六
春泥の手紙には六郎氏殺害の予告に附加えて「だが慌てることはない。私はいつも急がないのだ」という文句があった。それにも拘らず、彼はどうしてあんなに慌てて、たった二日しか間を置かないで、兇行を演じることになったのであろうか。それは或は、態と手紙では油断をさせて置いて、意表に出でる、一種の策略であったかも知れないのだが、私はふと、もっと別の理由があったのではないかと疑った。静子が時計の音を聞いて、屋根裏に春泥が潜んでいると信じ、涙を流して六郎氏の命乞いをしたということを聞いた時、已に私はそれを虞れたのだが、春泥はこの静子の純情を知るに及んで、一層激しい嫉妬を感じ、同時に身の危険をも悟ったに相違ない。そして、「よし、それ程お前の愛している亭主なら、長く待たさないで、早速やっつけて上げることにしよう」という気持になったことであろう。それは兎も角、小山田六郎氏の変死事件は、極めて異様な状態に於て発見されたのである。
私は静子からの知らせで、その日の夕刻小山田家に駈けつけ、初めて凡ての事情を聞知ったのであるが、六郎氏はその前日別段変った様子もなく、いつもよりは少し早く会社から帰宅して、晩酌を済ませると、川向うの小梅の友人の所へ、碁を囲みに行くのだと云って、暖い晩だったので大島の袷に鹽瀬の羽織丈けで、外套は着ず、ブラリと出掛けた。それが午後七時頃のことだ。遠い所でもないので、彼はいつもの様に、散歩旁々、吾妻橋を迂回して、向島の土手を歩いて行った。そして、小梅の友人の家に十二時頃までいて、やはり徒歩でそこを出たと云う所まではハッキリ分っていた。だが、それから先が一切不明なのだ。
一晩待ち明かしても、帰りがないので、しかもそれが丁度大江春泥から恐ろしい予告を受けていた際なので、静子は非常に心をいため、朝になるのを待兼ねて、知っている限り心当りの所へ電話や使で聞合わせたが、どこにも立寄った形跡がない。彼女は無論私の所へも電話をかけたのだけれど、丁度その前夜から私は宿を留守にしていて、やっと夕方頃帰ったので、この騒動は少しも知らなかったのだ。やがていつもの出勤時刻が来ても、六郎氏は会社へも顔を出さない。会社の方でも色々と手を尽して探して見たが、どうしても行衛が分らぬ。そんなことをしている内に、もうお昼近くになってしまった。丁度そこへ、象潟警察から電話があって、六郎氏の変死を知らせて来たのであった。
吾妻橋の西詰、雷門の電車停留所を、少し北へ行って、土手をおりた所に、吾妻橋千住大橋間を往復している、乗合汽船の発着所がある。一銭蒸汽と云った時代からの隅田川の名物で、私はよく、用もないのに、あの発動機船に乗って、言問だとか白鬚だとかへ往復して見ることがある。汽船商人が絵本や玩具などを船の中へ持込んで、スクリウの音に合わせて、活動弁士の様なしわがれ声で、商品の説明をしたりする。あの田舎田舎した、古めかしい味がたまらなく好もしいからだ。その汽船発着所は、隅田川の水の上に浮んでいる、四角な船の様なもので、待合客のベンチも、客用の便所も、皆そのブカブカと動く船の上に設けられている。私はその便所へも入ったことがあって知っているのだが、便所と云っても婦人用の一つきりの箱みたいなもので、木の床が長方形に切抜いてあって、その下をすぐ、一尺ばかりの所を、大川の水がドブリドブリと流れている。丁度汽車か船の便所と同じで、不潔物が溜る様なことはなく、綺麗と云えば綺麗だが、その長方形に区切られた穴から、じっと下を見ていると、底の知れない青黒い水が澱んでいて、時々ごもくなどが、検微鏡の中の微生物の様に、穴の端から現われて、ゆるゆると他の端へ消えて行く。それが妙に無気味な感じなのだ。
