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阿势登场 三(2)
日期:2022-04-03 23:57  点击:248

 彼はそれを思うと、さい(ぜん)から過激な運動に、尽きて了ったかと見える力を更らにふりしぼって、叩いたり蹴ったり、死にもの狂いにあばれて見た。彼が()し健全な身体の持主だったら、それ程もがけば、長持のどこかへ、一ヶ所位の隙間を作るのは、訳のないことであったかも知れぬけれど、弱り切った心臓と、()せ細った手足では、到底その様な力をふるうことは出来ない上に、空気の欠乏による、息苦しさは、刻々と迫って来る。疲労と、恐怖の為に、(のど)は呼吸をするのも痛い程、カサカサに乾いて来る。彼のその時の気持を、何と形容すればよいのであろうか。
 若しこれが、もう少しどうかした場所へとじ込められたのなら、病の為に遅かれ早かれ死なねばならぬ身の格太郎は、きっとあきらめて了ったに相違ない。だが、自家の押入れの長持の中で、窒息(ちっそく)するなどとは、どう考えて見ても、あり相もない、滑稽至極(しごく)なことなので、もろくも、その様な喜劇じみた死に方をするのはいやだった。こうしている内にも、女中がこちらへやって来ないものでもない。そうすれば彼は夢の様に助かることが出来るのだ。この苦しみを一場(いちじょう)の笑い話として(すま)して了うことが出来るのだ。助かる可能性が多い丈けに、彼はあきらめ兼ねた。そして、怖さ苦しさも、それに伴って大きかった。
 彼はもがきながら、かすれた声で罪もない女中共を(のろ)った。息子の正一をさえ呪った。距離にすれば恐らく二十間とは(へだ)っていない彼等の悪意なき無関心が、悪意なきが故に猶更(なおさら)うらめしく思われた。
 闇の中で、息苦しさは刻一刻と(つの)って行った。最早(もは)や声も出なかった。引く息ばかりが妙な音を立てて、(おか)(あが)った(さかな)の様に続いた。口が大きく大きく()いて行った。そして骸骨(がいこつ)の様な上下の白歯(しらは)が歯ぐきの根まで現れて来た。そんなことをした所で、何の甲斐もないと知りつつ、両手の爪は、夢中に蓋の裏を、ガリガリと引掻(ひっか)いた。爪のはがれることなど、彼はもう意識さえしていなかった。断末魔の苦しみであった。併し、その(きわ)になっても、まだ救いの来ることを一縷(いちる)の望みに、死をあきらめ兼ねていた彼の身の上は、云おう(よう)もない残酷なものであった。それは、どの様な業病(ごうびょう)に死んだ者も、(あるい)は死刑囚さえもが、(あじわ)ったことのない大苦痛と云わねばならなかった。


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