まぼろしの
東京都内に、『まぼろしの』があらわれるという、うわさがひろがっていました。
ある月の美しい晩、ひとりの中学生が、お友だちのうちからの帰り道に、大きな西洋館の前にさしかかりました。
さびしい町ですから、まだ九時ごろなのに、まったく人通りがありません。空には、満月にちかい月が、こうこうとかがやいています。ひくいコンクリートのをへだてて、西洋館の屋根が、月の光をうけて、まっ白に光っているのが見えます。
その屋根の上を、一ぴきの大きなネコが、のそのそと歩いていました。
「オヤッ、なんて、でっかいネコだろう。」
中学生はびっくりして、立ちどまりました。
そいつは屋根の上を、だんだん、こちらへ歩いてきます。ふつうのネコの十倍もあるほど大きいのです。そしてふしぎなことには、全身が金でできているように、ピカピカ光っているのです。その金色のからだに、黒いが、いっぱいならんでいます。
「アッ、ネコじゃない。豹だッ!」
中学生は、からだがしびれたようになって、逃げだすこともできなくなってしまいました。
それにしても、なんという美しさでしょう。金色の豹は月の光をうけて、キラキラと、がさしているようです。
屋根のはしまで歩いてきたとき、青く光る二つの目が、じっと、こちらを見つめました。
中学生は、あまりの恐ろしさに、もう息もできないほどです。
豹が、東京の町の中の、屋根の上をはっているなんて、夢にも考えられないことです。そのうえこいつは黄色でなく、金色に光っているのです。月の光のせいではありません。たしかに金色なのです。黄金の豹です。お化けの豹です。
そのとき、西洋館の屋根のはしから、スーッと金色のがたちました。豹が庭へ飛びおりたのです。
それはコンクリート塀の中なので、しばらくは、ようすがわかりませんでしたが、やがて、すかしもようの門の、鉄ののむこうに、キラキラ光るものがあらわれました。
アッと思うまに、その金色の怪物は、門の扉をのりこして、のそのそと、こちらへやってくるではありませんか。
「ワアッ……。」
中学生は、恐ろしい悲鳴をあげて、そこへたおれてしまいました。今にも豹がとびかかってくるだろう。そして、胸の上に前足をかけて、あんぐりと、かみついてくるだろうと、もう、生きたここちもありません。
しかし豹は、たおれている中学生には見むきもせず、その横を通りすぎて、むこうの町かどへ消えてしまいました。
ちょうどそのとき、はんたいの方から、あわただしい靴音がして、ひとりの警官がかけつけてきました。さっきの中学生の叫び声を聞きつけたからです。
「どうしたんだ。しっかりしたまえ。」
警官は中学生をだきおこして、わけをたずねました。
「豹です! 大きな豹が、いま、あっちへ……。」
中学生は、ふるえる手で、むこうの町かどを指さしました。
「なんだって? きみは夢でも見たのか……こんなところに豹なんかいるもんか。」
「いいえ、ほんとうです。しかも、金色のふしぎな豹です。あの角をまがりました。まだ、そのへんを歩いているにちがいないのです。」
「よし、そんなら、ぼくがたしかめてくる。そんなばかなことがあるもんか。」
警官はそういいすてて、町かどへ走っていきました。
角をまがると、むこうから、ひとりの人間が歩いてきました。月の光で、よく見えます。それは白いひげを、胸までたらしたおじいさんでした。ひどくはでな、こうしじまの背広をきて、ステッキをついています。
「おじいさん、今ここを、大きな動物が通らなかったかね。犬やネコじゃない、もっと大きなやつだ。金色に光ったやつだ。」
警官がたずねますと、おじいさんは、きょとんとした顔で、
「うんにゃ、なにも通らなかったよ。ネコの子一ぴき通らなかったよ。」
と答えて、ニヤニヤと笑いました。
中学生が見た黄金の豹は、それっきりゆくえ不明になったのです。あくる日になっても、どこからも豹はあらわれてきませんでした。
あの中学生は、きっと、夢かまぼろしでも見たんだろうということになってしまいました。
「うそじゃないよ。ぼくは、たしかに見たんだよ、ネコの十倍もある金色の豹だったよ。」
中学生が、いくら、ほんとうのことを話しても、だれも、とりあってくれませんでした。