ヨシ子ちゃんの危難
丈吉君は心配しながら、しんぼうづよく待っていましたが、やがて五十分もたったころ、やっとかくし戸がひらいて、小林少年がもどってきました。そして、丈吉君の耳に口をよせて、なにごとか、ひそひそとささやくのでした。
丈吉君は、それを聞きおわると、目をかがやかせて、小林少年の顔を見つめました。
「ふうん、それがうまくいったら、すばらしいね。でも、だいじょうぶですか。」
「だいじょうぶですよ。ぼくはたびたび、そういうけいけんがあるんだから。」
小林君は、にこにこしていうのでした。
それよりすこしまえに、警視庁の中村警部は、五人の部下をつれて、園田さんのうちへきていました。五人の刑事には、門や庭を見はらせておいて、警部は一階の応接間で、主人の園田さんと話をしていました。
小林少年は灰色のシャツをぬいで、ふつうの服に着かえてから、その応接室にはいって、中村警部や園田さんと、なにかひそひそと、秘密の相談をしました。
そして中村警部が、五人の刑事をのこして、自動車で帰っていったのは、もう夜の九時ごろでした。その自動車には、中村警部と運転手のほかに、灰色のシャツと、灰色の覆面に身をかくした、ひとりの少年が乗っていきました。
さっき、塔の秘密の通路へはいっていった小林少年とそっくりのすがたですが、小林君ではありません。小林君は、ちゃんと園田さんのうちにのこっていたからです。それに、この少年は、小林君より、ずっと、せいがひくいのです。ひょっとしたら、小林君が、灰色のシャツと覆面を、かしてやったのかもしれません。
それにしても、中村警部につれられて、こっそり出ていったこの少年は、いったい、なにものでしょう? 読者のみなさんは、これがだれだか、おわかりになりますか。
その晩、園田家には、もう一つ、みょうなことがありました。それは、ヨシ子ちゃんが、また、もとの二階の寝室へもどされたことです。
ヨシ子ちゃんの寝室は西洋館の二階にあって、にいさんの丈吉君の寝室と、となりあわせになっていたのですが、白い幽霊が、ヨシ子ちゃんの手のひらに、3という字を書いていってから、二階の寝室はあぶないというので、ヨシ子ちゃんも丈吉君も、一階のおとうさんの部屋で、いっしょに寝ることになっていたのです。
ところがヨシ子ちゃんは、今夜からまた、二階の寝室にもどることになり、そのとなりの寝室には、丈吉君と小林少年が、やすむことになりました。
小林君が園田さんにたのんで、そういうふうにさせたらしいのです。いったい、これはどういうわけなのでしょう。
二階の寝室には、かぎがかかるようになっているのに、小林君は、そのかぎさえ、かけないでおきました。
まるで四十面相が、ヨシ子ちゃんをさらいにくるのを、待っているようなものです。しかし、これには、なにか深いわけがあるのでしょう。
さて、その晩の十二時すぎのことです。園田さんの西洋館には、またしても、あの白い幽霊があらわれました。
目も鼻もないのっぺらぼうの白い幽霊は、時計塔の階段を、音もなく一階までおりて、おもやの階段を二階へとあがってきました。そして、ヨシ子ちゃんの寝室の前までくると、ドアをほそめにあけて、そっと寝室の中をのぞくのでした。ヨシ子ちゃんは、なんにも知らないで、すやすやと眠っています。
白い幽霊はドアをひらいて、音もなく寝室の中へはいってきました。
十二時をすぎれば、もう九月二十日です。四十面相は約束どおり、なにか恐ろしいことをはじめようとしているのです。
白い幽霊は、スウッと寝台に近づいて、ヨシ子ちゃんの顔を上からのぞきこみました。
ヨシ子ちゃんは、まだ気がつきません。
白い幽霊は、どこからか大きなハンカチのようなものをとりだしたかと思うと、いきなりヨシ子ちゃんの口へおしこみ、白いてぬぐいのようなもので、口から首のうしろにかけて、強くしばってしまいました。さるぐつわです。
ヨシ子ちゃんは、むろん目をさましました。そして、すぐ顔の前に、のっぺらぼうな白い幽霊がいるのを、とびだすほど見ひらいた目で見つめました。
叫ぼうとしましたが、さるぐつわのために声がでません。
幽霊は毛布をまくって、ヨシ子ちゃんをよこだきにしました。
幽霊にしては、恐ろしい力です。
