おばけやしき
高橋さんは、ふしぎでたまらぬという顔つきです。明智は、にこにこしながら、
「これも、あいつらの手品ですよ。賢二君は、あなたの目の前で、つれだされたのです。それが、あなたには見えなかったのです。」
「え、わたしの目の前を? それはいったい、どういういみです。」
「手品ですよ。じつにうまいことを考えたものだ。にせ警官がカブトムシのぬけがらを、ふたりでかかえて出たといいますね。さっきのお話では、ビニールでできた、そのカブトムシのからだは、こうもりがさのように、小さくおりたためたというじゃありませんか。そうすれば、なにもふたりでかかえなくても、ひとりで持てるはずです。それをおりたたみもしないで、もとのかたちのままで、ふたりでかかえていったというのは、へんではありませんか。」
高橋さんは、それを聞くと、みょうな顔をして、しばらく目をパチパチやっていましたが、はっと気がついて、顔色をかえました。
「あっ、それじゃ、あの中へ賢二を……。」
「そうです。そのほかに考えようがないのです。賢二君をしばって、さるぐつわをして、カブトムシのぬけがらの中に、とじこめたのです。だから、おりたたむことが、できなかったのです。ふたりがかりでなくては、はこべなかったのです。」
「ああ、そうだったのか、そこへ気がつかないとは、わたしはなんというバカだったのでしょう。カブトムシが小さくおりたためることは、書生にきいて知っていました。しかし、あいてを警官だと信じていたので、そこまでうたがわなかったのです。まんまと手品にひっかかりました。じつに、とりかえしのつかない失敗でした。」
高橋さんは、そういって、さもくやしそうに、うつむくのでした。中村警部は、気のどくそうな顔で、
「高橋さん、そんなにがっかりなさることはありません。われわれは、賢二君をとりもどすために全力をつくします。明智さんも、きっと、ほねをおってくださるでしょう。」
と、なぐさめ、それから三十分ほど、賢二少年のゆくえをさがしだすてだてについて、いろいろ話しあっていましたが、そのとき、書生の広田が、顔色をかえて、とびこんできました。
「たいへんです。電話が、カブトムシから電話がかかってきました。……こちらへ、つなぎましょうか。」
高橋さんは、それをきくと、おもわず立ちあがりましたが、また、こしかけて、
「うん、こちらへ、つないでくれ。」
と、卓上電話の受話器をとりあげました。
「もしもし、きみはだれだね。……うん、わしは賢二の父の高橋太一郎だ。」
「おれはカブトムシだよ。わかるかね。ウフフフフ……。おい、高橋さん、さっそくだが、とりひきの相談だ。賢二君と、このまま一生わかれてしまうか、一千万円か、どちらかだ。きみの身分で、一千万円はたいした金額じゃない。かわいい賢二君を買いもどしたらどうだね。」
「わしは、いま手もとに、そんな大金はない。」
「あした一日でできるだろう。きみが、銀行にどれほど預金があるか、株券をどれほど持っているか、おれはちゃんとしらべているのだ。あすの夕方までに一千万円をつくるのはわけはない。」
「賢二はいま、どこにいるのだ。」
「東京にいる。おれは手あらいことはしないから、心配しないでもよろしい。しかし、身のしろ金を持ってこなければ、きみはかわいい賢二君と、一生あうことができなくなるのだ。」
「身のしろ金を、どこへ持っていけばいいのだ。」
「いまくわしく教える。紙とえんぴつを用意したまえ。……いいかね、あすの晩、九時だ。ちょっきり九時にくるのだ。場所は、新宿駅から八王子街道を、西へ一キロ半ほど行くと、右に常楽寺という大きな寺がある。その寺のうしろの墓地のうらに、戦災でやられたままになっている大きなやしきのあとがある。コンクリートのへいがこわれて、中は草ぼうぼうのばけものやしきだ。建物は焼けてしまったが、洋館のレンガの壁だけが、少しのこっている。その壁の中へはいって、よくさがすと、地下室への階段が見つかる。それをおりて、地下室へはいるのだ。おれはそこで待っている。」
「賢二を、そこでひきわたすのか。」
「そうだ。一千万円の札たばとひきかえだ。現金でなくちゃいけない。ちょっとかさばるし、重いけれども、ふろしきづつみを二つにして、両手でさげれば持てないことはない。……常楽寺の前まで自動車できてもかまわない。だが、そこでおりて自動車を帰し、きみひとりになるのだ。そして、ふろしきづつみをさげて、墓場のうらてまでくればいい。おれはまちがいなく地下室で待っている。暗いから懐中電灯を持ってきたほうがよろしい。」
高橋さんは、そこまできくと、ちょっと電話の送話口をおさえて、明智と中村警部に相談しました。
「ともかく、しょうちしたと答えておいてください。」
中村警部が、ささやき声で、さしずしました。
「よろしい。あすの晩九時までに、一千万円の現金を持って、その地下室へ行くことにする。きみのほうも、賢二をかならずつれてくるのだぞ。」
「だいじょうぶだ。いまきみは、だれかと相談したね。中村警部がそこにいるんじゃないかね。よろしくいってくれたまえ。……警察は、われわれの出合いの場所を知ったわけだね。だから、おおぜいで、おれを待ちぶせして、つかまえようとするだろうね。しかし、それはよすようにいってくれたまえ。おれのほうには、あらゆる準備ができているのだ。つかまるようなへまはけっしてしない。それよりも、そんなことをすれば、きみは永久に賢二君にあえなくなる。わかったね。中村君にも、よくいっておくんだ。じゃあ、まちがいなく、九時だよ。」
そこで、ガチャンと電話がきれました。
「しかたがありません。わたしのまけです。身のしろ金を用意して、賢二とひきかえることにしましょう。」
高橋さんが残念そうにいいました。
「警察としては、身のしろ金などおだしになることをおすすめはできません。しかしこのチャンスをはずすと、賢二君をとりもどすことが、むずかしくなります。こちらは、このチャンスをうまく利用するのです。わたしの部下の、うでききの刑事を十人ばかり、そのばけものやしきの地下室のまわりにはりこませます。むろん、みんな変装をして、あいてにさとられぬようにします。そして、あなたが、賢二君をとりもどすのを、たしかめたうえ、怪人団を、まわりからかこんで、ひっとらえてしまいます。お金もとりかえします。しかし、お金はにせものではいけません。あいても、じゅうぶん用心しているでしょうから、にせものと気づかれたらおしまいです。やはり、ごめんどうでも、ほんとうの札たばを、用意してくださらなくてはいけません。ねえ、明智さん、このほかにてだてはないと思いますが……。」
中村警部が相談するようにいいますと、明智はあまり乗り気でもないようすで、
「警察としては、そうするよりしかたがないでしょうね。しかし、あいてをにがさないようにしてください。賢二君をとりもどすまでは、けっして、あいてに気づかれてはいけません。刑事諸君にそのことは、よく注意しておいてください。」
明智は、それをなんどもくりかえして、ねんをおすのでした。