きちがい怪人
それから、四―五時間たって、夜の明けるころでした。魔法博士の二十人の部下は、あるものは地上の部屋に、あるものは地底の部屋に、ひと部屋にふたり、または三人ずつ、ベッドをならべて眠っていました。
しかし、みんな眠っているわけではありません。こうたいで、ひと部屋からひとりずつ、広い地底の岩の廊下を、すみからすみまでまわり歩いて、警戒しているのです。明智探偵や三少年の、とじこめられている部屋の前も、ときどき、その黒い覆面が通りかかります。そして、鉄ごうしのそとからジロジロと、のぞいていくのです。
牢屋には小さい電灯がついているので、中はうすぼんやりと見えます。べつに異状はありません。さっき黄金怪人が、ひとりになって、明智探偵をきたえたらしいのですが、牢屋のすみに、うずくまっている明智は、べつにけがをしているようすもありません。となりの牢屋の三少年も、おとなしくしています。
もう朝なので、早起きの部下は、じぶんの寝室のベッドからおきあがって、顔を洗いにいくものもあります。
地底のある部屋で、ひとりの部下のものが目をさまして、ベッドの上で、もぞもぞやっていました。寝ているときは、黒覆面をとって、ふつうの寝まきをきています。ですから、顔がよく見えるのですが、ふさふさした黒い髪の毛、太いまゆ、ぎょろっとした目、ひらべったい鼻、大きな厚いくちびる。いかにも、悪者らしい人相のやつです。としは三十ぐらいでしょうか。その男が、ベッドの上に、半身をおこして、両手をぐっとのばして、大きなあくびをしたときです。ドアにコツコツと、ノックの音が聞こえました。
「だれだっ、たたいたりしないで、はいったらいいじゃないか。かぎはかかっていないよ。」
男がどなりますと、ドアのとってが、グルッとまわって、スーッとひらきました。そして、そこからあらわれたのは、いがいにも、魔法博士の黄金怪人でした。
それを見ると、男はびっくりして、ベッドからとびおり、床の上に直立して、
「おはようございます。」
と、ていねいに、あいさつしました。魔法博士は、用事があれば、ベルでよびつけるばかりで、部下の部屋へ、はいってくることは、めったにないのです。それが、朝っぱらから、ドアをノックして、はいってきたのですから、部下が驚いたのも、むりはありません。寝まき姿で、直立したまま、おどおどして、黄金怪人の顔を、見つめています。
「むこうをむけ!」
怪人の歯車のような声が、命令しました。部下は、いわれるままに、うしろ向きになりました。
「両手を、うしろに出せ。」
部下は、両方の手を、そっとうしろへまわしました。
すると、黄金怪人が、どこからか、ほそびきのようなものを取りだして、パッと部下にとびかかり、うしろにまわした両手を、しばりあげてしまいました。
「あっ、なにをなさるんです?」
それを、半分もいわせないで、黄金怪人は、白い布をまるめたものを、部下の鼻と口にあてて、ぐっとおさえつけました。しばらくそうして、じっとしていますと、男は気をうしなって、くなくなとたおれてしまいました。白い布には、麻酔剤がしみこませてあったのです。
怪人は、「ウフフフ……。」と、ぶきみに笑いながら、たおれた男の足を、ほそびきでグルグル巻きにして、そのからだを、ベッドの下へ、おしこんでしまいました。
この部下は、なにか悪いことをしたので、罰をくわえられたのでしょうか。どうも、そうではなさそうです。男は、べつに魔法博士をおこらせるようなことは、していなかったのです。それでいて、とつぜん、こんなひどいめにあわされたのです。魔法博士は、気でもくるったのでしょうか。
それから、黄金怪人は、つぎつぎと、ひとりきりの部下の部屋にはいって、同じように命令し、同じように麻酔剤をかがせ、手足をしばり、ベッドの下におしこんでまわるのでした。
これはもう、ただごとではありません。魔法博士の黄金怪人は、じぶんの部下を全部しばりあげて、身うごきできないようにしてしまうつもりらしいのです。いったい、これは、どうしたことでしょう。魔法博士は、ほんとうに、気ちがいになってしまったのでしょうか。
ところが、そうして、六つの部屋をまわり、六人の部下をしばりあげ、七ばんめの部屋へはいったときです。ちょうど、その廊下を通りかかった黒覆面の部下が、ちらっと、黄金怪人の姿を見たのです。そして、「へんだな。」と思ったのです。
