべようともしないのでした。
高橋さんも、鉄塔王国などというバカバカしい話は、信用できませんので、よく日村瀬から電話がかかってきても、るすだといって、とりあわないことにきめました。やくそくどおり、村瀬からは、二度も三度も電話がありましたが、そのたびに書生が出て主人は外出していて、ゆくさきがわからないとことわったのです。
ところが、事件があってから、三日目の夜になると、村瀬という男のいったことが、けっして、でたらめでなかったことが、わかってきました。つぎつぎと、おそろしいことが、おこったのです。
高橋さんの次男の、小学校四年生の賢二少年は、その晩、じぶんの勉強部屋で、机にむかって、本を読んでいました。まだ七時ごろですが、さびしいやしき町ですから、あたりはシーンとして、しずまりかえっています。おうちが広いので、ほかの人たちの声も聞こえません。この勉強部屋は、壮一にいさんとふたりでつかっているのですけれど、そのにいさんも、どこかへ行っていて、賢二君はひとりぼっちなのです。
いっしんに本を読んでいますと、机の上のどこかで、カリカリと、物をひっかくような、かすかな音がしました。へんだなとおもって、そのへんを見まわしましたが、べつに変わったこともありません。しばらくすると、またカリカリと、こんどは、ごく近くから聞こえてきました。賢二君は、なんだか気味がわるくなって、じっと机の上を見ていますと、電気スタンドの台のむこうがわから、黒い小さなものが、はいだしてきました。カブトムシです。
よく見ると、そのカブトムシには、頭のてっぺんから、ニューッと、一本のツノがはえていました。そして、背中に、みょうな白いもようがあります。
賢二君は、そのもようを見て、おもわずゾーッとしました。それは、がい骨の顔にそっくりだったからです。
賢二君は、こわくなって、いすから立ちあがりました。そして、遠くから、机の上を見ていますと、はいだしてきたカブトムシは、一ぴきだけでないことがわかりました。二ひき、三びき、四ひき、五ひき、あとから、あとからと、はいだして、今まで賢二君の読んでいた本の上を、ゾロゾロと歩いているのです。しかも、そのたくさんのカブトムシの背中には、みんな、がい骨の顔のようなもようがあるのです。
賢二君は、もうたまらなくなって、勉強部屋から、にげだしました。そして、茶の間の方へ走っていきますと、むこうから壮一にいさんがやってきました。
「なんだい、まっさおな顔をして。どうかしたのかい。」
「カブトムシ、がい骨のもようのあるカブトムシが、ぼくの机の上に……。」
賢二君は、にいさんにすがりつくようにして、べそをかきながら、いうのでした。
「ふーん、がい骨のもようだって? よし、にいさんが見てやる。いっしょにおいで。」
中学二年の壮一君は、さすが、にいさんらしく、しっかりしていました。
ところが、ふたりが勉強部屋にひきかえして、賢二君の机の上を見ますと、ふしぎなことに、さっきまで、あんなにゾロゾロはっていた、たくさんのカブトムシが、どこにも見えないのです。机の下や、ひきだしの中まで、しらべてみましたが、一ぴきも見つかりません。ゆうれいのように、消えうせてしまったのです。
あとで、そのことを、ふたりが、おとうさんにお話しますと、おとうさんの太一郎さんは、へんな顔をして、考えこんでおられました。いよいよ、あの村瀬という男が、いやがらせをはじめたのかと、なんだか、心配になってきたからです。
やはり、そのおなじ晩の十時ごろのことです。こんどは、書生の広田が、おそろしいものを見たのです。
広田青年は高橋さんに見こまれて、大学へかよわせてもらい、学校から帰ると書生として、いろいろな用事をしているのです。その広田が、いつものように、門のしまりをして、うちの中に、はいろうとすると、庭のほうに、なにかゴソゴソと動いているものがありました。
その晩は月が出ていたので、庭の木や草は、霜がおりたように、白く見えていました。その庭の中を、なにか大きな黒いものが、ゴソゴソと、裏手のほうへ、はっていくのです。イヌやネコではありません。もっと、へんてこなものです。
広田は、足音をしのばせて、そのあやしいもののあとをおいました。なんだか、おそろしい夢にうなされているような気持でした。
月の光は、庭いっぱいに、ふりそそぎ、コンクリートの西洋館の裏がわを、白々と、てらしていました。その中を、黒い巨大な怪物が、ゴソゴソと、はっていくのです。
まっ黒な背中、そこに白くうきだしている奇怪なもよう、まがった長い足、グーッと上をむいた黒い一本のツノ、ギラギラ光る二つのまるい目。広田は、そのものの正体を見きわめると、ギョッとしておもわず、その場に立ちすくんでしまいました。
そのとき、怪物のほうでも、はうのをやめて、じっと動かなくなりました。そして頭をグーッとまげて、二つの光る目をこちらにむけたのです。
広田は、はっとして、建物のかげに、すばやく身をかくしました。
「見つかったかもしれない。怪物は、あのおそろしいツノをふりたてて、こちらへむかってくるのではないだろうか。」
とおもうと、胸がドキドキしてきました。
怪物は、しばらくのあいだ、頭をこちらにねじむけて、じっとしていましたが、広田に気づいたわけでもないらしく、そのまま、またむこうむきになって、長い足で、ゴソゴソとはっていきます。広田は建物のかげから、しんぼうつよく、それを見まもっていました。
怪物は、月光のなかをはいつづけて、建物に近づき、一つの窓の下に、とまりました。それは壮一、賢二兄弟の勉強部屋の窓です。広田は、それを見て、さてこそと、おもわず両手を、にぎりしめるのでした。
怪物のまえ足が、壁にかかりました。そして、ゴソゴソやっているうちに、やつはあと足で、すっくとたちあがったのです。まえ足は、窓のしきいにとどき、二つの目が窓の中をのぞいています。
怪物が立ったので、背中が、まともに見えるようになりました。その大きな、つやつや光る背中が、月光にてらされてぶきみにかがやいています。
そして、そこに、あのがい骨の顔が、まるでリンのように青白く光っているのです。
広田は、夢をみるここちでした。この世に、こんなおそろしいけしきが、またとあるでしょうか。
かれは、月光にてらされた、この巨大な妖虫の姿を、一生、わすれることができないでしょう。
勉強部屋の窓のガラス戸は、半分ほど、上のほうにおしあげられ、ポッカリと、黒い四角な穴になっていました。部屋の中の電灯は消えていて、だれもいないらしいのです。
怪物は、左右に、首をふって、ギロギロ光る目で、部屋の中のようすを、うかがっていましたが、やがて、そのツノのはえた首を、グッと、窓の中へさしいれるようにしました。それといっしょに、長い足を、いそがしく、動かしたかとおもうと、いつのまにか、怪物のからだは、地面をはなれて、壁をよじのぼり、グイグイと、窓の中へ、はいっていくのです。
やがて、おしりだけが、窓の外へ、はみだして、ぶきみな長い足を、モガモガやっていましたが、それも、窓の中へ、かくれてしまいました。怪物は、ついに、兄弟の勉強部屋へ、侵入してしまったのです。
村瀬という男は、うそをいいませんでした。賢二少年は、いまにも、かどわかされそうとしているのです。しかも、あの見るもおそろしい妖虫の長い足にだかれて、どこかへ、つれさられようとしているのです。