道化の仮面
「きみ、きみ、ぼくはお手洗いにいきたいんだ。このくさりを、はずしてくれたまえ。」
明智は、ドアをしめようとしている少女に、大きな声でよびかけました。
それを聞くと、少女は、しぶしぶもどってきました。
「ほんとうですか。ほんとうに、お手洗いにいらっしゃるのですか。」
「ほんとうです。どうか、くさりをといてください。」
それをきくと、少女は明智の足もとにうずくまり、ポケットから小さなかぎをだして、足くびの鉄の輪をパチンとはずしてくれました。
ドアのそとの廊下にある手洗い所へいって、そこから出ますと、明智はニコニコして、いうのでした。
「これで、ぼくは自由の身になったわけだね。逃げようと思えば逃げられるね。」
すると、少女は、びっくりして、いきなり服のうしろから小さいピストルを取りだし、明智にねらいをさだめました。
「逃げてはいけません。どうしたって、逃げられないのです。どうか、逃げないでください。おねがいです。」
少女は、かなしそうな顔で、ほんとうに、たのんでいるのです。明智は、にわかに笑いだして、
「じょうだんだよ、じょうだんだよ。逃げたりなんかするものか。」
と、安心させておいて、少女がゆだんするのをみすまして、あいてにとびつき、そのピストルをうばいとってしまいました。
「あっ、いけません。あなたは、なにもごぞんじないのです。いけません、いけません……。」
と、とりすがる少女をふりはらって、走っていこうとしますと、とつぜん、明智の背中に、コツンと、かたいものがあたりました。
「手をあげろ。ピストルをなげろ。でないと、きみの背中にあながあくぞ。」
背中のかたいものは、ピストルのつつ口でした。そして、ふたりのふくめんの男が、そこに立っていたのです。
明智探偵は、もとの部屋につれもどされ、こんどは長いすではなくて、ふつうのいすに、なわでぐるぐるまきに、しばりつけられてしまいました。
「ハハハハ……、おとなしくしていれば、足の鉄の輪でよかったのだが、つまらないまねをするもんだから、身動きもできなくなってしまった。ざまあみるがいい。」
ふたりの男は、にくにくしげに、いいすてて、少女といっしょに外へ出ていってしまいました。そして、ドアにはパチンとかぎがかけられたのです。
明智探偵はいすにしばりつけられたまま、しばらくは、ジッとしていました。
なかなか、てごわいあいてです。少女ひとりと思ってゆだんしたのが、いけなかったのです。
「それに、この部屋は、どうもへんだ。」
だいいち、窓というものが一つもありません。それに、まるで高い塔のてっぺんにでもいるように、部屋ぜんたいがフワフワとたえず、ゆれているのです。
「いや、それだけじゃない。この部屋には、なにか、しかけがしてあるような気がする。さっき目をさましたら、すぐに少女がはいってきたのも、ふしぎだ。どこかから、だれかが、のぞいているのかもしれない。」
明智探偵はそう思って、しばられたまま、ぐるっと部屋の中を見まわしました。
壁にはいろいろな油絵や、南洋の土人のつくったお面や、おかしな道化師のお面などがかけてあります。
明智探偵は、その壁を、あちこちとながめていましたが、やがて、その目は道化師の面の上に、ぴたりと、とまってしまいました。
壁のようにおしろいをぬった顔、まっかな、まんまるい鼻、両方のほっぺたに、あかい日の丸、糸のようにほそい目の、上下のまぶたに、たてに黒い線がかいてある。そして、白赤だんだらのとんがり帽子をかぶった西洋道化師の土でできたお面です。
明智探偵は、そのお面を、なぜか、あなのあくほど見つめているのです。
探偵の目とお面の目とが、まっ正面にむきあって、まるで、にらめっこでもしているようにみえました。
しばらく、そうしているうちに、明智探偵の顔がニコニコと笑いの表情になりました。すると、ああ、ごらんなさい。壁にかけてある道化師のお面もニヤッと笑ったではありませんか。
「アハハハハ……、おい、そこの、ピエロ君。きみは生きた人間だね。壁のあなから顔を出して、お面のようにみせかけているんだね。そうして、ぼくを見はっているんだろう。」
明智に見やぶられて、壁のお面がかっと目を見ひらき、口をうごかして答えました。
「やっと、わかったね。だが、名探偵明智小五郎にしては、ちと、おそすぎたよ。」
その壁には、もともと、土でできた道化師のお面がかけてあったのですが、悪者は、じぶんの顔に、そのお面とおなじけしょうをして、ときどき壁のあなからお面をひっこめ、そのあとへ自分の顔をつきだして、明智のようすを見はっていたのです。
「しかし、そんなことをしていては、きみもくたびれるだろう。どうだ、こちらへ、はいってこないか。」
明智が、まるで、友だちにでもいうように話しかけました。
「そりゃ、くたびれるがね。だが、いくらくたびれたって、きみのさしずはうけないよ。」
道化仮面が、あつい、まっかなくちびるを動かして答えます。
「いや、じつは、きみにたのみがあるんだよ。」
「たのみ? ずうずうしいやつだな。まあ、いってみるがいい。どんなたのみだ。」
「タバコがすいたいんだ。」
「フフン、タバコがすいたいから、なわをとけというのか。そうはいかない。」
「いや、なわはとかなくてもいい。ぼくのポケットのシガレットケースから、タバコを一本だして、ぼくの口にくわえさせ、火をつけてくれればいいんだ。まる一日タバコをすっていないので、食事よりなにより、まずタバコがほしいのだよ。」
「アハハハ……、そうか。おれもタバコずきだから、その気持はわかるよ。よし、それじゃ、そこへいって、タバコをすわせてやろう。」
そういったかとおもうと、道化仮面がひっこんで、そのあとへ、ほんとうの土のお面がいれかわりました。