ヨシ子ちゃんは、手足をばたばたやりましたが、幽霊の鉄のような腕はびくともするものではありません。スウッと寝室を出て、廊下から一階の階段へ、音もなく走っていきます。
そのときです。ピリピリピリピリリ……と、けたたましい呼びこの音がひびきわたりました。ヨシ子ちゃんのとなりの部屋で寝ていた小林少年が廊下へとびだしてきて、呼びこを吹いたのです。ちゃんと、ひるまの服をきています。服のままベッドにはいっていたのでしょう。
小林君は、呼びこを吹きながら、幽霊のあとをおって、一階への階段をおりました。すると、その音をききつけた五人の刑事が、つぎつぎと、そこへかけつけてきました。
白い幽霊は、もう時計塔の一階にかけこんで、その階段を、上へ上へとのぼっています。
「ヨシ子ちゃんをつれていった白い怪物です。時計塔の五階に、秘密の出入口があります。あいつは、そこへのぼっていくのです。追っかけてください。どこまでも追っかけてください。」
小林君が、刑事たちに叫びました。
小林君をさきにたてて、五人の刑事が、時計塔の階段をかけあがりました。
二階から三階、三階から四階、そして、いちばん上の機械室。
しかし、みんながそこへのぼりついたときには、白い幽霊のすがたは、もうどこにも見えませんでした。かくし戸をひらいて、秘密の通路を、おりていったのにちがいありません。
小林少年は、かくし戸をひらく歯車をまわしました。カタンと音がして、壁のかくし戸が、スウッとひらいていきます。
「さあ、ここからはいるんです。」
小林君は、そうささやいて、かくし戸の中へはいりました。
刑事たちも、あとにつづきます。
かくし戸の中には、せまいたて穴が、井戸のように下へつづいていて、そこに、ほそい鉄ばしごがかかっているのですが、まっ暗で、なにも見えません。
刑事のひとりが懐中電灯を照らし、小林君をさきにたてて、みんなが、そのせまい鉄ばしごをおりていきました。
五階から四階へ、四階から三階へ、三階から二階へ、二階から一階へ。
「アッ、はしごがなくなっている。」
小林君が小さな叫び声をたてました。一階から地下室への鉄ばしごが、なくなっているのです。四十面相が追っかけてこられないように、とりはずしたのでしょう。
四メートルもある高さです。とびおりたら、けがをするかもしれません。
「よしッ、さるのまねをしよう。」
ひとりの大男の刑事が、小林君の背中をとおりこして、鉄ばしごのいちばん下のだんに、ぶらさがりました。
「さあ、ぼくの背中をつたって、ぼくの足くびにぶらさがるんだ。そして、手をはなせば、足の下は一メートルもありゃしないよ。小林君、きみからさきにやってごらん。」
さるが、木の枝からさがるときには、おたがいのからだを、くさりのようにつなぎあわせて、それをつたっておりるのです。刑事は、あのやりかたをまねたのでしょう。
小林君はいわれるとおりに、刑事の背中をつたって、刑事の足くびにぶらさがり、パッと手をはなしました。
すると、すぐ足の下に床があったので、びっくりしたほどです。こういうときには、さるのまねにかぎると思いました。
「待ってください。ドアがしまっているから、せまくって、ここには、ひとりしか立つことができません。ぼくがこのドアをひらくまで、待ってください。」
小林君は、上にむかって叫んでおいて、ポケットから万年筆型の懐中電灯をだし、あたりを照らしました。
ドアが、ぴったりとしまっています。おしても、ひいても動きません。ここで、夕べ小林君がしのびこんで、しらべておいたことがやくにたちました。そうでなければ、小林君や刑事たちは、これいじょう進めなかったにちがいないのです。
小林君は懐中電灯で、ドアのよこの壁を照らしました。すると、壁の上のほうに、ちょっと見たのではわからないような、小さなおしボタンがありました。
小林君は、夕べここにはいったとき、そのボタンをおせば、ドアがひらくことを、ちゃんと、しらべておいたのです。
ゆびで、そのボタンをグッとおしました。するとドアが、スウッと音もなくひらいていきます。
「さあ、みんな、おりてください。」
小林君は、刑事たちに、そうよびかけておいて、ドアのむこうへはいっていきました。