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影男-血笑记
日期:2022-02-16 17:47  点击:306

血笑記


 影男は、ふたたび失神したのであろう。それからいくときが経過したのか、ふと目ざめると、そこにまた別の次元があった。別の夢の国があった。
 そこは逢魔(おうま)が時の薄やみの国であった。女体山脈のつづきかと思われたが、必ずしもそうではなかった。かれはそのとき、柔らかくて暖かいスロープに、足を投げ出してよりかかっていた。それはアームチェアでもソファーでもなく、なにかえたいの知れぬ巨大なクッションであった。
 かれは立ち上がって、自分がもたれていたものを観察した。白い巨大な曲線が、うねっていた。急には、それがどういう形だか見当もつかなかった。それは一つの大きなへやのように感じられたが、天井も、壁も、床もなく、それらのことごとくが、不思議な曲線と曲面におおわれていた。さきほどの連想からであろうか、じっと見ていると、それらの曲面が、アヘンの夢に拡大された、巨大な裸女の肢体(したい)のように感じられた。天井から鍾乳洞(しょうにゅうどう)のようにたれさがっている無数のふくらみは、あれは乳ぶさのむれであろうか。あれは巨大な腕、あれは巨大なわきの下、あれは座ぶとんを二枚かさねた女のくちびる、かれが今までよりかかっていたのは、ひとりの巨大な裸女のうつぶせの寝姿であった。表面がゴムあるいはビニールでおおわれているらしく、なめらかで弾力があり、どういう仕掛けなのか、それには体温さえもあった。それが実物の十倍の偉大なる体躯(たいく)をうつぶせに横たえている。
 かれはまたもとの快適な位置に足をなげ出した。かれの両側に巨大な大腿部(だいたいぶ)があった。それをひじ掛けにして、うしろのうず高い桃われの臀部(でんぶ)の小山にビロードの背中と頭とをもたせかけ、夕暮れの薄やみの中に適度の弾力と温度に包まれて、ぐったりとしていた。
 突然、パッと正面の壁が明るくなった。どこからか舞台照明のライトが光を投げたのだ。正面の壁といっても、そこもゴムかビニールの巨大なる曲面におおわれていた。すべてが女体のあらゆる部分を、ばくぜんとかたどっているように見えた。
 白いライトの中へ、全裸の若い男女が現われた。全身に化粧をほどこしているらしく、女のからだは(ぬめ)のように白く光り、男のからだはキツネ色につやつやと光っていた。ふたりとも腰に皮のバンドを巻き、それに、銀の(つか)、銀の(さや)の短剣がさがっていた。
 どこからか、かすかに管弦楽が聞こえてきた。男と女は、左右にわかれて、舞踊にはいるポーズをとった。楽の音は、だんだん音を大きくしながら、ゆるやかに、はなやかにかなでられ、それにつれて、男女の優美な舞踊が進行した。キツネ色と白との二つのからだは、あるいは離れ、あるいは抱き合い、女体は男の頭上にささげられ、手をとってくるくると引き回され、しなやかに倒れ、男はその上にのしかかり、呪文(じゅもん)の手ぶりに、女はうっとりと夢見る姿。やがて、音楽は急調に転じ、女体は引き起こされ、狂暴に抱きしめられ、ふりほどいて突きはなされ、男は飛び上がり、女はうち倒れ、コマのように回転し、ヘビのようにのたうち、もつれ合ってころげまわり、女が風のように逃げ走れば、男は悪鬼のように追いすがる。
 音楽がさらに一転して狂気の様相を呈するや、ふたりは腰の短剣を抜きはなって、相対した。そして、いっそう狂暴な舞踊がつづき、ふたりのからだが、あるいははなれ、あるいは接するたびごとに、スーッと一筋、また一筋、キツネ色の皮膚にも、純白の皮膚にも、まっかな血潮の川が流れた。
 見つめる影男は、この絶妙の趣向に手を打って感嘆した。これまでのあらゆる驚異に、ただ一つ欠けている色彩があった。それは深紅の色であった。血の刺激であった。今、その血が流されようとしているのだ。かれの心臓は、何物かから解きはなされたように、ドキドキとおどりだした。原始人の本能が、かれの体内によみがえり、胸いっぱいの快哉(かいさい)を絶叫していた。
 音楽も踊りも狂暴の絶頂に達した。白い女体は、こけつまろびつ逃げまわり、寸隙(すんげき)を見ては、疾風のように男に飛びかかっていった。二本の短剣は空中に切りむすび、いなずまのようにギラギラときらめき、男体、女体ともに、額にも、ほおにも、肩にも、腕にも、乳ぶさにも、腹にも、背にも、腰にも、しりにも、ももにも、全身のあらゆる個所に無数の赤い筋がつき、そこから流れ出すあざやかな血潮が、舞踊につれて、あるいは斜めに、あるいは横に、あるいは縦に、流れ流れて、美しい網目を作り、ふたりの全身をおおいつくしてしまった。
 それほど狂暴な踊りにもかかわらず、男も女もうれしそうに笑っていた。傷つけ、傷つけられることが、かれらにとっては最上の歓喜ででもあるように見えた。嬉々(きき)として逃げ走り、追いすがり、重なってころがり、抱き合って転々し、しかし、身動きのたびごとに、ふたりの傷はますますふえていった。
 もはや、顔もからだも一面の鮮血にぬれて、ふたりは巨大な紅ホオズキのように見えた。まっかに染まった男の顔、女の顔。それが笑っていた。さも楽しげに笑っていた。影男の眼前一尺に近づいて、シネマスコープの大写しになって、赤いよだれをたらしながら狂笑した。赤き血の笑い。赤き血の舞踊。
 ふと気づくと、女体のへや全体がゆれうごいていた。影男のよりかかった巨女の臀部(でんぶ)太腿(ふともも)も、生けるがごとくふるえゆらめき、かれは両側の巨大な人肉に締めつけられ、おしつぶされるのではないかと疑った。
 突如として、舞台照明さえも、深紅の光に変わった。まっかな中にうす白く見える二つの影が踊り狂った。ふたりの狂笑のデュエットが、へやいっぱいに響きわたった。そして、ついに最後が来た。女が先に倒れ、しばらく物狂わしくうごめいていたが、やがて、動かなくなった。死体のように動かなくなった。男の赤い姿は、その上に重なって倒れた。そして、二、三度立ち上がろうともがいたが、やはりぐったりとなって、かれも動かなくなってしまった。
 ふたりの狂笑の余韻も消えて、死の沈黙がおとずれた。舞台照明は消えて、真のやみとなった。影男がよりかかっている巨女のからだも、もはや微動だもせず、あの暖かかった体温さえも急激に冷却し、死人のはだのように冷たくなっていった。
「お客さま、いかがでした」
 やみの中から、男の声が聞こえてきた。
「これでおしまいではありません。もっともっと恐ろしい趣向が残っているのです。しかし、そのまえに、ちょっとお話がしたいのです。お客さまもお疲れでしょう。あちらのへやで、何か飲みものをさしあげながら、ゆっくりお話しいたしましょう。では、どうかこちらへ……」
 影男は何者かに手をとられた。そして、相手の導くままに、人造女体の丘を踏みこえて、やみの中を、どことも知れず導かれていった。


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