なわぬけ術
その部下の男は、昼も晩も、御飯をはこんでくれました。そのほかにも、ときどきあらわれて、洗面所へ、つれていってくれるのでした。
そのたびに、なわをといてくれますが、男が立ち去るときには、また、げんじゅうになわをかけていくので、こっそり逃げだすことなんか、とてもできるものではありません。
しかしポケット小僧は、少しも心配しませんでした。知恵を働かせて、ここから逃げることを、ちゃんと考えついていたからです。
昼間は何くわぬ顔をしていましたが、晩の御飯を食べるとき、男がわきみをしているすきに、ひとにぎりの御飯のかたまりを、そっと、部屋に落ちている板ぎれの下へかくしました。
男はそれとも知らず、御飯がすむと、またもとのように、ポケット小僧の手足をしばり、さるぐつわをはめ、そこへころがしておいて、下へおりていってしまいました。
ポケット小僧は、ころがったまま、じっと、夜がふけるのを待っていました。
もう八時か九時ごろでしょう。あたりは、まっくらで、シーンと静まりかえっています。耳をすますと、コト、コト、コト、コト……と、小さな音が聞こえてきます。ネズミです。ゆうべと同じように、あなからネズミが出てきて、あばれているのです。
ポケット小僧は、さっき御飯のかたまりをかくしておいたところへ、ころがっていき、あごを使って板ぎれをとりのけると、しばられた胸を、御飯のかたまりの上に押しつけて、なわに、御飯つぶを、じゅうぶんになすりつけました。
そして、床に残った御飯つぶは、からだでかくして、そこにあおむけにじっと横たわっていました。
しばらく、そうしていると、また、コト、コト、コトと小さな足音がして、ネズミが出てきました。どうやら、二匹のようです。
ポケット小僧は息を殺して、死んだように身動きもしません。すると二匹のネズミは、御飯のにおいをかぎつけたらしく、チョロチョロとポケット小僧のからだに近づき、とうとう、胸の上へのぼってきたではありませんか。
御飯つぶは、胸のなわに、じゅうぶんこすりつけてあるので、御飯つぶだけを食べるわけにはいきません。なわもいっしょに、かじらなければならないのです。二匹のネズミは、するどい歯で、そのなわをポリポリとかんでいます。
ポケット小僧の計略は、みごとにあたりました。ネズミはとうとうなわをかみきり、しばられていた両手は、自由になったのです。
手さえ自由になれば、もうしめたものです。
その手でさるぐつわをはずし、足のなわをといて立ちあがることができました。
屋根裏部屋から下へおりるところには、板戸がしめてありますが、かぎはかからないのです。ですから男は、ポケット小僧をしばっておくほかはなかったのです。
その板戸をそっとあけて、音のしないように、はしごをおりました。そこは三階です。廊下に電灯がついているので、もう迷うことはありません。
二階におり、一階におり、廊下をしのび歩いて、鉄人Qのありかをさがしました。
ドアの上の空気ぬきの窓に、あかりのうつっている部屋がありました。ドアに近よって、耳をすますと、人が動いているけはいがします。ポケット小僧はドアの前にしゃがんでかぎあなから、のぞいて見ました。
かぎあなに目をあてますと、中に電灯がついているので、部屋の一部がよく見えます。
まっ正面に鉄人Qが、こちらを向いて立っていました。おしろいをぬったような顔、まっかなくちびる、びっくりしたような、まんまるな目、きれいにいろどった鉄の顔です。
「ロボット君、きみは、じつに、よくできているよ。おなかの中の歯車じかけで、ひとりで歩けるし、少しぐらいは口だってきけるんだからねえ。」
鉄人Qではなくて、別の人がしゃべっているのです。その人の姿は、かぎあなからは見えません。
Qを作ったあのおじいさんでしょうか。いや、おじいさんにしては、声が若いようです。
ちらっと、その人の肩が見えました。黒い服を着ています。肉のもりあがった大きな肩です。おじいさんではありません。では、あの部下の男でしょうか。いや、そうでもなさそうです。
「きみのおかげで、おれは世間の目をくらますことができた。まるで、魔法使いのように、自由自在に悪いことができるのだ。まったく、きみのおかげだよ、ねえ、ロボット君。」
その男のうしろ姿が、半分ほど見えるようになりました。顔が半分見えていますが、おしろいをぬったように、まっ白です。
おや、この男は、鉄人Qと、そっくりではありませんか。洋服もまったく同じです。
ポケット小僧はびっくりして、なおも、いっしんに、かぎあなをのぞきました。
しばらくすると、いままで背中を見せていた男が、ヒョイとこちらをむきました。
ああ、やっぱりそうでした。何から何まで、そっくりです。鉄人Qが、ふたりになったのです。つぶらな目、白いのっぺりした顔、まっかなくちびる、まるで、かがみにうつしたように、まったく同じ顔が、二つならんだのです。からだのかっこうも、そっくりです。
ああ、鉄人Qがふたりいる。そしていっぽうのQは、ふつうの人間のように、自由に、ペラペラと、しゃべっているのです。
さっきから、こちらを向いて立っているQの方は、人形のように、じっとしたまま何もいいません。これはロボットにちがいないのです。では、もうひとりのQは、いったい何者でしょう。ひょっとしたら、人間が鉄人にばけているのではないでしょうか。
ポケット小僧は、じっと考えていましたが、やがて、はっと何事か気づいたようすで、ドアの前を離れると、足音をしのばせて、げんかんの方へ歩いていきました。だれにも見つからず、げんかんのドアまできました。
押してみますと、まだ、ドアにかぎがかけてないらしく、スーッとあきました。
ポケット小僧は外にとび出すと近くの商店街へかけだしました。
商店の時計を見るとまだ八時半です。ポケット小僧は、たばこ屋の店の赤電話にとびついて、明智探偵事務所を呼びだすのでした。
電話口には、小林少年が出ました。
「あっ、小林団長、おれ、ポケット小僧だよ。たいへんなんだ。」
ポケット小僧はそういって、キョロキョロとあたりを見まわしました。店の人は、奥の方にいるし、町を通りかかる人もありません。それでも、声をグッとひくくして、ゆうべからのことを、てみじかに、報告しました。
「えっ、鉄人Qが、ふたりになったって?」
さすがの小林団長も、どぎもをぬかれたように聞きかえしました。
「うん、そうだよ、ね、団長さん、おれ、考えたんだよ。もうひとりのやつは……。」
終わりのほうは、よく聞きとれませんでした。しかし小林団長には、その意味がわかったとみえて、
「よし、おもしろくなってきた。明智先生は、いまおるすだけど、ぼく、中村警部に電話をかけるよ。それから、少年探偵団やチンピラ隊を集めて、おまわりさんの一隊といっしょに、すぐ、そこへかけつけるよ。きみは、相手が逃げださないか、よく見はっていてくれたまえ。」
そして、電話が切れました。いよいよ、総こうげきがはじまるのです。鉄人Qは、はたして、うまくつかまるでしょうか。