空からの怪音
怪人は、いまにも水の力でおしながされ、屋根からすべり落ちそうです。
下では五人の消防手が、ズックの救命具をひろげて、怪人が落ちてくるのを、待ちかまえていました。
ああ、もうぜったいぜつめいです。怪人は死にものぐるいで、屋根のかわらにしがみついていますが、いつまでもがんばれるものではありません。やがて力がつきて、水におしながされ、屋根からすべり落ちるにきまっているのです。
さすがの怪人四十面相も、とうとう、つかまってしまうのでしょうか。しかし、あいつは魔法つかいみたいなやつです。どんな奥の手を用意していないともかぎりません。
そのとき、どこからか、ぶるるるるる……という、へんな音が聞こえてきました。
消防自動車のモーターの音ではありません。ホースからほとばしる水の音でもありません。それらとはちがったへんな物音が、まっ暗な空のむこうから、ひびいてくるのです。
そのふしぎな音は、刻一刻と高くなってきました。
ぶるるるん。
ぶるるるん、ぶるるるん。
飛行機が飛んでいるのでしょうか。いや、飛行機の音とも、どこかちがっています。
「アッ、星が飛んでいる。流星かな? 流星にしては、いやにゆっくり飛んでいる。おい、あれを見たまえ。へんな星みたいなものが飛んでくるよ。」
ひとりの警官が、そばに立っている警官に、そのほうを指さしてみせました。
「うん、飛んでくるね。だが星じゃない。アッ、あれはヘリコプターだぜ。さっきからのへんな音は、プロペラの音だよ。」
そういっているうちに、夜空にもくっきりと、ヘリコプターのすがたが浮きだしてきました。
ぶるるるん、ぶるるるん、ぶるるるん……。
プロペラの音は、話し声も聞こえないほど大きくなり、空からは、あやしい風が吹きつけてきました。
「アッ、屋根のまうえにとまった。ヘリコプターが、四十面相を助けだしにきたんだッ!」
そうです。ヘリコプターは、洋館の二階の屋根のまうえにとまっています。プロペラをゆっくりまわして、ちょうしをとりながら、そこの空中に、じっと浮かんでいるのです。
ガラスのようなプラスチックでかこまれた操縦室のドアが、サッとひらくのが見えました。
操縦室には、ふたりの人間のすがたが小さく見えています。そのうちのひとりが、ひらいたドアのところから、なにか長いものを、下へ落とすのが見えました。
「アッ、縄ばしごだッ。四十面相を縄ばしごで、ヘリコプターの中へひきあげるつもりだッ。」
地上の人々の口から、ワアッという、どよめきがおこりました。しかし、どうすることもできません。
縄ばしごは、屋根のむねのむこうがわにあり、四十面相は、そのほうへはいよっていくのです。
ホースの水は、あいかわらず怪人のあたまの上から、ふりそそいでいますが、かれをすべらせることはできません。四十面相は、かわらにしがみついて、すこしずつ屋根のむねに近づき、とうとうむねを乗りこして、むこうがわへすがたを消してしまいました。
「アッ、のぼっていく。のぼっていく。四十面相が、縄ばしごをのぼっていく……。」
くやしそうな叫び声がおこりました。やっぱりヘリコプターは四十面相のみかただったのです。空から怪人をすくいだしにきたのです。
「おい、水をぶっかけろ、そして、あいつを、縄ばしごから落としてしまえ。」
中村警部が、やっきとなってどなりました。しかし、残念ながら、ホースの水は縄ばしごまで、とどかないのです。
四十面相の黒いすがたは、ヘリコプターの操縦室のすぐ下まで、のぼりつきました。かれは、左手で縄ばしごを持ち、右手をはなして、地上の人たちをあざけるように、その手を空中にひらひらさせています。
「ワハハハハハ……。諸君、ごくろうさま。レンブラントの名画は、たしかにちょうだいしたよ。それじゃあ、あばよ!」
そのことばは、地上までとどきませんでしたが、人をばかにした大笑いの声は、みんなの耳にはいりました。四十面相は、レンブラントの名画のカンバスを、わくからはがして、ほそくまるめ、ふろしきにつつんで背中にせおっているのです。
警官たちは、じたんだをふんでくやしがりましたが、どうすることもできません。
ピストルをうとうにも、とてもあの高い空まではとどかないのです。
「しかたがない。警視庁に連絡して、こっちもヘリコプターを飛ばそう。そしてあいつを追っかけるんだ。」
中村警部は、はぎしりしながら、そんなことをつぶやきました。警視庁には、こんなときのために、二台のヘリコプターが、いつでも飛べるように用意されているのでした。
中村警部は、ひとりの警官をよんで、警視庁に電話することを命じようとしましたが、そのとき、ふと、みょうなことに気がつきました。
「オヤッ、あのヘリコプターには、見おぼえがあるぞ。あれは警視庁のヘリコプターじゃないか。はてな、これはいったいどうしたことだ。」
まちがいありません。たしかに目じるしがあるのです。それにしても、警視庁のヘリコプターが、怪人四十面相を助けにくるなんて、そんなばかなことが、あっていいものでしょうか。
ひょっとしたら、怪人の部下が、警視庁のヘリコプターをぬすみだして、首領を助けにきたのかもしれません。
中村警部はなにがなんだかわけがわからなくなり、ただもう、ぼんやりと空を見あげて、その場につっ立っているばかりでした。