名探偵の冒険
やがて、ドアがひらき、顔だけ道化師で、からだはぴったり身についた黒シャツと黒ズボンの男が、部屋にはいってきました。
「シガレットケースは、どこにはいっているのだ。」
「ここだよ。右の内ポケットだよ。」
男が探偵の胸に手をいれてケースを取りだすと、パチンと、それをひらきました。
「なんだ、一本しかないじゃないか。」
「一本でもいいよ。ともかく、すわせてくれ。」
「さあ、それじゃ、これをくわえるがいい。ライターをつけてやるからな。」
道化仮面の男が、一本のタバコをくわえさせ、火をつけてくれました。
「まあ、ゆっくりやりたまえ。おれもあっちで、ひとやすみするからな。」
道化仮面はそういって、外へでていきました。
あとにのこった明智探偵はいすにしばりつけられたまま、さもうまそうに、タバコをすいながら、壁の道化師の面をジッと見つめました。
土でできたお面です。まだ人間の顔とは、いれかわっていないのです。
いつまでたっても、いれかわるようすがありません。道化仮面の男は、ほんとうに、ひとやすみしているのでしょう。
明智探偵はタバコをくわえたままニヤリと笑い、スパスパとおおいそぎで、タバコをすいだしました。なにかわけがありそうです。
タバコが、くちびるのそばまで、もえていきました。ふしぎなことに、もえた灰はパラパラとおちますが、タバコの長さはすこしもかわらないのです。しかも、もえたあとが、銀色にピカピカひかっているではありませんか。
明智探偵は、タバコをくわえたまま、グッとうつむいて、胸をしばってあるなわに、タバコの銀色のところを近づけました。
タバコの火で、なわを焼ききるつもりでしょうか。それはだめです。新しいあさなわですから、とてもタバコの火をつけることはできません。
明智は、タバコの火のところを、そのあさなわに、こすりつけて消してしまいました。すると、あとには銀色の細いナイフの刃のようなものが残りました。
明智はその刃でゴシゴシと、あさなわをこすりはじめたのです。
ナイフの刃には柄がついていて、その柄を歯でぐっとかみしめ、顔ぜんたいを上下に動かして、あさなわをこするのです。
タバコの中に、ほそいナイフがかくしてあったのです。それを一本だけ、シガレットケースに入れておいて、悪者に、そのタバコを口にくわえさせてもらったのです。
悪者のほうでは、明智がほんとうにタバコがすいたいのだと思って、べつにうたがいもせず、それをくわえさせて火をつけてやりました。
ああ、なんという、うまい考えでしょう。このナイフ入りのタバコをもっていれば、いくらしばられても、平気です。それで胸のなわを一本だけきってしまえば、あとは、なんなく、なわをとくことができるからです。
二分間ほど、ゴシゴシやっていますと、なわがプッツリきれました。それから、からだをゆり動かすと、いくえにもまいたなわが、だんだんとけていって、とうとう手も足も自由になりました。
いすをはなれて、そっとドアに近寄り、そとのようすに耳をすましたうえで、しずかにひらきました。だれもいないようです。廊下に出ました。まっすぐに、すすんでいきます。
廊下のつきあたりに、せまい階段がありました。足音をしのばせて、それをのぼると、ドアにつきあたりました。また耳をすましてから、そっとそれをひらきました。
外はまっくらです。そして、ふしぎなことに、海のにおいがしました。
「おーい、にげたぞーっ。明智探偵がなわをきって、にげたぞーっ。」
どこからか、さけび声が聞こえてきました。
明智は、まっくらな中をかけだしました。足もとがユラユラとゆれているような気がします。
うしろから、パン、パンと、ピストルの音がしました。おどかしに、わざとねらいをはずしてうったのでしょう。
明智探偵は、むちゅうになって走りました。十メートルほどいくと、なにか、かたいものにぶつかりました。階段のてすりのようなものです。
「ワハハハハ……、おどろいたか、明智先生。ここをどこだと思っているんだ。きみはおよぎができるのか。いやさ、この広い海がおよぎきれるとでもいうのか。」
道化仮面の声です。はっとして、てすりの下をのぞくと、星あかりに、それとわかる水、水、水。まっ黒にうねる、はてしもしらぬ広い海です。
