名探偵の危難
そのとき、美術室の前の廊下には、ふたりの刑事が、ものかげにかくれて、じっと息をころしていました。
すると、とつぜん、美術室の中から人の声が聞こえ、どたんばたんと、取っくみあっているような物音がひびいてきました。
いよいよ夜光怪人がやってきたので、明智探偵が、とらえようとしているのかもしれません。
ふたりの刑事は、いそいで美術室の前にいき、ドアをひらこうとしましたが、中からかぎがかかっていて、びくとも動きません。
刑事たちは、どんどんとドアをたたきながら、大声で明智探偵に呼びかけました。
「先生、あいつがやってきたのですか。ここをあけてください。」
しかし、中からは、なんの答えもないのです。明智は怪人と取っくみあっていて、返事をすることもできないのかもしれません。
「明智先生! どうされたのです? 相手がてごわいのですか。このドアをあけることはできませんか。」
中では、やっぱり無言のまま、どたんばたんという恐ろしい物音がつづいています。ハッ、ハッ、という、はげしい息づかいまで聞こえてくるようです。
「明智先生は、やられているのかもしれないぞ。からだでぶつかって、ドアをやぶろうか。」
「いやまて、それよりも合いかぎのほうがはやい。ぼくがご主人を呼んでくるから待っててくれ。」
ひとりの刑事が、そう叫んで、奥のほうへかけだしていきましたが、やがて、主人の赤森さんをつれてもどってきました。
赤森さんは、用意してきた合いかぎで、すぐにドアをひらきました。
ふたりの刑事は、そこからとびこんでいきましたが、まっ暗で、なにがなんだかわかりません。
「ご主人! スイッチはどこですか、電灯をつけてください。」
その声に、赤森さんも部屋の中へふみいり、手さぐりで電灯のスイッチをおしました。パッと明るくなった部屋の中。
「アッ、明智先生が……。」
三人は、たおれている明智探偵のそばへかけよりました。名探偵は、ぐったりとなって、気をうしなっているようです。
「明智先生! しっかりしてください。」
だきおこして、ゆすぶっても、目をふさいだまま、てごたえがありません。
しかし、あいてはどこへいったのでしょう。
部屋の中には明智のほかに、だれもいないのです。
そのとき、庭にめんした窓のガラスを、コツコツと、たたく音が聞こえました。みると、庭にいた三人の刑事の顔が、ガラスのそとに、かさなりあっています。電灯がついてから、こちらの刑事たちのすがたが見えたので、かけつけてきたのでしょう。
部屋の中の刑事が、かけがねをはずして窓をひらきますと、三人の刑事は窓をのりこえて、部屋の中にはいってきました。
みんなで、明智探偵を取りかこんで、名を呼んだり、からだをゆすったりしていましたが、すると、名探偵はやっと正気づいて、目をひらき、キョロキョロと、あたりを見まわすのでした。
「あいつは、とらえましたか……。」
明智が、顔をしかめながら、力のない声でたずねます。
「あいつって、夜光怪人のことですか。」
明智は、「もちろん。」といわぬばかりに、うなずいてみせます。
「ぼくたちが、はいってきたときには、もうだれもいなかったです。……しかし、どこから逃げたのかな。ドアにも窓にも、ちゃんとしまりができていたのに……。」
すると、庭にいた刑事のひとりが、それをひきとって、
「そういえば、もっとへんなことがある。ぼくたちは、夜光怪人の首が、あの窓のところへ飛んでくるのを見ました。そして窓の前で、スウッと消えてしまったのです。それにしても、しまった窓から、どうして部屋の中へはいったのか、じつにふしぎです。あいつは、やっぱり幽霊みたいに、ガラスをとおりぬけて、はいったのでしょうか。」
と、おびえたような顔をしています。
「明智先生、ほんとうに、あいつを、つかまえられたのですか。」
「うん、つかまえることは、つかまえたんだが、おそろしく力の強いやつで、取っくみあっているうちに、うしろむきにたおされ、そのとき、ひどく頭をうって、つい気をうしなってしまった。」
「それで、あいつは、光った首だけを、あらわしていたのですか。」
「いや、全身に、まっ黒なものを着ていた。顔も黒い覆面で、かくしていた。暗闇の中へ影法師みたいなやつが、ヌーッとはいってきたんだよ。
窓のところで、光る首が消えたというのは、そこで黒い覆面を、かぶったのにちがいない。それにしても、しまったままの窓から、どうして中へはいったのか。その秘密は、ぼくにもわからないのだ。」
そのとき、部屋のいっぽうで、赤森さんのけたたましい声が聞こえました。
「アッ、白玉の彫刻がないッ! 五つとも、なくなっている。」
みんなが、ガラス戸だなの前に集まりました。
みると、そこの陳列だなが、からっぽになっているのです。夜光怪人は、約束どおり、赤森さんの宝物を盗みさったのです。
「赤森さん、もうしわけありません。ぼくの計略が、まちがっていました。ドアにかぎをかけたのがいけなかったのです。ドアさえあいていれば、刑事諸君が助けてくれたでしょうから、あいつをとらえるのは、わけなかったのです。明智小五郎、一生の大失敗でした。しかし、これで負けてしまうつもりはありません。きっと白玉の彫刻を取りかえしてお目にかけます。十日ほど、ゆうよをください。かならず、この恥をすすいでみせます。」
明智探偵は、頭のきずをおさえながら、もうしわけなさそうにいうのでした。
それからまもなく、明智探偵は、しょんぼりしたすがたで、赤森さんのうちを出ると、自動車にも乗らず暗いやしき町を、とぼとぼと歩いていきました。ところが、そのとき、みょうなことが起こったのです。
明智のとおりすぎた道の電柱の下に、ひとりのこじきが、うずくまっていましたが、そいつが、スックと立ちあがって、探偵のあとをつけはじめたではありませんか。
暗いので、よくわかりませんが、ぼろぼろの服をきた、からだの小さいこじきです。尾行にはなれているとみえて、あいてに気づかれぬよう、うまくあとをつけていきます。