三月二十日の朝八時頃、浅草仲店の商家の若いお神さんが、千住へ用達しに行く為に、吾妻橋の汽船発着所へ来て、船を待合せる間に、今の便所へ入った。そして、入ったかと思うと、いきなりキャッと悲鳴を上げて飛び出して来た。切符切りのお爺さんが聞いて見ると、便所の長方形の穴の真下に、青い水の中から、一人の男の顔が彼女の方を見上げていたというのだ。切符切りのお爺さんは、最初は、船頭か何かのいたずらだと思ったが、(そういう水の中の出歯亀事件は、時たま無いでもなかったので)兎に角便所へ入って検べて見ると、やっぱり、穴の下一尺ばかりの間近に、ポッカリと人の顔が浮いていて、水の動揺につれて、顔が半分隠れるかと思うと、又ヌッと現われる。まるでゼンマイ仕掛けの玩具の様で、凄いったらなかったと、あとになって爺さんが話した。
それが人の死骸だと分ると、爺さんは俄かに慌て出して、大声で発着所にいた若い者を呼んだ。船を待合せていた客の中にも、いなせな肴屋さんなどがいて、若い者と共力して死体引上げにかかったが、便所の中からでは迚も上げられないので、外側から竿で死骸を広い水の上までつき出した所が、妙なことには、死骸は猿股一つ切りで、丸裸体なのだ。四十前後の立派な人品だし、まさかこの陽気に隅田川で泳いでいたとも受取れぬので、変だと思って尚よく見ると、どうやら背中に刃物の突傷があるらしく、水死人にしては水も含んでいない様な鹽梅なのだ。ただの水死人ではなくて殺人事件だと分ると、騒ぎは一層大きくなったが、さて、水から引上げる段になって、又一つ奇妙なことが発見された。
知らせによって駈けつけた、花川戸交番の巡査の指図で、発着所の若い者が、モジャモジャした死骸の頭の毛を掴んで引上げようとすると、その頭髪が頭の地肌から、ズルズルとはがれて来たのだ。若い者は、余りの気味悪さに、ワッと云って手を離してしまったが、入水してからそんなに時間がたっている様でもないのに、髪の毛がズルズルむけて来るのは変だと思って、よく調べて見ると、何のことだ、髪の毛だと思ったのは、鬘で、本人の頭はテカテカに禿上っていたのであった。
これが静子の夫であり、碌々商会の重役である小山田六郎氏の、悲惨な死様であったのだ。つまり、六郎氏の死体は、裸体にされた上、禿頭に、ふさふさとした鬘まで冠せて、吾妻橋下に投込まれていたのだった。しかも、死体が水中で発見されたにも拘らず、水を呑んだ形跡はなく、致命傷は背中の左肺部に受けた、鋭い刃物の突傷であった。致命傷の外に背中に数ヶ所浅い突傷があった所を見ると、犯人は幾度も突きそくなったものに相違なかった。警察医の検診によると、その致命傷を受けた時間は、前夜の一時頃らしいということであったが、何分死体には着物も持物もないので、何所の誰とも分らず、警察でも途方に暮れていた所へ、幸にも昼頃になって、小山田氏を見知るものが現われたので、早速、小山田邸と碌々商会とへ、電話をかけたということであった。
夕刻私が小山田家を訪ねた時には、六郎氏側の親戚の人達や、碌々商会の社員、故人の友人などがつめかけていて、家の中は非常に混雑していた。丁度今し方警察から帰った所だと云って、静子はそれらの見舞客にとり囲まれて、ぼんやりしているのだ。六郎氏の死体は、都合によっては解剖に附せなければならないと云うので、まだ警察から下渡されず、仏壇の前の白布で覆われた台には急拵えの位牌ばかりが置かれ、それに物々しく香華がたむけてあった。
私はそこで、静子や会社の人から、右に述べた死体発見の顛末を聞かされたのであるが、私は春泥を軽蔑して、二三日前静子が警察に届けようといったのをとめたばかりに、この様な不祥事を惹起したかと思うと、恥と後悔とで、座にもいたたまれぬ思いがした。私は下手人は大江春泥の外にはないと思った。春泥はきっと、六郎氏が小梅の碁友達の家を辞して、帰途吾妻橋を通りかかった折、彼を汽船発着所の暗がりへ連れ込み、そこで兇行を演じ、死体を河中へ投棄したものに相違ない。時間の点から云っても、春泥が浅草辺にうろうろしていたという本田の言葉から推しても、いや現に彼は六郎氏の殺害を予告さえしていたのだから、下手人が春泥であることに、疑を挟む余地はないのだ。だが、それにしても、六郎氏は何故真裸体になっていたのか、又変な鬘などを冠っていたのか、若しそれも春泥の仕業であったとすれば、彼は何故その様な途方もない真似をしなければならなかったのか。洵に不思議と云う外はなかった。
