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影男-善神恶神(2)
日期:2022-02-13 23:47  点击:306

 そのとき、びっくりさせるように、電話のベルが鳴った。鮎沢はそこへ歩いていって受話器をとった。
「うん、おれだよ……なに、使いに出たまま、うちへ帰らないで、郊外へ郊外へと……わかった。どこまでもあとをつけるんだ。十分ごとに、電話のある家を見つけて、そこの人にここへ電話をかけさせろ。その家の位置がわかればいいのだ。用件はどうとでも作り出せる。あたりに家がなくなるまで、それをつづけるんだ。百姓家だって電話のある家がある。そこへ駆けていくんだ。相手は子どもの足だ。見失う心配はない。わかったな。じゃあ」
 受話器をおくと、しかめていたまゆを急にひらいて、ニッコリと女を見た。
「なんだか別の事件があるらしいのね。鮎沢さんって忙しい人ね」
「いつでも十ぐらいの事件が継続中だ。忙しくなくっちゃ生きがいがないよ。今の電話は、善神をつとめるほうの事件だ。ぼくは悪神になる場合が多いが、善神にもなれるんだぜ。たとえば、きみに対しては、いつでも善神なんだからね」(軽い笑い)
「あたしだけに善神じゃなくて、たくさんの女の子にも、でしょう」(笑い)
 その実、そのたくさんの女のひとりでも、彼女が知っているわけではなかった。
「わかった、わかった。ぼくは男の女王バチだっていってるじゃないか。女王バチにはたくさんの異性を愛する権利がある」(笑い)
「異性ばかりじゃないわ。鮎沢さんは、男の子にだって善神になるんじゃありませんか」(笑い)
「むだごといってるときじゃない。ぼくは忙しいのだ。それじゃ、わかったね。あすの晩六時に、ここのグリルへ、咲子さんを連れてくるんだぜ。六時だよ。そのまえに、できればぼくに電話をかける。いいね。それじゃ、きょうはこれだけ……」
 鮎沢の両手がのびて、はすっかけに女を抱き上げた。そして、くちびるを合わせたままドアのところまで歩いていって、そっとそこへおろし、ドアをひらいて、さあどうぞと片手で廊下のほうをさし示し、騎士のように正しい姿勢で、軽く一礼した。
 女が「負けた」という顔つきで、笑いながら立ち去っていくと、鮎沢は、電話のところへ飛び帰って、今日新聞の航空部を呼び出した。
「飛行士の北野君いませんか。こちらは大阪の鮎沢……ああ、北野君、いてくれてよかった。このあいだ頼んでおいたこと、すぐにやってもらいたいんだ。一つの善事だからね。社をクビになったら、きみの身がらはぼくが引きうける。(笑い)場所はいまに電話でいってくるから、きみのほうから、飛行の準備ができしだい、ここへ電話してくれたまえ。じゃあ、大急ぎでたのんだよ」
 今日新聞でも、ホテルでも、電話交換手は忙しくて、盗み聞きなんかしている暇のないことを知っていた。鮎沢はそういう細かいところへ気をくばって、ぎりぎりの線まで危険を冒すことが楽しかったのである。
 もう一つ電話。
「みや子かい、ぼく、鮎沢。今は鮎沢なんだ。このあいだ頼んでおいたこと、いよいよきょうだよ。すぐに例の衣装を持って、ここへ来てくれたまえ。きょうはきみといっしょに善神になるんだ。善なる全能の神になるのだ。楽しいぜ。じゃあ、すぐにね」
 みや子というのは、かれのあまたの愛人のひとりで、こういうことにはうってつけの善女であった。

 十二歳の大曾根さち子は、肺病の継母(ままはは)に卵を一つだけ買ってくることを命じられて家を出たが、ふと夢見る子の異常な心理になって、そのままどこまでも、どこまでも歩いていった。東京から山は見えなかったけれど、「山のかなたに住むという」何かを求めていたのだ。その道を、果ての果てまで歩いていったら、まったく別の世界があるのではないかという、鬼の国から離れたい子ども心のさせたわざである。


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