消えうせたへや
それから少したって、へやの外ではレンガ積み作業がはじまっていた。さっきの運転手が、上着を脱いで、ミックスしたセメントをコテですくいながら、一つ一つレンガを積み上げていた。
「やあ、ご苦労、ご苦労、なかなかはかどったね。うまいもんだ。レンガ職人をやったことでもあるのかい」
殺人請負会社の専務取締役、小男の須原がちょこちょことやって来て、声をかけた。
「ヘヘヘヘヘ、ご冗談でしょう。こう見えたって、子どもからのやくざですよ。レンガなんかいじくるのは、今がはじめてですよ。しかし、人のやっているのを見たことはある。見よう見まねってやつですね」
この運転手は、須原の手下の斎木という男であった。よほど信任を得ているらしい。
「おれもてつだうよ。きみはコテのほうをやってくれ。おれはレンガを並べるから」
「オッケー」
職人がふたりになると、みるみる仕事がはかどっていった。
「だが、中のやつら、どうしてる。ばかに静かじゃないか」
「さっき専務さんがのぞいたあとでね、やつら、すっかり壁紙をはがして、あれを読んじゃったんですよ。まるで幽霊みたいな顔してましたぜ。ふたりが抱き合って、すみっこにうずくまってまさあ」
「壁の落書きというやつは、なかなかききめがあるね。やつら、耳をすましてレンガ積みの音を聞いてるだろうな。落書きでちゃんと暗示があたえてあるんだから、まさか聞き漏らすことはあるまい」
「ウフフ、地獄ですねえ。ネズミとりにかかったネズミみたいに、心臓をドキドキさせてるこってしょう。ですが、専務さん、依頼者はもう来ているんですかい?」
「うん、さっきから応接間に来ている。今までぼくが応対していたんだ。これができ上がったら呼ぶつもりだよ」
「ずいぶん執念深いもんですねえ。だが、ああいうお客がなくちゃ、会社の経営はなりたちませんからね」
かれらは、室内には聞き取れぬほどの小声で、ボソボソ話し合いながら、せっせと仕事をつづけていたが、まもなくドアの部分のくぼみがレンガでいっぱいになった。あとは外側に、廊下の壁と同じ漆喰を塗ればよいのだ。
「じゃ、きみ、漆喰のほうをはじめてくれ。ぼくは依頼者を呼んでくるからね」
小男の須原は、そう言いのこして、廊下の向こうへ立ち去ったが、やがて、依頼者川波良斎と肩を並べてもどってきた。
「いよいよ密閉されました。まるで金庫の中へ閉じこめたようなもんですよ」
「で、そののぞき窓というのはどれです」
「このキャタツにおのりください。ほら、あの窓です。ふたを上にひらくと、中に厚いガラスがはめこんであります。八分も厚みのある防弾ガラスですから、中からピストルをうっても、突きぬけるようなことはありません。少しも危険はありませんよ」
気ちがい良斎は、舌なめずりをしてキャタツの上にのぼり、窓のふたをひらいて、中をのぞきこんだ。
「おやッ、だれもいないようだが」
ちょっと見たのでは無人のへやのようであったが、あちこち視線を動かしていると、
「アッ、いる、いる。こちら側の壁にもたれてうずくまっているので、顔が見えない。服のすそと足が見えてるばかりだ……おいッ、美与子、篠田、わしの声がわかるか」
だが、へやの中のふたりは、何も答えなかった。壁の落書きで、こういうことが起こるのをちゃんと予知していたので、いまさら驚くこともないのだ。
「おい、おまえたち、ドアの外にレンガの壁ができたのを知ってるだろうな。ここは気密のへやになったのだぞ。だから、ほうっておいても窒息するのだが、それではお待ちどおだ。ガスだよ。黄色い毒ガスが、このへやいっぱいになる。その中で、おまえたちはもだえ死ぬのだ。これも自業自得というものだぞ。わしの恨みのほどがわかったか。どうだ。ワハハハハハ、ふるえているな。ほら、耳をすまして、よく聞くがいい。どこかでシューシューという音がするだろう。鉛管から毒ガスが吹き出しているのだ。おまえたち、いくら強情にだまりこんでいても、いまにみろ、毒ガスの苦しさに、気ちがい踊りを踊るのだ……さあ、ガスを、ガスを」
と、須原を見おろして催促する。
「もうネジをあけました。ガスは吹き出していますよ」
「そうか。もう吹き出しているのか。うん、うん、黄色い毒蛇が床をはいだした。美与子、こわいか。今こそおまえの断末魔だぞ。ウフフフフフ、ブルブルふるえているな。ざまあ見ろ、いくら篠田にとりすがったって、そいつはおまえを助ける力なんぞありゃしない。わあ、ガラスの前まで黄色い煙がはい上がってきたぞ。もうへやの中は毒ガスでいっぱいだ。はっきり見えなくなった。美与子、篠田、どこにいるんだ。気ちがい踊りをはじめたか。アッ、ちらちら見える。踊っている。踊っている。ワハハハハハ、わしは二度ふくしゅうをとげたんだぞ。一度は土の中にうずめて獄門のさらし首にしてやった。こんどは黄色い毒蛇だ。ガスの中の気ちがい踊りだ。速水とかいうやつのおかげで、わしは二度の楽しみを味わったというもんだ。ワハハハハハ、ワハハハハハ」
あやうくキャタツの上からころがり落ちそうになった。須原がすばやく駆けよって、助けおろした。