私は折を見て、静子と私丈けが知っている秘密について相談する為に、「ちょっと」と云って、彼女に別室へ来て貰った。静子はそれを待っていた様に、一座の人に会釈すると、急いで私のあとに従って来たが、人目がなくなると、「先生」と小声で叫んで、いきなり私にすがりつき、じっと私の胸の辺を見つめていたかと思うと、長いまつげが、ギラギラと光って、まぶたの間がふくれ上ったと見るまに、それがやがて大きな水の玉になって、青白い頬の上を、ツルッ、ツルッと流れるのだ。涙はあとからあとからと、ふくれ上って来ては、止めどもなく流れるのだ。
「僕はあなたに、何と云ってお詫びをしていいか分らない。全く僕の油断からです。あいつにこんな実行力があろうとは、本当に思いがけなかった。僕が悪いのです。僕が悪いのです……」
私もつい感傷的になって、泣き沈む静子の手をとると、力づける様に、それを握りしめながら、繰り返し繰り返し詫言をした。(私が静子の肉体にふれたのは、あの時が初めてだった。そんな際ではあったけれど、私はあの青白く弱々しい癖に、芯の方で火でも燃えているのではないかと思われる、熱っぽく弾力のある彼女の手先の、不思議な感触をはっきりと意識し、いつまでもそれを覚えていた)
「それで、あなたはあの脅迫状のことを、警察でおっしゃいましたか」
やっとしてから、私は静子の泣き止むのを待って云った。
「いいえ、私どうしていいか分らなかったものですから」
「まだ云わなかったのですね」
「ええ、先生に御相談しようと思って」
あとから考えると変だけれど、私はその時もまだ静子の手を握っていた。静子もそれを握らせたまま、私にすがる様にして立っていた。
「あなたも無論、あの男の仕業だと思っているのでしょう」
「ええ、それに、昨夜妙なことがありましたの」
「妙なことって」
「先生の御注意で、寝室を洋館の二階に移しましたでしょう。これで、もう覗かれる心配はないと安心していたのですけれど、やっぱりあの人、覗いていた様ですの」
「どこからです」
「ガラス窓の外から」そして、静子はその時の怖かったことを思出した様に、目を大きく見開いて、ポツリポツリと話すのであった。「昨夜は十二時頃、ベッドに入ったのは入ったのですけれど、主人が帰らないものですから、心配で心配で、それに天井の高い洋室にたった一人でやすんでいますのが、怖くなって来て、妙に部屋の隅々が眺められるのです。窓のブラインドが、一つ丈けおり切っていないで、一尺ばかり下があいているので、そこから真暗な外の見えているのが、もう怖くって、怖いと思えば、余計その方へ眼が行って、しまいには、そこのガラスの向うに、ボンヤリ人の顔が見えて来るじゃありませんか」
「幻影じゃなかったのですか」
「少しの間で、直ぐ消えてしまいましたけれど、今でも私、見違いやなんかではなかったと思っていますわ。モジャモジャした髪の毛をガラスにピッタリくっつけて、うつむき気味になって、上目使いにじっと私の方を睨んでいたのが、まだ見える様ですわ」
「平田でしたか」
「ええ、でも、外にそんな真似をする人なんて、ある筈がないのですもの」
私達はその時、こんな風の会話を取交したあとで、六郎氏の殺人犯人が大江春泥の平田一郎に相違ないこと、彼がこの次には静子をも殺害しようと企らんでいることを、静子と私とが同道で警察に申出で、保護を願うことに話を極めた。
この事件の係りの検事は、糸崎という法学士で、幸にも私達探偵作家や医学者や法律家などで作っている猟奇会の会員だったので、私が静子と一緒に、所謂捜査本部である象潟警察へ出頭すると、検事と被害者の家族という様な、しかつめらしい関係ではなく、友達つき合いで、親切に私達の話を聞取ってくれた。彼もこの異様な事件には余程驚いた様子で、又深い興味をも感じたらしかったが、兎も角全力を尽して大江春泥の行衛を探させること、小山田家には特に刑事を張込ませ、巡査の巡回の回数を増して、充分静子を保護するという約束をして呉れた。大江春泥の人相については、世に流布している写真は余り似ていないという私の注意から、博文館の本田を呼んで、詳しく彼の知っている容貌を聞取ったのであった。