この世の果て
明智小五郎は、中村警部やその部下とともに、地底世界の入り口に近いいわゆる事務室にもどっていた。
そこには、この世界の持ち主のちょびひげ紳士と、八人の男が、手足をしばられてうずくまり、それをふたりの警官が監視していた。
「地底王国のご主人、ふたりの犯人は、もう一つのパノラマ国へ逃げこんだ。あの鏡の壁に、隠し戸があったのだね」
明智がちょびひげの前に行って尋ねると、かれはうしろ手にしばられた上半身をおこして、恨めしそうな顔でこちらを見上げた。
「そうですよ。でも、ご見物衆はあの隠し戸からはいるまでに気を失うのです。気を失ったところを、そっと運んでおいて、パッと目をひらくと、そこにまったく別の世界があるというのが最も効果的ですからね。それには、わたしがくふうした麻酔ガスを用います。艶樹の森をじゅうぶん観賞なさったころに、美しい魔女が、見物衆にまといつきながら、パイプのネジをひらいて、その鼻先に麻酔ガスを吹きかけるのです。
ですから、あのおふたりが、正気のまま鏡の隠し戸をひらいて別の世界へはいられたとすれば、せっかくの趣向がぶちこわしですよ。それでは、二つの世界が連続してしまいます」
ちょびひげは、捕われの身でも、おしゃべりのくせはやまなかった。
「きみはさっき、その別の世界は、この世の果てだといったね。そこはどんなけしきなのだね」
「まったくのこの世の果てですよ。荒涼たる岩ばかりの無限の大渓谷です。地球の果てです」
「ここには、その二つの世界のほかに、まだ何かあるんじゃないか」
「ありません。二つの世界で、わたしの地底王国はいっぱいですよ」
「で、そこから外への抜け道はないだろうね」
「あるものですか。外への出口は、池の中のシリンダーただ一つですよ。ですから、あなたがたは、ここにがんばってれば、絶対にふたりを逃がす心配はありません」
「ぼくもそうにちがいないと思って、わざとふたりを見のがしておいたんだがね。それで、この世の果ての世界では、どんなことが起こるんだね」
「美しい天女の雲が、舞いさがってくるのです。しかし、だれかが機械を動かさなければ、そういうことは起こりませんよ」
「そして、最後に、やはり麻酔ガスで眠らせるのかね」
「そうですよ。一つの世界ごとに、一度ずつ眠らせるのです。それも、機械を動かさなければ、ガスは吹き出しません」
「で、きみはその機械を動かせるだろうね」
「もちろんですよ。わたしが設計した機械ですもの」
「よろしい。それじゃ、なわをといてやるから、その機械を動かしてくれたまえ。もっとも、ぼくが絶えずきみにつきそっているという条件だよ」
「承知しました。それじゃ、早くなわをといてください……ところで、このわたしは、いったいどうなるのですかね。やっぱり、ひっぱられるのですか。わたしは何も悪いことはしていないのですよ。人を殺したわけじゃなし、物を盗んだわけじゃなし、自分の財産で、自分の地所の下に穴を掘らせて、その中に雄大な別世界を造りあげたというばかりですよ。もし罪があるとすれば、無届け営業ぐらいのものだとおもいますがね」
「たぶん、たいした罪にはならないだろう。しかし、いちおう取り調べられることは、まぬがれまいよ。きみが少しも悪事を働いていないかどうかは、調べてみなければわからないのだからね」
だが、ちょびひげは、「恋人誘拐引き受け業者」なのだ。「殺人請負業」ほどではないにしても、けっして刑罰をのがれられるものではない。
なわをとかれたちょびひげは明智につき添われながら、急なのぼり坂の岩のトンネルを幾曲がりして、いわゆる機械室についた。
大きな歯車がかみあって、太い心棒にワイヤーがまきついている。どこかエレベーターの機械に似た装置である。一方には、たくさんのスイッチのついた配電盤がある。そのスイッチの操作をしていればよいのらしい。
機械室の外は、床一面に厚ガラス板がはってある。ところどころ継ぎめがあるけれど、その一枚一枚が六尺四方もあるような大きなガラス板だ。
「この下に、この世の果てがあるのですよ。ほら、あすこに二尺四方ほどの透き通ったところがあるでしょう。あすこから、下の世界が見えるのです。このガラスはね、下側は一面の鏡ですが、あの透いて見えるところだけ、上からのぞけるようになっているのですよ。下から見ては、ほかの部分と少しも変わりのない鏡ですがね。上からのぞくために、ああいう透き通った個所が作ってあるのです」
そこから見おろすと、黒々とした岩の裂けめが、巨大な井戸のように、底も見えぬほど深くえぐられていた。それが上部から俯瞰したこの世の果てであった。