洞くつのなか
「もう、とてもだめだよ。逃げよう。あっちへ逃げるんだ。」
小林君は、ポケット小僧の手をひっぱると、やにわに、戸からはなれて、かけだしました。
中からは、ちからいっぱい、おしていたので、はずみをくって、ぱっと戸をひらき、茶色の大きなかたまりが、ゴロンと、ころがり出てきました。
ふたりの少年は、かけだしながら、うしろをふりかえって、それを見ました。くらやみに目がなれたので、あたりのようすが、ぼんやりと見えるのです。
大きなゴリラが、いきおいあまって、ゴロゴロところがるのが見えました。どこかをうったとみえて、ころがったまま、しばらくは、おきあがることもできません。
「さあ、このまに逃げるんだ。はやく、はやく……。」
小林君はポケット小僧の手をひっぱって、死にものぐるいで走りました。ポケット小僧は足がみじかいので、とても、そんなにはやくは走れません。まるで、ひきずられるようにして、ついていくのです。
そこは、両がわに、きりたったような岩山のそびえた谷底みたいな、せまい道でした。
むちゅうになって、走っていましたが、百メートルもいくと、とつぜん道がなくなってしまいました。
ゆくてにも、たかい岩山がそびえて、ふくろ小路のようになっていたのです。道は、そこで、いきどまりなのです。
小林君はうしろをふりむきました。すると、ああ、もうだめです。あの大きなゴリラが、谷底の道いっぱいにひろがって、ヨタヨタとこちらへ歩いてくるではありませんか。
「ゴウウウ……。」
おそろしい、うなり声が谷にこだまして、ひびいてきました。
ゴリラは、ながい両手をブランブランさせながら、ねこ背になって、首を前につきだし、おそろしいきばのある口をガッとひらいて、うなっているのです。
「チンピラども、逃がすもんか。」というように、うなっているのです。
ふたりは、もう生きたここちもありません。前と両がわは、きりたったような岩山にふさがれ、うしろにはゴリラです。まったく逃げ場がなくなってしまいました。
ゴリラは、あいかわらず、ヨタヨタと歩いてきます。四つんばいになって走れば、一とびで、ここまでこられるのですが、そうはしないで、あと足だけでぶきみなかっこうで歩いているのです。ひょっとしたら、さっきころんだので、どこか、けがをしたのかもしれません。
「あっ、こんなとこに、ふかいほらあながあるよ。」
ポケット小僧がそれに気づいて、さけびました。
くらいので、よく見えなかったのですが、たしかに、そこに、ほらあなの口がひらいていました。人間が立って歩けるほどの大きな洞くつです。
なにも考えるひまもありません。逃げ場は、ここ一つです。ゴリラはもう、すぐそこまで近づいているのです。ふたりは、いきなり、その洞くつの中へはいっていきました。
むちゅうになって、かけこみましたが、考えてみれば、きみのわるいほらあなです。おくに、なにがすんでいるか、わかったものではありません。
かびくさい、ひやっとした土のにおいがして、上から、ポトン、ポトンと、つめたいしずくが、ふたりの首すじへたれてくるのです。でも、かまわずに、三メートルほどすすみました。
「ゴリラのやつ、このほらあなに気がつくだろうか。」
ポケット小僧が、しんぱいそうに、ささやきました。
「うん、きっと気がつくよ。あいつは夜だって目が見えるだろうし、ぼくたちのにおいを、かぎわけるからね。いまにやってくるにちがいないよ。しかし、そのまえに、このほらあなが、どんな場所だか、しらべてみなくっちゃ……。」
小林君はそういって、懐中電灯をつけると、あたりをてらしてみました。
入口をはいって、しばらくは岩山ですが、そのおくは土の山で、あなの両がわに、ふといまるたの柱が立っていて、その上に、おなじようなまるたがよこたえてあるのです。土がおちるのを、ふせぐためです。おくのほうを、てらしてみると、そういう柱と横木が二メートルおきぐらいに、ずっと、つづいているようです。
「これは、なにかの鉱山だよ。鉱石をほりだすために、こんなあなをつくったんだよ。ぼくは鉱山のあなにはいったことがあるから、よくわかるんだ。しかし、これは、いまはもう、ほるのをやめた古いあなだよ。みたまえ、あの木の柱や横木がぼろぼろにくさって、いまにも、くずれそうになっているだろう。気をつけないとあぶないよ。」
小林君は説明しながら、だんだん、おくのほうへ、はいっていきました。
あとになって、わかったのですが、このほらあなは、ずっとむかし、鉱石ではなくて、徳川時代の金貨である大判小判をほりだすために、つくられたものでした。
明治維新のとき、徳川幕府のご用金をこの山の中にかくしたという、いいつたえがあり、そのかくし場所をおしえる暗号文を手にいれた人が、ばくだいな費用をかけて、こんなあなを、ほったのです。
このあなは、ひじょうにおくぶかく、また、いくつも枝道があって、うっかりすると道にまよって、出られなくなるほどです。
二十面相のすみかになっているあの赤レンガの西洋館も、金貨をほりだそうとした人が、ここに腰をすえて仕事をするために、わざわざたてたものだといいます。
しかし、それはもう三十年も前のことで、いくらほっても金貨はみつからず、とうとう費用がなくなって、やめてしまい、西洋館もそのまま、すむ人もなく、うちすてられていたのです。
二十面相はその古い西洋館を見つけだして、いろいろ手入れをして、じぶんのすみかにしたのでした。
さて、小林君とポケット小僧が洞くつの中へ、十メートルも逃げこんだときです。
「ゴウウウ……。」
なんともいえない、おそろしいうなり声が洞くつにこだまして、ひびきわたりました。
「あっ、ゴリラだっ。ゴリラがはいってきたんだ。」
ポケット小僧が、ふるえ声を出しました。
小林君は、すばやく洞くつの入口のほうへ、懐中電灯をふりむけました。
やっぱりそうです。十メートルほどむこうに、あの大きなゴリラが立ちはだかっているではありませんか。
小林君は、いそいで懐中電灯を消しました。消したところで、あいては、くらやみでも目のきくやつですから、なんにもならないかもしれませんが、といって、あかるくしていれば、いっそうあぶないのです。
そうして、また五―六歩前にすすんだときでした。
バタバタバタという、おそろしい音がして、なにか大きなものが、ふたりの頭の上を、かすめていきました。