トランクの中
それから一週間ほどのちの、どんよりとくもった日の夕方のことでした。
小林少年とポケット小僧が、世田谷区のさびしい大通りを歩いていました。両がわには、ふつうの住宅と商店とがまじりあって、ならんでいるのですが、商店街というほど、にぎやかではありません。
人どおりも、ごくまばらでしたが、そのとき、むこうから一台の大型自動車が走ってきて、小林君たちの前を通り過ぎました。
「あっ、あの自動車、あやしいぞっ。」
ポケット小僧が、さけびました。
「えっ、なぜ、あやしいんだい。」
小林君が、たずねます。
「だって、ひかったんだよ。金色に、ひかったんだよ。」
「なにが、ひかったのさ。ぼく、気がつかなかった。」
「顔が、ひかったんだよ。自動車を運転しているやつの顔が、金色だったよ。」
「えっ、それじゃ、黄金仮面……。」
「そうかもしれないぜ。あっ、自動車がとまった。見なよ。あいつおりてくるよ。」
そうです。
その自動車は、百メートルほどむこうでとまって、中から、みょうな男がおりてきました。
フワフワした黒いマントのえりをたてて、黒いソフトを、まぶかに、かぶっています。
夕方のことですから、はっきりは見えませんが、ひさしをぐっとさげたソフトの下から、キラッとひかる金色のものが見えました。たしかに黄金仮面です。
黄金仮面は、すなわち二十面相なのです。
その黒マントの男は、そこに店をひらいている、りっぱな美術商の中にはいっていきました。
「いってみよう。」
小林少年はポケット小僧をひきつれて、そっと美術商の前に近づきました。
とまっている自動車は、からっぽです。二十面相がじぶんで運転してきたのです。
美術商には、りっぱなショーウィンドーがありました。中には片桐さんのよりはずっと小さいけれども、やっぱり古い鍍金仏が立っていて、そのまわりに、小さい仏像や、土の中からほりだした古代の人形などが、いっぱい、ならんでいました。
店の中をのぞいてみますと、黒マントの男はショーウィンドーの鍍金仏をゆびさして、店員になにかいっています。
「ねえ、小林さん、あいつは、あの鍍金仏を買うか、ぬすむかして、自動車にのせて、うちへもって帰るつもりだぜ。だから、いつものようにして、ぼくたち、あとをつけようじゃないか。そうすれば、あいつのすみかが、わかるよ。」
ポケット小僧がささやきました。
「うん、それがいい。ぼくも、そうおもっていたんだ。じゃあ、あの自動車のトランクが、ひらくか、どうか、ためしてみよう。」
小林君はそういって、店の中の黒マントに気づかれぬよう自動車のうしろへ近づいていきました。ポケット小僧も、そのあとについていきます。
「あっ、うまいっ。かぎがかかっていないよ。」
小林君はあたりを見まわして、人通りのないことをたしかめると、トランクのふたをひらいて中にもぐりこみました。そのあとから、ポケット小僧ももぐりこみました。
さいわい、トランクの中にはなにもはいっていなかったので、ふたりはからだをまげて、よこになることができました。
しかしだいじょうぶなのでしょうか。なにか、あとで、こまったことが、できるのではないでしょうか。
ふたりは、あるだいじなことをわすれていました。そこに気がつけば、トランクなんかにかくれないで、赤電話で、明智先生なり、中村警部なりに知らせて、おとなの手で二十面相をとらえてもらうことにしたでしょう。それがいちばん安全なやりかたなのです。
小林君も、ポケット小僧も、おとなのたすけをかりないで、じぶんで、てがらをたてたいとおもったのが、いけなかったのです。ふたりは、やがて、おそろしいめにあわなければならない運命でした。
それはさておき、こちらは美術商の店の中です。
店員はやっと黒マントの男の金色の顔に気づいて、あっとおどろき、まっさおになって身動きもできないでいました。
店には店員ひとりで、だれもたすけてくれるものはありません。人をよぼうにも、おそろしさに声をだす力もないのです。
黄金仮面の二十面相は、ツカツカと、ショーウィンドーのうしろにはいっていって、そこのガラス戸をあけ、鍍金仏を取りだすと、そのままぱっと、おもてに出ていってしまいました。
二十面相は大通りに出ると、あたりを見まわしてから、鍍金仏をマントの中にかくして自動車に近づきました。
あっ、いけない。二十面相は運転席のドアをひらくまえに、自動車のうしろにまわったではありませんか。
きまっています。鍍金仏を後部のトランクの中にいれるためです。
小林君たちは、どうして、そこに気がつかなかったのでしょう。
二十面相が仏像をぬすめば、それをトランクの中にいれるかもしれないことは、まえもって、わかっていたことです。小林君たちは、それをうっかりしていました。
トランクのふたがスーッとひらきました。そして、そこに金色の顔のやつが立っていたのです。
「あっ、きさまたちは、小林と、ポケット小僧だな。よしっ、それほど、おれのあとがつけたいのなら、おのぞみどおり、つれていってやる。そのかわり、とちゅうで、逃げだすことはできないぞ。いいか。」
と、いったかとおもうと、仏像を小林君たちのあいだにおしこみ、パタンとトランクのふたをしめて、カチッとかぎをかけてしまいました。
