密室の怪人
青銀色に光る夜光人間の首が、まっ暗な部屋の空間を、ふわふわとただよいながら、恐ろしい予告をしているあいだに、マユミさんは、あいてにさとられぬよう、じりじりと、入口のドアのほうへ近よっていました。そして、怪人のことばがおわるといっしょに、パッとドアをあけて廊下にとびだし、てばやくドアをしめて、ポケットのかぎで、そとから、カチンと、錠をおろしてしまいました。
さすがは探偵助手のマユミさんです。怪物をむこうにまわして、りっぱに、たたかったのです。怪物を、応接室に閉じこめてしまったのです。
応接室には、入口のドアのほかに、明智の書斎につうじる、もう一つのドアがありましたが、そのドアは、小林少年が出ていったあとで、かぎをかけてしまいました。
ですから、応接室からぬけだす道は、おもてのひろい道路にむかっている、二つの窓しかありません。ところがこの部屋は、鉄筋コンクリートだての高い二階にあるのですから、窓からとびおりたら、けがをするにきまっています。
たとえ、うまくとびおりたとしても、おもての道路には、まだ人通りがあります。みつからないで逃げだすなんて、とてもできるものではありません。夜光人間は、マユミさんのために、密室に閉じこめられたも、どうぜんなのです。
マユミさんは、すぐに、となりに住んでいる人を呼んで、夜光人間のことを知らせました。すると、二階じゅうの人が集まってきて、探偵事務所へ出入りできるぜんぶのドアの見はりをしてくれました。たとえ、夜光人間が書斎のドアをやぶって、べつの出入り口から逃げようとしても、こんなにおおぜいの見はりがついていれば、どうすることもできません。
マユミさんは、みんなに見はりばんをたのんでおいて、おとなりの電話をかりて、まだ世田谷の杉本さんのうちにいる小林少年と、それから、警視庁の一一〇番へ、このことを知らせました。一一〇番へ電話をかければ、近くをまわっているパトロール=カーが、すぐにかけつけてくれるのです。ながくて五、六分、早いときには二、三分でやってきます。
二階じゅうの人が、明智の部屋のまえの廊下に集まって、きみわるそうに、ひそひそと、ささやきかわしながら、閉めきったドアを見つめています。
そうして、三分もたったでしょうか。おもてのほうから、かすかに、ウー……、ウー……という、サイレンの音が聞こえてきました。
「アッ、パトロール=カーだ。やっと、きてくれたぞ。」
みんなは、たのもしそうに、ささやくのでした。
マユミさんは、階段をかけおりて、アパートの玄関へいってみますと、おもてに白い警視庁の自動車がとまっていて、中からふたり警官が出てくるところでした。
パトロール=カーには、警官がふたりしかのっていません。運転はそのうちのひとりがやるのです。夜光人間と聞いているので、自動車をからっぽにしておいて、ふたりとも、とびだしてきたのでしょう。マユミさんは、じぶんの名をつげて、ふたりを二階へ案内しました。
警官たちはドアの前につきすすみ、マユミさんのかぎをかりて、ドアをそっとひらき、すきまから、暗闇の部屋をのぞいてみました。
「なにもいないじゃないか。その光った首というのは、どのへんにいたんだね。」
マユミさんも、のぞいてみました。ただまっ暗です。夜光の首は、どこにも見えません。
「あら、どうしたんでしょう。どっかに、かくれているのかもしれませんわ。電灯を……。」
マユミさんは、ドアのすきまから手をいれて、壁のスイッチをおしました。
パッと、まひるのように明るくなった部屋の中。机の下にも、長いすの下にも、入口から見たところでは、どこにも人のすがたはありません。
書斎につうじるドアも、ぴったりしまったままで、そちらへ逃げたようすもないのです。
「おかしいな。はいってみよう。」
警官たちは、そういって、ドアをいっぱいにひらくと、明るい応接室へはいっていきました。そして、人間のかくれられそうなところは、ぜんぶしらべ、マユミさんのかぎで、ドアをひらき、となりの書斎や、そのほかの部屋も、くまなくさがしましたが、怪人は、まったく、消えうせてしまっていることがわかりました。
警官たちは、もとの応接室にもどって、道路にむかっている窓のそばに立ち、ひらいたままのガラス戸に目をつけて、マユミさんにたずねました。
「この窓は、あなたが、部屋にいるときから、ひらいていたのですか。」
「いいえ、ちゃんと閉めてありました。カーテンもひいてありました。じゃあ、もしかしたら……。」
「いや、ここから、とびおりることは、むずかしいでしょう。また、つたっておりるような足がかりもない。それに、そとの大通りには、まだ人が通っているのだから。」
警官のひとりは、窓から半身をのりだし、建物の壁をながめながら、いうのです。
ああ、またしても、夜光怪人は、ふしぎな魔法をつかいました。まったく出入りのできない部屋の中から、煙のように消えてしまったのです。
そのとき、入口のドアのそとで、ただならぬ人声がしました。
警官やマユミさんがふりかえると、廊下に集まっている人々をかきわけるようにして、アパートの事務員が、ひとりの男といっしょにはいってきました。
それはベレー帽をかぶって、黒ビロードのだぶだぶした服を着た、画家のような男でした。
「この人が、見たというのです。夜光人間が、窓から出て、空へのぼっていくのを見たというのです。」
事務員は息をきらして、報告しました。それを聞くと、ふたりの警官は目をまるくして、そのベレー帽の男の顔を、あなのあくほど見つめるのでした。