ああ、ここは船の上だったのです。どこともしれぬ広い海をすすんでいる汽船の上だったのです。さっきの部屋に窓のなかったのも、ユラユラゆれているように感じたのも、そのためでした。
まさか汽船の上とは、気がつきませんでした。ゆうべ自動車の中で、ねむらされてから、東京港で汽船にのせられ、その汽船がこの広い海へすすんで来たのでしょう。
じぶんで「恐怖王」となのっている怪盗は、こんな大きな汽船までもっているのです。よほど大じかけな盗賊団にちがいありません。その首領の「恐怖王」とは、いったいどんなやつでしょう。もしかしたら、さっき、船室の壁から顔を出していた道化仮面の男が、その「恐怖王」なのではないでしょうか。
明智探偵は盗賊のために、汽船の甲板のてすりまで追いつめられたのです。もう海へとびこむほかに逃げみちはありません。
探偵は水泳はよくできました。しかし、この広い海へとびこんで、陸地までおよぎつくなんて、とてもできることではありません。さすがの名探偵も、ぜったいぜつめいです。
明智は、とっさに、いそがしく頭をはたらかせました。こういうときこそ、おちつかなければいけない。そして、うまい知恵をしぼりださなければならない。
「ワハハハ……、どうだ、明智先生、この海がおよげるかね。ワハハハハ……。」
道化仮面の声が、近づいてきました。
そのとき、明智の頭にチラッと名案がうかんだのです。
「このくらいの海が、およげないで、どうするものかっ。」
そうさけんでおいて、足もとにころがっていた小さなたるを、海の中へけるがはやいか、てすりをのりこし、さかさまになって、海へとびこんだように見せかけました。
そのとき、海面におちたたるがボチャーンと、まるで人間がとびこんだような水音をたてました。
しかし、とびこんだのはたるばかりで、明智探偵は船のふなべりにぶらさがって、身をかくしていました。いのちがけの、はなれわざです。
「やっ、とびこんだぞ。ボートを出せ、ボートを出せ。」
道化仮面のわめき声が聞こえ、二―三人が船のトモ(うしろ)のほうへ走っていく足音。
汽船のトモに、ふつうのボートが一そうつないであり、盗賊たちはそのボートをたぐりよせ、なわばしごをつたって、それにのりこむとオールをあやつって、そのへんの海面をしきりにさがしはじめました。
明智探偵はふなべりからぶらさがっているのですが、黒い服をきているので、遠くからは気がつきません。そのまま、はんたいがわへ、こぎさっていきました。もうだいじょうぶです。明智はふなべりをはいあがって、まっくらな甲板に身をふせました。
そこに、なにかの箱がおいてあったので、その箱のかげにかくれてじっとしていました。
すると、コトコトと、甲板を歩いてくる足音が聞こえます。むろん船の上には、まだ賊のなかまが残っているはずです。そいつが海をこぎまわっているボートを見るために、やって来たのかもしれません。
箱のかげの明智は、あいてのやって来るはんたいがわにまわって、そこにねそべってじっと息をころしていました。
「おーい、明智はみつかったかあ……。」
おやっ、聞きおぼえのある声です。もしかしたらと、そっと箱のかげから顔を出してのぞいてみますと、そいつは道化仮面のあの男でした。どうも、こいつが首領らしいのです。首領とすれば鉄仮面にばけたやつ、そして「恐怖王」となのる、あの悪人にちがいありません。
明智探偵は、じっと、そいつのうしろ姿を見つめました。右手にピストルをにぎっています。星あかりに、それがぼんやりと見えるのです。
「かしらあ……、どこへ、もぐっちゃったのか、どうしても、みつかりませんよう……。」
下のボートからさけんでいるのが聞こえました。
「そんなはずはないぞう……。船のそこに、くっついているかもしれんから、船のまわりを、ぐるっと、まわってみろよう……。」
道化仮面が、さけびかえしました。
そのときです。
明智探偵は、箱のかげから、ぱっと、とびだして、道化仮面にぶつかっていきました。そして、まずピストルを、たたきおとしてしまったのです。
「やっ、きさま、だれだっ……。」
道化仮面は、いきなりくみついてきました。そして、ふたりは、とっくみあったまま、まっくらな甲板の上に、ころがってしまいました。