水の中へ
全身、鉄でできた、生きたロボットの「鉄人Q」は、上野公園の五重の塔から、警官にばけて、逃げだしてしまいました。
それから、ひと月ばかり、どこにかくれているのか、まったくわかりませんでした。警察は手をつくして、捜しまわったのですが、どうしても見つけだすことができませんでした。
鉄人Qを作った、あやしい老人のうちも、むろんしらべましたが、Qが逃げだしてから、じきにどこかへ、姿をくらましてしまったということでした。
ところが、ひと月ほどたった、ある晩のことです。新橋の大通りにある、玉宝堂という宝石店にふしぎな事件がおこりました。
夜の九時ごろです。
玉宝堂が、もう、店をしめようとしていますと、ひとりの大男がヌッと店の中へはいってきました。
見ると、背広を着た、りっぱな紳士ですから、店員たちは、
「いらっしゃいませ。」
と、えがおで迎えました。
紳士はツカツカと、ガラスの陳列台のそばによって、いちばん高価なダイヤなどのならんでいる棚を、指さしました。
ひとことも、ものをいいませんが、そこにある宝石を出して、見せてくれという意味にちがいありません。店員のひとりが、ガラスの戸をあけて、サックにはいっているダイヤを出して、ガラスの台の上におきました。
紳士は、それをちょっと見ましたが、気にいらぬのか、また宝石の棚を指さします。店員は、紳士の指の動くままに、まるで、催眠術にでもかかったように、つぎつぎと、高価な宝石のサックをとりだして、ガラスの台の上にならべました。
すると、そのときです。
大男の紳士の、がんじょうな腕が、サッと、ガラス台の上にのびたかと思うと、そこに出ていた六つのサックから、手早く宝石をぬきとって、じぶんのポケットに入れてしまったではありませんか。
店員たちは、びっくりして、紳士を引きとめようとしましたが、紳士は、とりかこむ店員たちを押しのけて、店の外に出ると、パッとかけだして、横町へ消えてしまいました。店員たちは、
「どろぼう、どろぼう……。」
と叫びながら、あとを追って、横町へかけつけましたが、そこにはもう、だれもいませんでした。
そこは、さびしい、暗い横町で人通りもなく、向こうの方まで、よく見えるのですが、どこへ行ったのか、さっきの紳士の姿は、かきけすようになくなっていました。
さわぎを聞きつけて、近所の店の人たちや、通りがかりの人が、集まってきました。おまわりさんも、かけつけてきました。
そして、その横町はもちろん、町から町を、捜しまわりましたが、なんの手がかりもないのです。
「あいつは、ものをいわなかったし、顔を少しも動かさなかったぜ。まるで人形の顔みたいだった。ひょっとすると、あいつ、上野の塔から逃げた鉄人Qかもしれないぞっ。」
店員のひとりが、やっとそこへ気がついて、どなりました。
集まっていた人びとのあいだに、ワーッという、ざわめきがおこりました。
「鉄人Qなら、魔法使いだ。姿をかくす名人だ。いくら捜したって、もう、見つかりっこないよ。」
だれかが、そんなことをいいだしました。
鉄人Qと聞くと、こわくなったのか集まった人たちは、ひとり去り、ふたり去り、だんだん人数がへって、しばらくすると、だれもいなくなってしまいました。
玉宝堂の店員たちはぶつぶついいながら、店に帰り、おまわりさんも、そのことを報告するために、本署へいそぎました。
暗い横町は、ガランとして、人っこひとり、いなくなってしまいました。
ところが、その横町のまん中へんの、ごみ箱のかげに、何か動いているものがあるではありませんか。
犬でしょうか? いや、犬ではありません。きたない服をきた、小さな少年です。
こじきの子どもでしょうか? そうかもしれません。
その少年は、ごみ箱のかげに、しゃがんで、じっと、向こうの地面を見つめています。いっしょうけんめいに見つめているのです。
いったい、何を見つめているのでしょうか。
すると、少年の見つめているあたりの地面が、ユラユラと、動きだしたではありませんか。
