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影男-明智小五郎(3)
日期:2022-02-16 18:21  点击:222

 ここでは詳しく話している暇はないが、ぼくがきみたちの秘密をにぎったのは、山際良子(やまぎわりょうこ)の口からだよ。佐川君のあまたあるガールフレンドのひとりだ。あの子は久しくきみのところへ顔を見せないだろう? それはぼくが手中のものにしたからさ。といっても、恋人にしたわけじゃない。ぼくの熱意にほだされて、悪人の手先から足を洗ったのさ。そして、彼女の知っているだけのことを、ぼくに話してくれた。だから、ぼくはきみの旧悪をあらかた知っている。川波良斎のふくしゅう事件には、ぼく自身とびこんでいったんだから知ってるのはあたりまえだが、そのほかに、春木もと侯爵夫人らの依頼を受けて、小林という艶歌師(えんかし)を古井戸に埋めた事件、須原君の殺人会社の依頼で、世田谷の毛利という富豪の愛人を人造の底なし沼におとしいれる案をさずけた事件など、いくつも確証を握っている。
 きみのことを調べていると、須原君の殺人会社のこともわかってきた。きみたちふたりが、ときに味方となり、ときに敵となってもつれ合ってきた関係も明らかになった。それからぼくは須原君の腹心の部下斎木に化けて殺人会社の一員となったので、恐るべき請負会社の過去の悪行の数々を調べあげることができた。
 そこで、ぼくはきみたちふたりを、一挙に撲滅する計画をたてた。そして、その計画はみごとに成就したばかりか、まったくぼくの知らなかったこの地底魔境という思わぬ収穫さえあった」
 明智が語り終わるころには、影男と須原は、そっと目くばせをして、少しずつ、少しずつ、あとじさりをはじめていた。もう三メートルも、明智とのあいだがひらいた。ふたりは、そうして、裸女の群衆の中へまじりこもうとしているかに見えた。
 明智は、それを見ても、なぜか平然としていた。予期していたことだとでもいうように、見て見ぬふりをしていた。
「アッ、明智君、あいつら、逃げるつもりだぞッ」
 中村警部がそばによって、明智の腕をつついた。だが、もうおそかった。ふたりの犯人は、群がる裸女の中に突入していた。白と、桃色と、キツネ色の肉団の密集の中を鏡の壁に近づこうとしていた。八人の黒衣が、それを追って、裸女の海を泳いだ。だが、なかなか近づくことはできない。もうピストルも物の役にたたなかった。撃てば女たちを傷つけるにきまっているからだ。
 八角形の鏡のへやは、いまや沸きたぎる人肉のるつぼと化した。鏡の影を合わせて、幾千人の裸女と黒衣が、乱れ、もつれ、あわだち、ゆらいだ。百千の口からほとばしる悲鳴は、阿鼻(あび)叫喚の地獄であった。
 影男と須原とは、この混乱の中を、ようやく一方の鏡の壁に達していた。かれらは手をつなぎあってギラギラ光る壁づたいに走った。その行く手に立ちふさがる女体は、次々と転倒し、足を空ざまにして悲鳴をあげた。
 この鏡の壁をつたって一周すれば、どこかに別のパノラマ世界への出口があるだろう。ふたりは期せずして、それを考えたのだ。ちょびひげの説明のなかに、ちらとそんな口ぶりがあったのを忘れなかったのだ。別のパノラマ世界へはいれば、そこにはまた、別の逃亡手段がないとはかぎらない。ちょびひげはそこをこの世の果てだといった。追いつめられた極悪犯人の逃げるところは、もうこの世の果てのほかにはないのだ。
 鏡をつたって走っていると、鏡の内側にも、外側にも、無数のひしめく肉体があった。それが押し合い、押し返し、はねのけ、つかみ合い、うめき、叫び、泣き、わめいていた。
 かどを一つ、二つ、三つ、四つ、ふたりは執念ぶかく鏡から離れなかった。そして、手の届くかぎりの鏡の面を押し試みた。隠し戸はないかと、たたき、けり、からだごとぶっつかってみた。
「アッ、ここだッ!」
 影男がとんきょうなこえをたてた。鏡板の一部がぐらっとゆれて、そこにぽっかりと黒い口がひらいた。ふたりは手をつないで、その中へまろび入った。すると、鏡の隠し戸は、またもとのように、ぴたっと閉ざされてしまった。だれも追ってくるものはなかった。ふたりはやっと別世界にはいることができたのだ。そこにはもう、女どもの悲鳴も、警官の怒号も聞こえなかった。それは死の国であった。


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