鉄仮面
「ごらんなさい。これは世界各国の代表者が集まって、戦争をなくする相談をしているところですよ。」
廊下の右がわがぱっとひろくなって、そこに、りっぱな広間があらわれました。てんじょうからはギラギラひかる水晶玉のついたシャンデリアがさがり、床にはまっかなじゅうたんがしきつめられ、壁には大きなだんろ、その上には二メートル四方もあるような鏡がはめこみになっています。
そのりっぱな部屋のまん中に大きなだ円形のテーブルがおかれ、そのまわりに十人ほどの世界の有名な政治家が、おもいおもいの服装で安楽いすにこしかけています。
その中には、アメリカのアイゼンハワー大統領の顔が見えます。ソ連のフルシチョフ首相の顔が見えます。それから、中国の毛沢東主席の顔も、インドのネール首相の顔も、それから日本の岸首相の顔もならんでいます。
それらのロウでできた顔が、あるものはニヤニヤ笑い、あるものはしかめっつらをし、あるものは口をひらいて、なにかしゃべっているのです。
人間とおなじ大きさのロウ人形です。顔と手足がロウでできていて、からだには、それぞれの国の服がきせてあります。
ほんとうに生きているようです。いまにも動きだしそうです。
ふたりの少年はびっくりして、くいいるように、この場面を見つめました。
「どうです。みんな生きているでしょう。しかし、こんな世界会議は、まだひらかれていません。まだ戦争をなくする相談は、なりたっていないのです。この場面はわたしの空想ですよ。こうして、世界の大きな国の代表者たちが一室に集まって、もう、けっして戦争をしないという、もうしあわせをしたら、どんなにいいかとおもうのです。」
中曾夫人はそういって、なおも説明をつづけるのでした。
このロウ人形館の中には、こういう場面が二十以上あります。むろん、政治家ばかりではありません。有名などろぼうや名探偵の人形もあります。アルセーヌ=ルパンが、奇岩城の階段をかけおりているところや、シャーロック=ホームズが、悪漢モリアーティとたたかっているところもあります。
それから、石の牢屋にとじこめられている鉄仮面、たかい塔の屋根を金色のヤモリのように、はいあがっている黄金仮面、夜の銀座を四つんばいになって走っている青銅の魔人、地下室の石の階段をおりてくるどくろ仮面、劇場の廊下にあらわれた笑いの面、そのほか、たくさんの仮面の怪人や、人造人間の場面がつくってあります。
「この道を歩いていけば、それらの場面がみんな見られるのです。では、ゆっくりごらんなさい。わたしは仕事がありますから事務室へかえります。」
中曾夫人はそういって、二少年を、その場におきざりにしたまま立ちさってしまいました。
ふたりは、しかたがないので、そのまま、おくのほうへ歩いていきました。
中曾夫人のいったとおり、つぎつぎと、いろいろな場面がありました。怪盗ルパンや、名探偵ホームズのいる、いくつかの場面もありました。そして、つぎの場面には……、
「あっ、小林さん。」
「あっ、明智先生。」
井上君とノロちゃんは口々にさけんで、その方へ、かけよろうとしました。そこに名探偵明智小五郎と、その助手の小林少年が立っていたからです。小林少年は少年探偵団の団長でもあります。
かけよろうとすると、すぐに、木のてすりにぶつかりました。明智先生と小林少年は、そのてすりのむこうがわに立っているのです。
よびかけても、なにもこたえません。こちらを見ようともしません。ただ身動きもしないで、つっ立っているばかりです。
「あっ、これもロウ人形だよ。……おどろいたなあ。先生や小林さんと、そっくりの顔をしている。よくこんなににせたものだなあ。」
井上君がすっかり感心して、うなるようにいいました。
それから、すこしいくと、鉄仮面の部屋でした。
石でくんだ、ふるい牢獄です。たかいところに鉄棒のはまった小さな窓があるきりの、くらい牢屋です。そこに、あの有名な鉄の仮面で顔をつつまれた人物が立っています。
フランスのルイ十四世の時代ですから、今から三百年近くも昔のことです。バスチーユの牢獄に仮面をかぶせられた罪人がおりました。その罪人は牢獄で病死したのですが、死ぬまで仮面をかぶせられたまま、一度も顔を見せたことがないのです。
いったい、この仮面の囚人は何者だったのでしょうか。それはだれも知らない秘密でした。フランスの小説家たちは、この秘密をいろいろに想像して鉄仮面の小説を書きました。そのために、いっそう鉄仮面の名は有名になったのです。日本にも二つの鉄仮面の小説がほんやくされています。デュマ原作のものと、ボアゴベ原作のものです。
井上君とノロちゃんが見ているのは、バスチーユの石牢にとじこめられた鉄仮面です。その前に五十歳ぐらいの、がっしりした男が腰をかがめて、なにかしゃべっているところです。牢番なのでしょう。
鉄仮面は、口のところがちょうつがいでひらくようになっていて、食事をさせるときには、牢番がかぎで、それをひらいてやるのでした。そうして口をふさいでおくのは、むやみにものをいわせないためなのでしょう。
井上君もノロちゃんも、「鉄仮面」の小説をよんでいたので、このロウ人形の場面を、いっそう、ものおそろしく感じました。
ふたりは、その場面のまえに立ちつくして、ながい間ながめていました。
「鉄仮面って、いったい、だれだったのだろうね。」
「王さまの兄弟だったともいうし、大臣だったともいうし、僧正だったともいうし、まだいろいろの説があるんだよ。とにかく、顔をかくしておかなければならないというのは、世間によく知られた、えらい人だったにちがいないよ。」
井上君がノロちゃんに話してきかせました。
「あの鉄仮面の中に、どんな顔があるんだろうね。」
「これは人形だから、鉄仮面の中は、からっぽだよ。それとも……。」
井上君は、そこまでいって、だまってしまいました。
もしあの鉄仮面の中にロウでつくった人間の顔があるとしたら、それはどんな顔だろうとおもうと、なんだか、こわくなってきたからです。
「つぎの場面へいこうよ」
井上君はノロちゃんの手をひっぱって、むこうへ歩いていきました。ひとつかどをまがると、そこに、つぎの場面があるのですが、そのかどをまがったとき、ノロちゃんが井上君の手をぐっとひっぱって、あいずをしました。
「あいつに気づかれるといけない。そっと、のぞいてみるんだよ。ほらね、動いているだろう。」
ノロちゃんは、井上君の耳に口をつけるようにして、ささやきました。
井上君が、まがりかどから、そっと顔をだして、鉄仮面の場面をのぞいてみますと、そこには、じつにふしぎなことがおこっていたのです。
ロウ人形の鉄仮面が歩き出したのです。どこにかくしてあったのか、黒いマントのようなものを取り出して肩からはおり、木のてすりをのりこして通路に出ると、そのままスタスタと、むこうへ歩いていくではありませんか。