「その家宝はいま、どこにあるんですか」
「犬神奉公会で保管してあります。いずれ、珠世さんが、佐清、佐武、佐智の三人のなか
から、配偶者をえらんだとき、そのひとに譲られるわけですがね。なに、斧も琴も菊も、
一尺ぐらいの、小さな黄金製の、一種のミニエチャーですがね」
古館弁護士はそこで眉をひそめて、
「もともと、その斧琴菊は野々宮大弐から譲られたものですから、佐兵衛翁が自分の死後、
これを大弐さんの子孫に返還しようというのは、まあ人情として、うなずけないこともな
いのですが、これに、犬神家のあの巨大な財産や事業が付随しているから、話がはなはだ
めんどうになってくるんです。佐兵衛翁は、なんであんなことを考え出したもんですかね
え」
古館弁護士は、嘆息するようにつぶやいた。金田一耕助は考えぶかい眼つきをして、
「なるほど、それじゃ斧琴菊という言葉、ならびにそのミニエチャーに関しては、格別の
子細はないわけですね、もしそれが犬神家の相続権を意味していなかったら……」
「そうです。そうです。黄金製といっても、金メッキですからね。それ自身、むやみに高
価なものというわけじゃない。問題は犬神家の相続権にあるわけですね」
古館弁護士は、さりげなくそう言いきったが、しかし、あとから思えば、古館弁護士は
まちがっていたのだ。
斧、琴、菊――という、この言葉そのもののなかにこそ、なんともいえぬ、恐ろしい意
味が秘められていたのだ。
よきこと聞く――このめでたい言葉は、なるほど佐兵衛翁の生きているあいだは、その
言葉どおりの意味をもって、犬神家を守りつづけてきた。しかし、佐兵衛翁の死後も、や
はりそうであったろうか。いや、いや、いや、あとから思えばその言葉は、まったく逆の
意味をもって、犬神家を呪いつづけていたのである。
しかし、さすがに金田一耕助も、そこまでは気がつかなかった。あの恐ろしい事件が、
つぎつぎと起こって、かれの眼をひらいてくれるまでは。……
「ときに、青沼静馬という人物ですがね。消息がわかりそうですか」
「さあ、それです。遺言状を公開する以前から、全国に手配して行方を求めているんです
がね。いまのところまだ全然、手がかりがありません。青沼菊乃という女が、無事にその
子を育てあげたとしても、こんどのこの戦争ですからね。どういうことになっているや
ら……」
金田一耕助の頭には、そのとき、さっと悪魔のいたずらのような考えがひらめいた。か
れはその考えの、あまりの突飛さに、われながら面くらいながら、しかもなおそれを振り
きることができなかった。
「ねえ、古館さん、猿蔵という男は、孤児だといいましたね。そして、年輩もちょうどそ
れくらいですが、あの男の素姓はよくわかっているのですか」
古館弁護士はそれを聞くと、|愕《がく》|然《ぜん》として眼を見はった。あっけに
とられたように、しばらく金田一耕助を見つめていた。それから、あえぐように、
「な、なにをいうんです。金田一さん。あなたはあの男を青沼静馬だというんですか。そ、
そんな馬鹿な……」
「でしょうね。いや、いまふとそんな考えがうかんだものですからね。いや、いまの疑問
はいさぎよく撤回します。ぼくの頭は、今日どうかしているんです。ひょっとすると、佐
兵衛翁が、自分のかくし子を、珠世さんのお母さんに託したのではないか……と、そんな
ふうに考えてみたんですよ。しかし、それだと、いままでにだれかが気がついていなけれ
ばならぬはずですね」
「そうですとも。それに佐兵衛翁というひとは、何度もいうとおり、それはそれは秀麗な
男ぶりでしたよ。菊乃というひとだって、これは私自身、会ったことはありませんが、佐
兵衛翁の|寵愛《ちょうあい》をほしいままにしたくらいだから、美人だったにちがいな
い。そういう二人のあいだに猿蔵のような醜い子どもが生まれるはずがありませんからね。
猿蔵――あいつは、少し足りない、菊作りの名人にすぎませんよ。あいつはいま、菊人形
を作るのに夢中になっています」
「菊人形……?」金田一耕助は眉をひそめた。
「そう、まえにもあの男、佐兵衛翁の命令で、翁の一代記を、菊人形に作ったことがある
んですよ。それを思い出したのか今年も菊人形をつくるんだと力んでいます。むろんまえ
のように大げさなものじゃありませんがね。あいつは、まあ、怒らせさえしなければ、毒
にも薬にもならん男です。しかし……そういえば、私もあいつがどういう素姓のものか、
いままで一度もきいたことがありませんね。よろしい、かりそめにもそういう疑問がある
とすれば、一度あいつの生まれを調査してみましょう」
古館弁護士も、なんとなく、しだいに心のさわぐ顔色になっていったのであった。
奉納手型
十一月十五日――佐清が帰ってきてからちょうど半月、金田一耕助がやってきてから、
そろそろ、ひと月になろうという十一月なかばの日。
この日こそは犬神家の一族のあいだに、最初の血が流された日であり、悪魔がいよいよ、
行動開始をした日であったが、ここではこの殺人事件に言及するまえに、あるいはこれが、
最初の殺人の前奏曲になったのではないかと思われる、ひとつのエピソードを書きとめて
おくことにしよう。
「金田一耕助様、お客様ですよ」
それは十一月十五日の、午後三時ごろのことだった。例によって旅館の縁側に籐椅子を
持ち出し、うつらうつらと物思いにふけっていた金田一耕助は、女中の声にふと|瞑《め
い》|想《そう》をやぶられた。
「お客様? だれ?」
「古館さんでございます」
「古館さん? 古館さんなら、どうぞこちらへといってください」
「いえ、古館さん、自動車のなかでお待ちでございます。どこかへお出かけになるんだそ
うで、もし、おさしつかえがなかったら、ごいっしょにお願いしたいとおっしゃってでご
ざいます」
「ああ、そう」
金田一耕助は椅子からとびあがった。そして宿のどてらをよれよれの羽織袴に着かえる
と、くちゃくちゃに型のくずれたお|釜《かま》|帽《ぼう》を、|蓬《ほう》|髪《は
つ》の上にたたきつけ、大急ぎで宿の玄関からとび出した。
見ると宿の表に、一台の自動車がとまっており、古館弁護士が窓から首を出している。
「やあ、お待たせしました。いったい、どこへ出かけるのですか」