忍術つかい
列車は、翌日の朝はやく、ぶじに東京駅につきました。豹は一度もあらわれなかったのです。
まだ早いので、プラットホームには、人かげもまばらでした。そこへ、列車がつきますと、乗客たちは、「やれ、やれ、なにごともなくて、よかった。」と、胸をなでおろしながら、ホームにおりたち、地下道から改札口へと、いそぎました。
ホームは、しばらく、その人たちで、混雑していましたが、みんな地下道への階段をおりてしまうと、あとはがらんとして、まったく人のすがたが、なくなってしまいました。
すると、そのとき、その列車のなかほどから、ピョイととびだしたものがあります。ピカピカ光る金色の大きなものです。
そいつは、ホームにおりると、地下道の階段のほうへ、のそのそと、歩きだしました。……黄金豹です。宝石かばんは、どこへやったのか、もう口にくわえていません。まっ赤な口をパクッと開いて、長い舌で鼻のへんを、ぺろぺろとなめながら、ゆうぜんとして歩いているのです。
いくら朝はやいといっても、ホームに人がひとりもいないなどということは、めったにありません。ふしぎといえば、それもふしぎでした。しかし、もっとふしぎなのは、東京駅のプラットホームを豹が歩いていることです。しかも、そいつは、ぜんしん金色の怪獣なのです。なんだか、恐ろしい夢のようなけしきでした。
黄金豹は、列車の乗客たちと同じように、地下道の階段のほうへ歩いていきました。そして、そこをおりようとしたときです。列車の後部から、駅員の制服をきた人が、ホームへ出てきました。車掌です。しばらくは、なんの気もつかず、歩いていましたが、ふと地下道の入口を見ると、ギョッとして立ちどまりました。いま、そこをおりていく黄金豹のうしろすがたに、気づいたからです。
「アッ、豹だ! 豹があらわれた。みなさん、注意してください。そっちへ豹がおりていきます。」
階段には、まだ、おくれた乗客がいるかもしれません。車掌は、まずその人たちを助けなければならないと思ったのです。車掌が心配したとおり、そのときふたりづれの、田舎のおかみさんらしい人が、大きなふろしきづつみをさげて、階段をおりていました。
車掌の叫び声に、ふと、うしろを見ると、そこに、あの怪獣がいたではありませんか。
「キャーッ。」ふたりは悲鳴をあげて、階段にしりもちをついたまま、動けなくなってしまいました。
黄金豹は、一段、一段、ふたりのほうへ、おりてきます。
もう一メートルの近さにせまってきました。怪獣のからだは、キラキラとかがやいて、まばゆいばかりです。燐のように青く光る目が、じっと、こちらをにらんでいます。おかみさんたちは、生きたここちもありません。いまにも気をうしないそうです。
豹は、ふたりの女のにおいでもかぐように、鼻を近づけて、くんくん、やっていましたが、べつに、くいつきもしないで、そのまま、のそり、のそりと階段をおりていきました。
階段の下の広い通路には、あちこちに、人が歩いていました。そこへ、金色の怪獣が、すがたをあらわしたのだから、たいへんです。人々は悲鳴をあげて、逃げまどいます。そして、たちまち、広いホームに、かげが見えなくなってしまいました。黄金豹は、そこを、やっぱり、のそり、のそりと、歩いていきます。
さっきの車掌は、別の階段から駅の事務室にかけこみ、みんなに怪獣のことを知らせたうえ、近くの警察へ電話をかけました。
すると、まっさきにパトロール=カーがつきました。そして、ピストルをもった数名の警官が、駅の中へとびこんできたのです。
駅員に聞きますと、黄金豹の歩いていった方角がわかりましたので、そのほうに、かけつけました。そして、手洗所の前までいきますと、そこに、ひとりの駅員が、まっ青な顔をして立っていました。
「こ、この中です。豹は手洗所の中へ、はいっていきました。」
駅員が、ふるえ声でいいます。
「うん、この中だな。」
警官のひとりが、ピストルをかまえて、ドアを開き、中をのぞきました。
「なにも、いないじゃないか。」
「いいえ、たしかにいます。いま、はいったばかりです。」
手洗所の中は、まがっているので、ドアのところから、全部は見えません。警官たちは、みんなピストルを持って、中へはいっていきました。
すると、まがり角のむこうから、ヒョイと、あらわれたものがあります。ギョッとしましたが、それは人間でした。白いあごひげをはやした老人です。黒い背広を着て、大きなふろしきづつみを持っています。これから汽車に乗るのでしょう。
「アッ、きみ、いま、ここへ豹がはいってきたのを見なかったか。」
「エッ、豹ですって? こんなところへ豹なんか、くるはずがないじゃありませんか。そんなもの見ませんよ。」
じいさんは、きょとんとした顔でそう答えると、そのまま、そとへ出ていきました。
それから警官たちは、手洗所の中を、くまなくさがしましたが、豹など、どこにもおりません。窓はみなしまっていますし、べつの出入り口があるわけでもありません。どこにも逃げ場はないのです。
駅員は、まぼろしでも見たのでしょうか。それとも、黄金豹が、またしても魔法をつかって、煙のように消えてしまったのでしょうか。