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犬神家族-第三章 凶報至る(6)
日期:2022-05-31 23:59  点击:227
「へえ、そうなんで。おらいつも朝起きると、家のなかを見回るだが、今朝起きぬけにこ
の下へ来てみると、水門がひらいていただ。あの水門は昨日、日暮れまえに、たしかにお
ろしておいたはずだから、変に思ってボート小屋をのぞいてみると、三艘あるボートのう
ち一艘が、見えなくなっているだ」
署長と金田一耕助は、驚いたように眼を見交わした。
「すると、昨夜のうちにだれかがボートを|漕《こ》ぎ出したというのかね」
「さあ。……それはおらにもわからねえが、とにかくボートが一艘……」
「そして、水門がひらいていたというんだね」
猿蔵はムッツリとした顔でうなずいた。
金田一耕助は本能的に、湖水のほうをふりかえったが、雨に降りこめられた湖水の上に
は、ボートらしいものは一艘も見られなかった。
「こちらのボートには、なにか目印がついていないのかい」
「へえ、こちらのボートにゃ、みんな犬神家という字が黒いペンキで書いてあるだ」
署長がなにかささやくと、すぐに私服の三人が、展望台からおりていった。おそらく、
紛失したボートをさがしにいくのだろう。
「いや、猿蔵君、ありがとう。なにかまた変わったことに気がついたら知らせてくれたま
え」
猿蔵はぶきっちょにお辞儀をすると、そのままコトコトと階段をおりていった。
署長は金田一耕助をふりかえって、
「金田一さん、あんたこれをどうお考えかな。犯人は佐武の首無し死体を、ボートにつん
で運んでいったものでしょうか……」
「さあ。……」
と、金田一耕助は、雨にけむった湖水のおもてを見渡しながら、
「そうなると、犯人は外部のものということになりますね。だってボートを漕ぎ出したま
ま、こっちへかえっていないんですから」
「いや、途中で死体を湖水へしずめ、自分はどこかの岸へボートを漕ぎよせ、岡をまわっ
てかえってくるという方法もある」
「しかし、そりゃずいぶん危険な仕事ですぜ。生首をああして、麗々しくかざっておく以
上は、なにもそんな危険をおかしてまで、死体をかくす必要はないと思いますがねえ」
「ふうむ。そういえばそうだが……」
署長はぼんやり、あの恐ろしい血だまりに眼をやっていたが、急に強く首を左右にふる
と、
「金田一さん、わしはどうもこの事件は気に食わんよ。犯人はなんだって首を斬り落とし
よったんじゃ。なんだってまたその首を菊人形の首とすりかえよったんじゃ。いやだね、
どうも。……わしゃなんだか、寒気がするよ」
そこへ珠世があがってきた。さすがに珠世も顔青ざめて、瞳もかたくとがっている。し
かし、それにもかかわらず、彼女の美しさにはかわりはなかった。いやいや、ものにおび
えて、どことなく頼りなげな風情が、いっそうしおらしく、美しく、古くさいたとえなが
ら雨になやめる|海《かい》|棠《どう》の、そこはかとないはかなさが、彼女の美しさ
をいっそうひき立てているようにさえ見えるのだ。署長はかるく|空《から》|咳《せき》
をすると、
「ああ、どうも、お呼びたてしてすみません。どうぞそこへお掛けになって……」
珠世はあの恐ろしい血だまりに眼をやると、一瞬おびえたように大きく眼を見はったが、
すぐ顔をそむけるようにして、ギゴチなく籐椅子のひとつに腰をおろした。
「お呼びたてしたのはほかでもありませんがね、このブローチ、ご存じですか」
珠世は署長の|掌《てのひら》にある、菊花のブローチに眼をやると、籐椅子のなかで、
一瞬体をかたくした。
「はあ……あの……存じております。それ、あたしのブローチでございます」
「なるほど、それで、いつ失われたのか、お心当たりはありませんか」
「はあ……たぶん、昨夜……」
「どこで……」
「ここで落としたのじゃないかと思ってますけれど……」
署長はチラと、金田一耕助と顔を見合わせた。
「すると、あなたは昨夜、ここへ来られたのですか」
「はあ……」
「何時ごろ?」
「十一時ごろだったと思います」
「そんな時刻に、どういう御用があって、こんなところへ来られたのですか」
珠世は両手でハンケチをもんでいる。もんでもんで、ハンケチをひきちぎらんばかりで
ある。
「ねえ、こうなったらなにもかも正直にいっていただきたいのですがね。いったい、どう
いう御用でこんなところへ?」
珠世は突然決心したように、スックとばかりに顔をあげると、
「実は昨夜、ここで佐武さんに会ったのでございます。内密に話をしたいことがあったも
のですから」
珠世の|頬《ほお》からは、スッカリ血の気がひいている。
橘署長は、また、チラと金田一耕助のほうへ眼をやった。
指紋のある時計
「昨夜、あなたは佐武君と、ここで会ったんですって?」
橘署長の眼に、ふと、かすかな疑惑の色がうかんでくる。金田一耕助も、|怪《け》|
訝《げん》そうに眉をひそめて、血の気のひいた、珠世の白い横顔を見つめている。
珠世の美しい頬は、スフ?ンクスのように、なぞを秘めて|強《こわ》|張《ば》って
いた。
「どういう御用件があったんですか。ああ……いや、たぶん、佐武君のほうから、誘いか
けたんでしょうな」
「いいえ、そうではございません」
珠世はキッパリとした口調で、
「あたしのほうから佐武さんに、十一時ごろ、ここへ来てくださいとお願いしたのでござ
います」
と、そういいきると、たゆとうような視線を湖水のおもてへ持っていく。すこし風が出
たのか、水のおもてを打つ雨脚が、しだいに乱れて、はげしさを増していく。|時《し》|
化《け》になるかもしれない。

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