車上の猛獣がり
その寝台車の入口にある喫煙室に、列車ボーイが、いねむりをしていましたが、すりガラスのドアのなかから、叫び声が聞こえてきましたので、ビックリして、立ちあがるとドアを開いて、中にはいろうとしました。
すると、三メートルほどむこうから、のそのそと、歩いてくる黄金豹の恐ろしいすがたが、見えました。燐のような青い目が、グッとこちらを、にらみつけているのです。
ボーイは、ひとめ、それを見ると、「ワッ!」といって、はんたいの方角へ逃げだしました。そして、一両まえの二等車へとびこんで、ドアをピッタリしめたのです。
それは、寝台でない二等車ですから、乗客は、イスにかけたまま眠っていましたが、おきて話をしていた人たちは、まっ青になって、かけこんできたボーイのすがたを見て、びっくりしました。
「みなさん、たいへんです。このつぎの寝台車に、金色の豹があらわれたのです。そして、こちらへやってきます。用心をしてください。」
ボーイが大声で、どなりました。その声に、眠っていた人たちも、みな目をさまし、せきから立って、うろたえはじめました。
気にかかるのは、いまボーイがはいってきたドアです。それをしめたことは、しめたのですが、鍵をかけたわけではありませんから、豹が、それを開くかガラスを破るかして、はいってきたら、もうおしまいです。立ちあがった乗客たちの目は、しぜんと、そのドアを見つめました。
どうやら豹は、ドアのすぐむこうまで来ているようです。そこにうずくまって、ようすをうかがっているのかもしれません。
そのうちに、ドアのとってが動きはじめました。なにものかが、とってをまわしているのです。豹に、とってをまわす知恵があるのでしょうか。ふつうの豹なら、そんな知恵はないはずですが、黄金豹は、さっき宝石を盗んだ手ぎわでも、わかるとおり、人間と同じ知恵をもっているのです。とってをまわすくらいは、ちゃんと知っているにちがいありません。
しばらく、ガチガチやっているうちに、とってがうまくまわって、しまりがはずれ、ドアがスーッと、開きはじめました。十センチぐらい開いたとき、そこから、あらわれたのは、あの金色の前足です。それをドアにかけて、おしているのです。
やがて、ドアがぜんぶ開いて、黄金豹の恐ろしいすがたがあらわれました。「ワアッ。」という恐怖のどよめき。人々は先をあらそって、はんたいのほうへ逃げだしました。
みんながいちどに、はんたいがわのドアのほうへおしよせたので、人と人とが、かさなりあい、おされて、倒れるもの、倒れた上を、ふんづけるもの、キャーッ、という女の悲鳴、子どもの泣き声、列車の中は、恐ろしいさわぎになりました。黄金豹は、べつに、とびかかってくるようすもなく、宝石かばんを口にくわえ、のそりのそりと、歩いています。乗客たちのさわぎを、あざ笑っているように見えます。
その二等車の前にも車両がつながっていましたが、そこの乗客たちも、このさわぎを知って、そう立ちになり、はんたいのほうへ逃げだし、じゅんじゅんに、さわぎがつたわっていって、列車ぜんぶが、恐ろしい混乱におちいりました。
乗客のなかに、ふたりの警官がいて、このさわぎをしると、車掌と連絡をとって、ピストルで怪獣をうち殺す相談をしました。そして、ピストルをにぎって、人々をかきわけながら、豹のいるところへ、かけつけましたが、どうしたことか、豹のすがたが見えません。
どこへいったのかと、みんなにたずねても、人々は、すぐうしろから豹が追っかけてくると思いこんで、逃げるのに夢中になっていたので、だれも豹のゆくえを知らないのです。
あっちへ行ったり、こっちへ行ったりして、捜しまわっているうちに、車掌が、びっくりしたような声をたてました。
「アッ、ここが破れている。ここから逃げだしたのです。」
見ると、車と車とのあいだの通路の黒いおおいが破れて、大きな穴があいていました。しかし、いま列車は全速力で走っています。いくら猛獣でも、こんな列車からとびおりたら、大けがをするにきまっています。はたしてとびおりたのでしょうか?
車掌は、その破れた穴から、半身をのりだして、あたりを見まわしていましたが、上のほうに目をやったとき、「アッ。」と驚きの叫び声をたてました。
そこは、車と車とのあいだですから、さきの車の外がわに、屋根へ登るための鉄ばしごがとりつけてあります。その鉄ばしごの上の屋根から、太い金色の棒のようなものがさがっていました。まっ暗ななかに、それだけが、はっきり見えるのです。
その棒には、黒いはんてんがありました。そして、生きもののように、ぐにゃぐにゃと、動いているのです。豹のしっぽにちがいありません。
「アッ、ここにいた。屋根の上へ、逃げたのです。」
車掌がどなりました。
「どこに? どこに?」
ひとりの警官が、車掌といれかわって、破れ穴から半身をのりだし、屋根を見あげましたが、もう豹のしっぽは見えません。屋根の上を歩いていったのです。
それは、ひじょうに勇敢な警官でした。かれは、破れ穴のそとへ、足をふみ出して、そこの鉄ばしごにとびつき、ピストルをかまえながら、列車の屋根へ登りました。
列車はまだ全速力で、走っています。うっかりすると、屋根から、ふり落とされそうです。それに、そとはまっ暗ですから、しばらくは、なにも見えません。
警官は屋根の上に、四つんばいになって、すかすようにして、むこうを見ました。
いる! いる! 闇の中でも、ピカピカ光る黄金豹が、歩いていくのが見えます。
アッ! 屋根から屋根へ、とびうつりました。
警官は、おおいそぎで屋根の上をはって、こちらの屋根のはしまでいって、ピストルのねらいをさだめました。ピストルの筒口から、パッと火を吹きました。発射したのです。しかし、ごうごうと走る汽車の音にけされて、ピストルの音は、ほとんど、聞こえないくらいです。弾はあたったのでしょうか? 豹はうち殺されたのでしょうか。いや、いや、相手は魔法の怪獣です。一ぱつや二はつのピストルで、殺されるようなやつではありません。