善良なる地主
影男はいろいろな名義で、東京都内の諸方に、多くの土地を持っていた。かれのふしぎなゆすり稼業によって得た資金によって、適法に買い入れたものである。その土地の多くは、戦災によって焼け野原となった二百坪三百坪のあき地で、そこには必ず古井戸があった。かれはそういう古井戸のあるあき地ばかりを捜し求めて買い入れたのである。
かれは、それぞれの土地の付近の住民には、善良なる地主として知られていたが、あき地の中の古井戸は危険だから、いずれ埋めてしまうつもりだといって、トラックで土を運ばせ、井戸のそばに盛りあげておいた。
その夜、小林の死体をのせた自動車は、それらの土地のうちで代々木からは最も遠い尾久のあき地に到着し、ヘッドライトを消して停車した。非常に寂しい場所で、人家も遠く、まして深夜のことだから、人に見とがめられる心配はなかった。
影男と部下とは、死体入りの麻袋を両方からつりさげて、あき地のまんなかの古井戸に急ぎ、麻袋をその井戸の底へ投げ込んだ。それから、用意してきたシャベルで、そばに盛り上げてあった土を井戸におとし、懐中電灯で照らしてみて、麻袋がまったく見えなくなるまでそれをつづけた。
これで第一段の仕事は終わったのである。麻袋を自動車からおろしてから十分とはかからなかった。実に簡単な仕事である。かれが両夫人の前で広言したことはうそではなかった。なんという手軽な死体処理法であろう。
ふたりはそのまま自動車にもどって、また、いずくともなくやみの中に消えていった。だが、まだ第二段の処置が残っていた。
その翌朝、影男は尾久のあき地へ、地主綿貫清二となって姿を現わした。和服にもじり外套を着てソフトをかぶった小金持ちというかっこうである。
かれはあき地の中を歩きまわり、古井戸をのぞきこんで、なんの手抜かりもなかったことを確かめると、その土地の仕事師の親方の家をたずねた。この親方とは地所を買い入れるときに世話になった関係もあって、知り合いの間がらである。
早朝のことなので、親方はまだ家にいて、玄関へ出てきた。影男の綿貫は、そこの土間に立ったまま、ふたことみこと、さりげないあいさつをかわしたあとで、さっそく用件にはいった。
「親方、この先のわたしの土地だがね、いろいろお世話になったけれど、こんど事情があって売りに出すことにした。それでまあ、少し整地をしてから買い手に見せたいのだが、至急にひとつ地盛りをやってもらえないだろうか。できるなら、きょうからでも始めてもらいたいのだが」
「ようがす。ちょうどいま手すきの若い者が二、三人おりますから、すぐにかかりましょう。地盛りをするとなれば、あの古井戸もお埋めになるのでしょうね」
「それだよ。埋めようと思って、土だけは運んでおいたのだが、ついそのままになっていた。むろん、埋めてもらいたいね。どうせ水の出ない井戸だからね」
「承知しました。それじゃ、ごいっしょに現場へ行って、地盛りの見積もりをして、すぐにじゃり屋に土を運ばせましょう」
綿貫は親方をつれてあき地にもどり、地盛りの規模などを打ち合わせたが、親方は手早く計算をたてて、じゃり屋に電話をかけるために、自宅へ引っ返していった。
しばらくすると、ひとりの若い仕事師が、シャベルをかついでやって来た。
「だんな、おはようございます。親方がだんなに聞いて、古井戸を埋めてこいといいましたので……あの井戸ですね。土はちゃんと用意してあるんだから、わけはありませんや。さっそく埋めてしまいましょう。この辺はあまり子どもが遊びに来ないからいいようなものの、あぶない落とし穴ですよ」
「そうだよ。わたしもそれが気になってね。まわりのかきねは破れているし、だれかここへはいって、落ちでもしたら申しわけないと思ってね。もっと早く埋めてもらえばよかったんだが」
「ほんとにそうですよ。じゃあ、ひとつ早いとこやっちゃいましょう」
威勢のいい若者は、そのまま古井戸のそばへ行ってシャベルで土の山をくずし、その土を井戸の中へ落としていった。そして、四、五十分もすると、深い井戸がすっかり埋まってしまった。
影男の綿貫はそのあいだ、あき地を歩きまわったり、近くのタバコ屋へタバコを買いに行ってもどってきたりして、穴埋めのすむまでは現場を離れなかった。
古井戸が三分の二ほど埋まったころに、親方が別の若者をつれて、あき地へやって来ていた。そして、ところどころへ杭を打ったり、なわを張ったりして、地盛りの用意をはじめたのだ。しかし、綿貫にはそんなものを見ている必要はなかった。穴埋めが終わったとき、親方のほうはまだ仕事のさいちゅうだったが、
「親方、あとは任せるから、なにぶんよろしく。地盛りができあがった時分に、また見に来るからね」
と、声をかけておいて、急いでその場を引き揚げた。これで死体隠匿の第二段の処置も終わり、すべてが完了したのである。
古井戸の深さは四メートルほどあったから、たとえこの土地が人手に渡っても、地下室のあるビルでも建てないかぎり、死体が掘り起こされる心配はなかった。綿貫氏は、ビルを建てるような相手には、けっして地所を売らないであろう。いや、かれが生きているあいだは、おそらくこの土地は、どんな買い手にも売られることはないであろう。
影男は、春木、二宮夫人に死体隠匿談義を聞かせたとき、土に埋めるのは最も初歩の手段で、発覚しやすいようにいったが、それは死体を埋めるためにわざわざ穴を掘る場合のことであった。穴を掘り、ふたたびそれを埋めれば、どんなに巧みに隠しても、けっきょくは土の色で掘った跡がわかり、発覚の端緒となる。また、掘ったり埋めたりするのには、長い時間を要し、人目をさけてそういう作業をするのは、非常に困難なことでもある。
人々はなぜその逆を考えないのであろうか。影男の悪知恵は、すべて物の逆を考えることから発していた。裏返しの人間探求というかれの事業は、つまり物の逆を探ることであった。そういう考え方からして、かれはこの場合も、掘ることを要せず、埋めるのも公然と埋められるようなものを捜し求めた。そして、水のかれた古井戸という絶好の場所を発見したのである。
かれはその着想が浮かんだとき、何かの場合に備えるために、いくつかの古井戸を用意しておきたいと考えた。そして、ただちに実行に着手し、広く手をまわして、古井戸のあるあき地を物色し、ゆすり事業で得た資金でそれらの土地を手に入れていった。今その一つが役にたったのである。土地はそのまま自分のものとして、たいした労力も費用もかけず、三百万円がころがりこんできたのである。