ああ、とんだことになりました。小林君とポケット小僧は、二十面相のとりこになったのです。どこへつれていかれるかわからないのです。そして、それから、どんなおそろしいめにあうか、わからないのです。
自動車は走りだしました。トランクの中で、いくらさけんでも外には聞こえません。だれもたすけてくれるものはないのです。
自動車はどこまでも、走りつづけています。一時間もたったでしょうか。そのころから、きゅうに道がわるくなってきました。ゴトンゴトンとゆれるので、ふたりは両手で頭をかかえるようにしました。そうでないと、鉄板に頭をぶちつけるのです。
道がデコボコなばかりでなく、やがて、のぼりの坂道にさしかかったらしく、自動車の速度がにぶくなりました。
どこかの山道に近づいたのではないでしょうか。もう美術商の前を出発してから、二時間もたっています。
それから、また三十分も走ったころ、やっと車はとまりました。いよいよ、二十面相のすみかについたのでしょうか。
しばらくすると、カチッと、かぎの音が聞こえ、トランクのふたがひらかれました。こわごわ、そとをのぞいてみると、黒マントの男ではなくて、二十面相の部下らしい、あらくれ男がふたり、目をひからせて立っていました。
外はもう、まっくらです。つめたい風がサーッと、ふきこんできました。山のにおいです。森のにおいです。ここは東京に近い、どこかの山の中にちがいないのです。
「チンピラども、出てこいっ。」
部下のやつが、大きなだみ声で、どなりました。
しかたがないので、小林君とポケット小僧は、トランクの外へはいだしました。
部下のひとりは鍍金仏をこわきにかかえました。それからふたりで、小林君とポケット小僧の手をつかんで、どこかへ、ひっぱっていくのです。
やみの中にボーッと黒い建物が見えました。レンガづくりの二階だてです。古い西洋館です。こんな山の中に、どうして西洋館があるのか、ふしぎでしたが、あとになって、そのわけがわかりました。
四人は、入口の鉄のドアをひらいて中にはいりました。自家発電をやっているのか、ひろい廊下にはうすぐらい電灯がついていました。
その廊下をいくつもまがって、二少年はおくまった一室につれこまれたのです。
そこは、りっぱな広い部屋で、てんじょうからきりこガラスのシャンデリアがさがり、部屋じゅうをあかるくてらしていました。
まるで、宝石をちりばめたような、うつくしい部屋でした。
というのは、部屋のまわりに、りっぱなガラスのちんれつ箱がずらっとならんでいて、その中に、あらゆる美術品がおさめてあったからです。古い仏像のかずかず、ピカピカひかる刀剣類、宝石をちりばめた王冠、首かざり、うつくしい手箱や花びんなど、目を見はらせる美術品でした。
二少年は、それを見まわして、あっけにとられていますと、正面のドアがひらいて、二十面相があらわれました。黄金仮面の変装です。
金色のターバン、金色のお能の面のようなぶきみな顔、金色のマント、金色のズボン、金色のくつ。
怪物は、金色の口を、キューッと、三日月形にひらいて笑いました。
「どうだ、たいしたものだろう。これが、おれの集めた宝ものだ。きみたちに奇面城をみつけられて、あそこの美術館がだめになってしまったので、ここに新しい美術館をつくったのだ。いや、ここばかりじゃない。おれの美術館は、ほかにもたくさんあるのだ。ここはその一部にすぎないのだ。
奇面城の事件では、きみたちに、ひどいめにあった。ことにポケット小僧には、うらみがある。そこで、きみたちを、ここにつれてきて、思い知らせてやろうと考えたのさ。ころしはしない。おれは人ごろしがだいきらいだ。しかし、おそろしいめにあわせてやる。二十面相に、はむかうやつは、だれでも、こういうめにあうのだということを、はっきり知らせてやるのだ。」
「おれたちを、ごうもんする気だなっ。」
ポケット小僧が、さけびました。
「いや、ごうもんなんかしない。いたいめにはあわせない。ただ、おそろしいめに、あわせてやるのだ。」
「だが、ぼくたちを、ながくここに、とじこめておけば、明智先生がたすけに来てくださる。明智先生には、なんでもわかるのだからね。そうすれば、きみははめつだよ。せっかくつくった美術館もだめになってしまうんだよ。」
と、小林君が、自信ありげにいいました。
「だまれ、きみのおどかしなんか聞きたくない。すぐに、地獄ゆきだっ。どんなにおそろしいめにあうか、見るがいい。そらっ……。」
と、いったかと思うと、小林君とポケット小僧の立っている床板がパッと、なくなってしまいました。
二少年は、いきなり宙にういて、そのままスーッと下におちていきました。
そこの床が、おとしあなになっていたのです。
二十面相がどこかのボタンをおすと、おとしあなの口が、ひらくようになっていたのです。
ふたりは、まっくらな、ふかい地の底で、ひどくしりもちをつきました。
しばらくは、おきあがる力もありませんでしたが、ふと気がつくと、くらやみのむこうのほうに青く光るものが二つならんで、あらわれていたではありませんか。
それは、なにかおそろしい怪物の目のように思われました。