逆のアリバイ
「できるのです。なんでもないことですよ。この小林昌二という青年が、あすまで生きていて、あす行くえ不明になったことにすればいいのです。そして、あなたがたは、あすじゅうは秘密の行動をしないで、いつ聞かれても答えられるようなアリバイを作っておけばいいのです。事件を今夜からあすに移すわけですね」
魔法使い「シルエット」は、いよいよ妙なことをいいだした。
「事件をあすに移すって、そんなうまいことができるのでしょうか」
「ぼくにならできるのです。いまその手並みをお目にかけますよ。上に電話があるのでしょうね。皆さんの集まっているへやですか。いや、それでもかまいません。ぼくはそのへやへ行って、電話で医者を呼んできます。みんなには知り合いの医者を呼んでいるような口をきいて、じつはぼくの腹心の部下を呼びよせるのです。そんなおしばいぐらい朝めしまえですよ。その部下が、手品の種になるのです。かれが必要な道具なども持ってくるのです……いや、ご案内には及びません。あなたがたはそれまでここに残っていてください。ぼくはどんな建物でも、自分の住まいと同じことです。けっしてへやをまちがえるようなことはありませんよ」
そう言いのこして、女装の「シルエット」は、ふたたび覆面をかぶると、すばやく廊下に姿を消した。それから二十分もたたないうちに、医者と称する若い男が、大きなカバンをさげて到着した。ちょびひげをはやし、めがねをかけて、じみなセビロを着た、いかにも医者らしい男であった。影男はすぐにかれを地下室に案内して、そこに待っていたふたりの夫人にひきあわせた。
「ぼくはたくさんの部下を持っていますが、これはそのひとりで、ここに死んでいる小林青年に、いちばん背かっこうや顔だちの似た男です」
そういわれて見比べると、この医師と称する男は、小林青年の死体と、顔の輪郭がよく似ていた。
「まず最初に、上にいる人たちを、うちへ帰さなければいけません。この医者の診察の結果、小林青年は命をとりとめることが明らかになったといって、安心させて帰すのです。むろんうそですが、会員たちや、相手の井上青年が、小林が死んだことを知っていては、事の破れるもとだからです。そうしておいて、われわれだけが残って、第二段の手段に着手するのです。いや、けっしてこわがることはありません。あなたたちも、いまに『なるほど』と得心します。さあ、春木さん、上に行って、小林はだいじょうぶだということを皆に告げて引きとらせてください。そして、会員たちには、あすは公然の用事のほかは、外出しないで、うちにいるように言いふくめてください。しかし、アリバイのことなど、うちあけてはいけませんよ。小林の容体がわるくなったような際には、連絡の必要があるからだといっておけばいいでしょう。さあ、早くしてください」
「あたしにはまだよくわかりませんが、あなたのおっしゃるとおりにするほかはありません。じゃあ行ってきますが、今夜の『闘人』の賞金は、やっぱりやらなければなりますまいね。それから、みんなの賭け金も」
「やってください。でないと疑いを起こさせます。お金の用意はしてあるのでしょうね」
「むろん、用意してあります。あたしたちは後日払いなんて危険なことはしないのですよ」
そして、春木夫人はひとりで上にあがっていったが、やがて、みんなを帰したといってもどってきた。
「では、これから第二段の仕事をはじめます。上に化粧室というようなへやはないでしょうか」
「鏡と洗面台のあるへやがあります」
「ぼくとこの男とふたりは、しばらくそのへやへはいります。そのまえに、ふたりで小林の死体を上にあげましょう。それから、小林の着ていた服は、どこか上のへやに置いてあるのでしょうね。その服が入り用ですから、二宮さんは、それをわれわれの閉じ込もる化粧室へ入れておいてください。帽子やくつもですよ」
そうさしずをしておいて、影男とその部下とは、小林青年の死体を上の一室にはこんでおいてから、化粧べやに閉じ込もった。ふたりの夫人は、がらんとした応接間のイスに腰かけて、不安な顔を見合わせていた。
十五分もたったであろうか、突然応接間のドアがひらいて、ひとりの男がはいってきた。ふたりの夫人は、それを見るとまっさおになり、目が眼窩から飛び出すほど大きくなった。そして、イスにしばりつけられたように、身動きもできなくなってしまった。
そこに、死んだはずの小林昌二青年が、浅黒い顔をにこやかにほころばせて、立っていたからである。