銀行どろぼう
そのあくる日のことです。台東区の東洋銀行支店に、おそろしい事件がおこりました。
午前九時ごろのことです。こみあっている銀行の中へ、ひとりの紳士がはいってきました。おしろいでもぬったような白っぽい顔、まっかなくちびる、そして、おそろしく肩の角ばった、背広の大男です。
その大男は、銀行の現金支払いの窓口に立って、ほかの人たちが、お金を受けとっていくのを、じっと見ていましたが、ひとりの店員が、十万円の札束を受けとろうとしたとき、大男はいきなり横から手を出して、その札束をわしづかみにすると、そのまま銀行のドアを開いて、外へ出ていきました。
店員はびっくりして、しばらくはぼんやりしていましたが、大男がドアの外へ出ようとするとき、やっと叫び声をたてました。
「あっ、どろぼうだ。あいつです、つかまえてください。どろぼう、どろぼう……。」
とわめきながら、ドアのところへかけつけましたが、そのときには、大男はもう外に出て、ぐんぐん向こうへ歩いていくのです。このさわぎに、銀行にきていた男の人たちや、銀行の守衛さんが、店員のあとを追って外へとびだしましたが、もう、そのへんには、かげもかたちもありません。
「向こうへ行った、向こうへ行った。」
店員が、そういいながら横町へ走っていくので、みんなもあとを追いましたが、横町のかどまで行って、向こうを見ても、さっきの大男の姿は、どこにもありません。
それから、おまわりさんもやってきて、みんなで手わけをして、町から町をじゅうぶんしらべ、そのへんのうちは一軒ずつ、たずねまわりましたが、どこにも大男はいないのです。まるで、煙のように消えうせてしまったのです。
では、大男はいったいどこへかくれたのでしょう。それは、こういうわけです。
大男は札束をつかみとると、銀行を出て、すぐ横町に曲がりましたが、さいわい、その横町には人通りがなかったので、道のまん中にあるマンホールの鉄のふたを持ちあげて、あなの中へとびこみ、下からふたを、もとのとおりにしめてしまったのです。
マンホールの鉄のふたは、ひとりでは、なかなか持ちあげられません。まして、あなの中へはいって、下からふたを、もとのとおりにしめるのは、いっそうむずかしいのです。みんなは、それがわかっているものですから、まさか、大男がマンホールへかくれたとは、考えてもみなかったのです。
いくら捜しても、わからないので、みんなは銀行の前にもどって、顔を見あわせていましたが、その中のひとりが、とんきょうな声をたてました。
「はてな、おかしいぞ。あいつは、ふつうの人間じゃない。ひょっとしたら、あいつは鉄人Qだったのかもしれないぞ。」
「えっ、鉄人Qだって?」
「そうさ、鉄人Qなら怪物だから、魔法を使って、消えうせたのかもしれない。」
そして、みんなはまた、青ざめた顔を見あわせるのでした。
そうです。あの大男は鉄人Qだったのです。鉄人ですから、おそろしい力があります。マンホールのふたを持ちあげるくらい、なんでもないことです。
鉄人は、しばらくして、人通りがとだえたころ、そっとマンホールのふたを持ちあげて、細いすきまを作り、そこから、あたりを見まわして、だれも見ていないことをたしかめると、マンホールを出て、ふたをもとのようにしめたうえ、どこともなく、立ち去ってしまいました。
ひとめ見たのでは、ただ大男というだけで、べつに人間とはかわりはないのですから、町ですれちがっても、つい、うっかりと見のがしてしまうのです。新聞が書きたてたといっても、写真が出たわけではないので、なかなか気がつきません。それにしても鉄人Qは、お札なんかぬすんで、どうしようというのでしょう。人造人間のくせに、お金の使いみちを知っているのでしょうか。
おはなしかわって、上野山下の商店街の中に山形屋という食料品店があります。そこの店員に、鳥井君という、小がらの少年がいました。この鳥井少年は、もと少年探偵団のチンピラ隊のひとりだったのです。チンピラ隊というのは、少年探偵団長の小林君が、浮浪少年を集めて作った探偵団の別働隊で、それらの少年の多くは、いまは「アリの町」のくず拾いなどをやって働いているのですが、この鳥井少年は、どうしても店員になりたいというので、名探偵明智小五郎の世話で、山形屋食料品店につとめることになったのです。
店へきてから、まだ三月にしかなりませんが、かしこくて、よく働くので、ご主人も、たいへん気にいっていました。
東洋銀行支店の、どろぼう事件があった日の夜のことです。山形屋の店の前に、ひとりの背広の紳士が現われました。おそろしく肩の角ばった人です。顔はおしろいをぬったように白くて、くちびるはまっかです。
鳥井少年はそれを見ると、すぐに、そばへ寄っていって、
「何をさしあげますか?」
と、あいきょうよくたずねました。
「パンとバターと、牛肉のかんづめと、ジュースをください。」
大男は、へんな声でいいました。まるで、すりきれたレコードの音を聞いているようです。大男はパンもバターも、かんづめもジュースも、両手に持てるだけ、どっさり買いこんで、千円札を出し、おつりもとらないで、そのまま帰っていきます。
「もしもし、おつりです。」
鳥井少年が声をかけても、ふりむきもしません。なんだか、お金のかんじょうを、よく知らない人のようです。
鳥井君は、あきれて大男のうしろ姿を見ていましたが、その歩き方が、じつにへんてこでした。まるで、機械じかけの人形のような、ぎごちない歩き方です。
鳥井君は、はっと、あることに気がつきました。
「あいつは鉄人Qかもしれないぞ。鉄人はけさ、東洋銀行から札束をぬすんで、逃げてしまったということだ。いまの千円札は、その札束の一枚じゃないかしら。」
そう思ったので、鳥井君は、店にいたご主人に、そのことを話し、おゆるしを受けて、店の懐中電灯をポケットに入れると、いそいで大男のあとを追いました。チンピラ隊にいたのですから、尾行はうまいものです。
大男は上野公園の入口の坂道を、のぼっていきます。夜で人通りがないので、東京のまん中とも思えない、さびしさです。
「ははあ、わかったぞ。あいつ、きのう、小さい女の子をさらっていったということだ。その女の子を、どこかにかくしていて、女の子に食べさせるために、あんなに食料を買っていったのだな。あいつは鉄の人間だから、何も食べないでも、生きていられるのだ。あの食料は女の子のためのにちがいない。」
りこうな鳥井少年は、早くも、そこへ気がつきました。
大男はだんだん、上野公園の奥へはいっていきます。あたりはシーンとしずまって、ほんとうの山の中のようなさびしさです。