暗闇の待ちぶせ
それから二日め、いよいよ麻布の赤森さんのうちへ、夜光怪人がやってくる日になりました。
赤森さんは、マユミさんから知らせをうけたので、すぐに警察にとどけて、その日は明るいうちから、五人の刑事に家のうちそとを、まもってもらうことにしました。
また、
「明智先生が旅行からお帰りになったら、すぐきてくださるように。」
と、たのんでありました。そして、それまでのあいだ、小林少年が、宝物の見はりをすることになっていました。
すると、夕がたになって、赤森さんの玄関へ、黒い背広を着た、せいの高い紳士があらわれました。それが、旅行から帰った明智小五郎名探偵だったのです。
女中さんがとりつぎますと、主人の赤森さんがおどろいて、玄関へ出てきました。そして、ていねいに応接間へとおして、お茶やおかしをだして、もてなすのでした。
赤森さんは、まえには手びろく貿易商をやっていたのですが、いまは引退して、美術品をあつめるのを、たのしみにしているお金持ちで、六十歳ぐらいのでっぷりふとった、りっぱな人です。
「夜光人間が今夜、こちらへしのびこむとききましたので、旅行から帰ると、すぐにかけつけたのです。うちの小林がきているそうですが、どこにいるのでしょうか。」
明智が、たずねますと、赤森さんは、
「美術室で、見はりをしていてくれるのです。先生も、あちらへ、おいでくださいませんか。」
「ええ、そうしましょう。小林にかわって、ぼくが、見はりをひきうけますよ。」
そこで、ふたりは、おくまった美術室へはいりました。
ひろい部屋の壁いっぱいに、大小さまざまの洋画の額がかけならべられ、ガラス戸だなが、ずらっとならんでいて、そのなかに、うつくしい彫刻や、西洋のつぼや、花びんなどが、おさめてあります。
ふたりがはいっていきますと、まん中のテーブルに腰かけていた小林少年が、
「あ、先生!」
といって立ちあがりました。
「あとは、ぼくがひきうけるから、きみは事務所へ帰ってくれたまえ。しかし、いつ電話で連絡するかもしれないから、事務所を出ないようにね。」
小林君はそれを聞くと、ちょっとへんな顔をしましたが、先生の命令ですからしかたがありません。そのまま一礼して、部屋を出ていきます。
「ところで、赤森さん。その白玉の彫刻というのは、どこにしまってあるのですか。」
「あれです。あのガラス戸だなの上の段にならべてあります。わたしのもっている美術品のうちでは、いちばん値うちのあるものです。夜光怪人がこれをねらったのは、なかなか、目がたかいですよ。あいつは、めずらしい美術品が、どこにあるかということを、よく知っているらしいですね。」
明智探偵は、そのガラス戸だなのそばによって、五つの白玉の宝物を、つくづくとながめました。
「なるほど、これはすばらしい。ぼくは、こんなうつくしい彫刻は見たことがありませんよ。」
と感じいったようすです。
それから、ふたりは、まん中のテーブルに向かいあって腰かけ、しばらく話をしていましたが、
「こんやは、ぼくが、この部屋にかくれていることにしましょう。あなたは、ごじぶんの部屋へ、おひきとりくださって、けっこうです。ぼくひとりのほうが、つごうがいいのですよ。あとで、庭にいる刑事たちとも、うちあわせをして、あいつがやってきたら、ひっとらえる計画をたてます。じつは、ひとつ、うまい考えがあるのですよ。」
明智のたのもしげなことばに、赤森さんはすっかり安心して、
「どうかよろしくねがいます。日本一の名探偵といわれる先生に、見はりをしていただければ、こんな心じょうぶなことはありません。では、わたしは、あちらの部屋におりますから、ご用があったら、いつでも、ベルをおしてください。」
「それでは、この部屋のドアのかぎをおかしください。中からかぎをかけて、だれもはいれないようにしておきたいのです。」
赤森さんは、部屋のすみの戸だなのひきだしから、かぎをとりだして、明智探偵にわたし、そのまま、ドアのそとへ出ていきました。
あとに残った明智探偵は、入口のドアにかぎをかけてから、庭にめんした窓のところへいって、そとをのぞきました。
すると、ちょうどそこへ、ひとりの刑事がとおりかかりましたので、明智はその名をよび、刑事が、窓の近くへよってくるのを待って、ひそひそと、なにかささやきました。それは警視庁の中村警部の部下の刑事で、明智探偵は、よく知っていたのです。
刑事が、うなずいて立ちさりますと、明智は窓をしめ、かけがねをはめて、しばらく部屋の中を見まわしていましたが、すみにおいてある木の戸だなと壁のあいだに、すこし、すきまがあるのを見つけ、からだを横にして、そこへかくれてしまいました。
それから一時間あまり、なにごともなくすぎさりました。
部屋の中は、しいんと、しずまりかえって、まったく、からっぽのように見えます。ドアや窓には、みな、うちがわから、しまりがしてあります。
もし夜光人間が、どこかをこじあけて、はいってくれば、すぐにわかりますから、明智探偵は、かくれ場所からとびだして、つかまえる。
庭やうちの中の廊下には、五人の刑事がかくれていますから、さわぎがおこれば、すぐにかけつけてくる、というてはずなのです。
やがて、窓のそとに夕やみがせまり、みるみる日がくれて、庭は、まっ暗になってしまいました。部屋の中も、電灯をつけないので、しんの闇です。
その暗闇の中で、明智探偵は、タバコを吸うのもがまんして、しんぼうづよく待ちぶせしていました。
庭の見はりをうけもっている三人の刑事は、ばらばらに分かれて、木のしげみにかくれ、じっと、あたりに気をくばっていました。
すると、まっ暗な庭の立木のあいだに、青白い光りものが、フワッと浮きだしてきたではありませんか。夜光怪人の首です。大きな赤い目が、らんらんとかがやき、耳までさけた口が、火のようにもえています。
しかし、それをみても、刑事たちは、かくれ場所からとびだしません。怪物が美術室へしのびこむのを待っているのです。明智探偵が怪物をとらえて、あいずをするまで、けっしてさわがないようにと、いいつけられていたからです。
首ばかりの夜光人間は、ふわふわと宙をただよいながら、美術室の窓のほうへ近づいていきます。
木かげに身をひそめた三人の刑事は、じっと、それを見おくっていましたが、光る首は窓のところまでいくと、ふっと、かき消すように見えなくなってしまいました。
幽霊のように、ガラスをとおりぬけて、部屋の中へはいっていったのでしょうか。どうも、そんなふうに感じられるのです。
三人の刑事は、いまにも部屋の中から、明智探偵との取っくみあいの音が、聞こえてくるのではないかと、耳をすまして待ちかまえました。