壁紙の下
それから三日ほどは、なにごともなく過ぎ去った。ふたりは注意に注意をして、アパートにとじこもっていた。
四日めの午後、速水から電話がかかってきた。港区の麻布に、しろうと家の離れ座敷を見つけたから案内する。一時間もしたら自分の自動車が迎えに行くから、それに乗って来るように、自分は先方で待っている、というのであった。むろん、ふたりでいっしょに行くことにした。少しでも離ればなれになっているのは心細かったからだ。
やがて、キャデラックが表に着き、ひとりの運転手が速水の手紙を持って上がってきた。手紙には、一度家を見てから、改めて引っ越せばいいのだから、荷物は持ってくるに及ばない、と書いてあった。また、この運転手は長くわたしが使っていて、気心の知れたものだとも書いてあった。運転手は四十五、六歳に見える実直そうな男だった。服装もきちんとしていた。
ふたりは自動車に乗るとき、じゅうぶん町の右ひだりを見まわしたが、近くに別の自動車はいなかったし、怪しい人影もなかった。
車は隅田川を越して、浅草から上野へと走った。
「速水さんは、向こうに待っていらっしゃるのでしょうね」
美与子が確かめると、運転手はニコニコした顔で振り返って、
「向こうのご主人とお話があるといって、わたしひとりでお迎えにあがったのです。まちがいなく向こうにいらっしゃいますよ」
と答えた。
五十分近くかかって、六本木にほど近い住宅街にとまった。門内に庭のある古い西洋館だった。車を降りて玄関をはいると、三十前後のセビロを着た男が出てきて、「どうかこちらへ」と先に立った。
「速水さんはいらっしゃるのでしょうね」
「はい、あちらでお待ちになっています」
長い廊下を通って、奥まった一室に案内された。男は、「しばらくお待ちください」といって、ドアをしめて出ていってしまった。
なんとなく異様なへやであった。広さは六畳ぐらい。まんなかに小さな丸テーブルと、そまつなイスが二脚置いてあるばかりで、飾りだなも何もない殺風景な小べやだった。窓というものが一つもないので、昼間でも電灯がついていた。四方とも壁にかこまれていて、それにけばけばしい花模様の壁紙がはりめぐらしてある。へや全体はひどく古めかしいのに、この壁紙だけが新しいのが、妙に不調和だった。
いつまで待っても、だれもやって来ない。さっきの男は、いったいどうしたのだろう。速水荘吉はどこにいるのだ。ふたりはだんだん不安になってきた。
昌吉がドアのところへ行って、ひらこうとした。だが、いくらノッブをまわし、ガチャガチャやっても、ドアはひらかない。
「外からカギがかかっている」
かれは美与子を振り返ってつぶやいた。顔色がまっさおになっている。
「だれかいませんか。ここをあけてください。速水さんはどこにいるのです」
どなりながら、ドアを乱打した。しかし、なんの反応もない。家の中はひっそりと静まりかえっている。いよいよただごとでない。
さては、良斎のわなにはまったのかな。ふたりはどちらからともなく駆けよって、手を取り合った。
すると、そのとき、どこからともなく変な声が聞こえてきた。
「きのどくだが、速水はここには来ていない。ちょっとあれの名を使って、きみたちをおびき出したんだよ」
それは電気を通した声、つまりラウドスピーカーの声であった。昌吉は思わず天井を見まわした。ああ、あれだ。天井の一方のすみに、細かい金網が張ってある。声はその拡声器から漏れてくるのだ。
「ぼくたちは速水さんに用事があってやって来たんだ。ここに速水さんがいないとすれば、一刻もこんなへやにいる必要はない。早く帰らせてくれたまえ」
昌吉は、むだとは知りながら、ともかくも叫ばないではいられなかった。すると、その声が相手に聞こえたとみえて、またラウドスピーカーから、ぶきみなしわがれ声が漏れてくる。