その部下は、いま、魔法博士に呼ばれて、博士の寝室にいって帰ってきたばかりなのです。むろん、博士は黄金怪人の姿をしていました。その博士が、こんなところへ、あらわれるはずがないのです。博士の寝室から、ここまでは、一本道ですから、じぶんを追いこさなければ、あの部屋へはいることはできません。ところが、追いこされたおぼえはないのです。しかも、あの部屋へはいった黄金怪人は、反対のほうから、やってきたようです。
黒覆面の部下は、あんまりへんなので、その部屋の前にしのびより、ドアのかぎ穴に、目をあてて、のぞいてみました。
すると、その部屋の男が、黄金怪人に麻酔剤をかがされて、たおれようとしているところでした。部下は、びっくりしてしまいました。
「これはたいへんだ。博士が、あんなことをするはずはない。こいつは、ひょっとしたら、にせものかもしれないぞ。」
と思ったので、いそいで魔法博士の寝室へひきかえし、ドアをひらいて、とびこんでいきました。すると、そこには、ちゃんと、魔法博士の黄金怪人が、いすにかけているではありませんか。
「あっ、やっぱりそうだ、先生、たいへんです。もうひとり、黄金怪人が、あらわれたのです。」
そして、くわしく、あの部屋のできごとを話しました。すると魔法博士も、はっとしたように立ちあがって、
「むろん、そいつは、にせものだ。だが、おかしいな。明智のほかには、だれも、ここへはいったやつはないはずだ。その明智は、ああして牢屋にとじこめてある。明智でないとすると、そいつは、いったい、何者だろう。よしっ、わしが、いってみる。きみも、ついてくるんだ。」
魔法博士の黄金怪人は、黒覆面の部下といっしょに、いきなり部屋をとびだすと、さっきの部下の部屋へかけつけました。そして、その部屋のドアから十メートルほどのところまで、近づいたときです。
ぱっと、そのドアがひらいて、中から黄金怪人が出てきました。もう、その部屋の部下を、ベッドの下におしこんでしまって、つぎの部屋へいくつもりなのでしょう。
「あっ、あれです。先生と、そっくりの姿をしています。」
黒覆面の部下が、魔法博士にささやきました。こちらも黄金怪人、向こうも黄金怪人、ウリ二つの黄金怪人が、ふたりあらわれたのです。
「まてっ!」こちらの黄金怪人が、恐ろしい歯車の声で、どなりつけました。
すると、向こうの怪人は、ぎょっとしたように、こちらを見て、立ちどまりました。十メートルをへだてて、そっくり同じ黄金怪人が、まっ正面から、にらみあったのです。
じつになんともいえない、ふしぎな光景でした。
「ウヘヘヘ……。」
向こうの黄金怪人が、歯車の音で、笑いました。おかしくてしかたがないというように、金ピカのからだをゆすって、大わらいをするのでした。そして、こちらのふたりが、あっけにとられているうちに、さっと、向きをかえると、まるで、金色の風のようなはやさで走りだし、岩の廊下の向こうの角を、まがってしまいました。
こちらの黄金怪人と部下とは、すぐに、そのあとを追っかけましたが、角をまがっても、もうそのへんには、だれもいません。そのさきは、廊下が二つにわかれているので、どっちへ逃げたのか、わからないのです。
「おいっ、ほかのものを、みんなあつめろっ。そして、手わけをして、さがすのだ。はやくしろっ。」
魔法博士の命令で、黒覆面の部下は、ほかの部下たちをあつめるために、そのほうへ、かけだしていきました。
あとにのこった魔法博士の黄金怪人は、ふと気がついて、明智探偵を、とじこめてある牢屋をしらべてみようとおもいました。ひょっとしたら、明智が牢屋をぬけだして、黄金怪人にばけたのではないかと、考えたからです。
魔法博士が、牢屋の前にいってみますと、鉄ごうしの中のむこうのすみに、シャツ一枚の明智探偵が足をなげだして、壁によりかかり、うとうとと、いねむりをしていました。
すると、やっぱり、あの黄金怪人は明智ではなかったのでしょうか。なんだか、えたいのしれない、へんてこなできごとです。
「おい、明智先生、きみは、ずっと、ここにいたのだろうね。」
魔法博士が、歯車の声で、どなりました。すると、明智は目をひらいて、大きなあくびをしながら、めんどうくさそうに、答えるのです。
「なにをいっているんだ。かぎがなければ、ここから出られるはずがないじゃないか。せっかく、いい気持でねむっているのに、じゃまをしないでくれ。」
そして、またうとうとと、ねむりはじめるのです。
魔法博士は、あきれたように、腕ぐみをして考えこんでしまいました。