金庫の中
書斎には、だれもいません。金庫も開いたようすはありません。かんのんびらきの、でっかい金庫です。そのとびらがぴったりしまっています。
「しかし、ゆだんはなりません。いちど金庫を開いて、調べてみるほうがいいでしょう」
にせの中村警部がいいました。野村さんに金庫を開かせて、宝冠をうばいとるつもりにちがいありません。
そのとき、警部は、うっかり、ズボンのポケットに手をいれました。そのひょうしに上着がめくれて、まっかなうらが、ちらっと見えたのです。野村さんは、それに気がつき、ふっと、おそろしいことをかんがえました。
「腹話術……」と、ひとりごとのようにつぶやきます。
「えっ、なんですって?」
警部が、びっくりして、野村さんの顔を見つめました。
「さっきの怪人の声は、腹話術じゃなかったでしょうか」
野村さんが、みょうな笑いをうかべて、いいました。
「えっ、腹話術ですって? その腹話術をだれがやったというのです」
「むろん、わたしではありません」
「すると、ぼくが……」
警部が、あきれたような顔をしてみせました。
「そうです。あなたです。あなたのほかには、だれもいなかったのです。中村さん、なぜ、こんなことをいうか、おわかりですか。あなたの上着のうらですよ。ボタンをはずして上着をひろげて見せてくれませんか」
それをきくと、警部の手が、ぱっと、ズボンのポケットから、あがりました。その手には、ピストルがにぎられていました。
「手をあげろ。そして、そのいすに、かけるんだ。すこしでも動いたら、ピストルのたまがとびだすぞ。さあ、金庫のダイヤルの暗号をいうんだ」
にせ警部は、とうとう正体をあらわしました。そしてピストルのさきで、野村さんの胸を、コツコツたたきながら、ダイヤルの暗号をいえとせまるのです。野村さんはしかたがないので、暗号文字をこたえました。それはミチコというのでした。かわいいみち子ちゃんの名をとったものです。にせ警部は、ピストルを、いつでもとりだせるように、上着のポケットにいれると、金庫の前にしゃがんで、ゆっくりダイヤルをまわすのでした。まわすたびに、カチッ、カチッと、てごたえがあって、金庫の錠がはずれました。おもい鉄のとびらが音もなく開きます。
五センチ、十センチ、二十センチ、開きながら、にせ警部は、金庫をのぞきこみました。中はとびらのかげになっているので、はじめは、よくわかりませんでしたが、やがて、そのへんてこなものがはっきり見えてきました。
にせ警部は、それを見ると、「あっ」とさけんで、つったちあがり、タジタジと、あとずさりをしました。さすがの怪人も、これにはどぎもをぬかれたのです。