地面が、あんなに動くわけはありません。いったい、どうしたというのでしょう。
ああ、わかりました。マンホールの鉄のふたです。あの丸いふたが、ジリッ、ジリッと、下から持ちあがってくるのです。
そして、その下から現われたのは……あいつです。あの、お面のような顔をした鉄人Qの姿です。
かれは、またしても、マンホールの中にかくれていたのです。
かれは、あなから出て、鉄のふたをもとのとおりにしめて、そのまま歩きだしました。横町から横町へと、人通りの少ない町をよってだんだん東の方へ、つまり東京湾の方へ歩いていくのです。
ごみ箱のかげにかくれていた少年はこっそり、鉄人Qのあとをつけていきます。
「やっぱり、そうだった。ふつうの人間には、マンホールの鉄のふたを、ひとりで動かすのはむずかしいが、あいつならできると思った。鉄の腕を持っているんだからな。」
そうつぶやいた少年の顔を見ますと、それは少年探偵団のチンピラ別働隊の、ポケット小僧でした。
このお話では、ポケット小僧は、はじめて出てきましたが、ほかの事件では、たいへん活躍している、有名な小僧なのです。十二歳ですが、見たところ六つぐらいの大きさで、ポケットにはいるほど小さいというので、ポケット小僧と呼ばれているのです。
ポケット小僧は、今晩、銀座に用事があって、その帰りに、新橋の大通りを通りかかったとき、玉宝堂の事件がおこったので、集まってきた人たちにまじって、ようすを見ていたのですが、みんなが帰ってしまっても、ポケット小僧だけは帰らないで、ごみ箱のかげにかくれて、じっとしんぼうづよく、マンホールを見はっていたのです。
小僧の考えは、みごとにあたりました。さすがは、少年探偵団のチンピラ隊員です。
鉄人Qは、ポケット小僧につけられているとも知らず、新橋に出て、川ぞいに、浜離宮の方へ歩いていきます。
そのころは、もう十時をすぎていましたから、あの辺は、人通りも少なく、町もうすぐらくて、鉄人のみょうな姿に気づくものもありません。
「よし、どこまでも尾行して、あいつのすみかをつきとめてやろう。そして、少年探偵団とチンピラ隊の力であいつをつかまえてみせるぞっ。」
ポケット小僧は心の中で、そんなことをつぶやきながら、しゅうねんぶかく、尾行をつづけました。大声で叫べば人が集まってきて、とらえてくれるかもしれませんが、それではおもしろくないと考えたのです。
ところが、浜離宮まで行かないうちに、ふしぎなことがおこりました。そこは川づたいの道でしたが、その川岸の、石段のあるところへ、さしかかりました。舟に荷物をつんだり、おろしたりするための石段です。石段は川の水面までつづいていました。
鉄人Qは何を思ったのか、その石段をおりはじめたではありませんか。
「おや、こんなところに、舟が待たせてあったのか。こりゃ、しまったぞ。」
ポケット小僧はギョッとして、立ちどまりました。舟に乗られてしまったら、もうあとをつけることができないからです。しかし、暗い水面を見まわしても、舟はいないのです。舟もいないのに鉄人Qは石段をどんどん、おりていくではありませんか。
「それじゃあ、あいつ、川を泳いで、逃げるつもりかな。」
ポケット小僧は、またギョッとしましたが、よく考えてみると、全身、重い鉄でできたQが、水に浮くわけはありません。川へはいれば、ブクブクと、沈んでしまうにきまっています。
ところが、Qはへいきで石段をおりています。もう水面すれすれのところまでおりましたが、それでもまだ、とまらないのです。
Qの足が、暗い水の中へ、ザブッとはいりました。かれが一足歩くたびに水は足からひざ、ひざからもも、ももから腰、腹、胸と、のぼってきて、いまは水面から首が出ているばかりになりました。それでもまだ、とまりません。やがて、首も水の下にかくれてしまい、あとには、ブクブクとあぶくが浮きあがってくるばかりです。
ああ、いったいこれは、どうしたことでしょう?