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犬神家族-第四章 捨て小舟(3)
日期:2022-05-31 23:59  点击:229
と書いてあった。
「沢井君、この住所氏名、控えておいたろうね」
「はあ、控えておきました」
「さっそく東京のほうへ照会するんだね。ほんとかどうか怪しいもんだが……で? 話の
つづきをしてくれたまえ」
署長にうながされて、
「はあ、いい忘れましたが、その客が来たのは八時ごろのことでございますが、それが十
時ごろになって、この近所に知り合いがあるから、ちょっと行ってくるといって出かけて
いきました。むろんそのときも、帽子と襟巻きで顔はすっかりかくしておりました。それ
から二時間ほどたって、ええ、十二時ごろのことでしたろう。そろそろ大戸をしめようか
と思っているところへ、その客がかえって来たんでございますが、いまになって考えてみ
るとなんとなくあわてていたようでしたね。しかし、そのときは、別にふかく気にとめた
わけでもなく……」
「ああ、ちょっと待って」
と、言葉をはさんだのは金田一耕助。
「そのときもやっぱり顔をかくして……?」
「ええ、もちろんでございますとも、結局、わたくしどもは一度もその客の顔を見なかっ
たわけで……それというのが今朝早く、五時ごろのことでしたろう。急に出発するからと
いって、宿を出ていったのでございます。いえお勘定のほうは、昨夜いただいております
が、なんにしても妙な客だ。なにかあるにちがいないと、うちのものとも話しているとこ
ろへ、その客の泊まっていった部屋を掃除にいった女中が、こんなものを見つけてまいり
まして……」
と、亭主がひろげてみせたのは、一本の日本手ぬぐい。それを見たとたん、署長も金田
一耕助も、思わず大きく眼をみはったのである。
復員援護、博多友愛会――と、染め出してあるところを見ると、あきらかにそれは、博
多の復員援護局で、復員者にわたされたものにちがいないが、その手ぬぐいにはべったり
と、ドス黒い血の跡が……あきらかに、血に染まった手をふいたものにちがいない。
金田一耕助と橘署長は、思わず顔を見合わせた。
そのとき、ふたりの頭脳にひらめいたのは、最近に博多へ復員してきた、仮面の佐清の
ことである。しかしその佐清は昨夜の八時から十時ごろまで、奥の十二畳の座敷のなかで、
犬神家の一族に、とりかこまれていたはずではないか。
疑問のX
柏屋の亭主、志摩久平の証言は、|俄《が》|然《ぜん》、犬神家の最初の惨劇に、大き
ななぞを投げかけたのだが、いまその証言の内容を、もう一度ここで要約してみよう。
昨夜、犬神家から半里ほどはなれた下那須のはたご屋、柏屋へやってきて、一夜の宿を
求めた復員者風の男。――いまかりにその男をXとすると。……
Xが柏屋へやってきたのは八時ごろのことである。
Xはだれにも絶対に顔を見せなかった。
Xが名乗るところによると、名前は山田三平、住居は東京都麹町区三番町二十一番地、
職業は無職。
Xは十時ごろ、この近所に知り合いがあるといって、宿を出た。
Xが柏屋へかえってきたのは、十二時前後のことだったが、そのときかれの様子には、
なんとなく、あわてふためいているようなところがあった。
Xは今朝五時ごろ、急に用事を思い出したといって、宿を早立ちした。
Xの泊まっていった座敷から、血染めの手ぬぐいが発見されたが、その手ぬぐいには、
「復員援護、博多友愛会」と、染め出してあった。
――と、いうのが、Xなる人物の、昨夜から今朝へかけての行動のあらましだが、これ
を昨夜、犬神家で起こった殺人事件と照らし合わせてみると、そこにいろいろ、興味ふか
い一致点を見いだすことができるのである。
まず第一に、佐武の殺された時刻だが珠世の証言によると、それはだいたい十一時十分
以後のこととみてよいようである。したがって、十時ごろ、下那須の柏屋を出たXはその
ころまでには十分、犬神家へ来ていることができたはずである。
それから第二はあのボートだ。あの血まみれボートが発見されたのは、下那須の観音岬
のほとりだということだが、そこから柏屋までは時間にして、五分とはかからぬ距離なの
である。したがって、いまかりに、だれかが十一時半ごろ、佐武の首無し死体をボートに
つんで、ここから|漕《こ》ぎ出し、途中で死体を捨てるために、いったん沖へ出ていき、
それから観音岬へむかったとしても、十二時ごろまでに柏屋へ、たどりつく余裕は十分あ
るとみられるのだ。つまり、疑問のXの行動と、昨夜の殺人事件とは、時間的にも一致す
るところが多いのである。
「金田一さん、こいつは妙なことになってきましたな、そうすると、そいつは佐武を殺し
に来たというわけかな」
「署長さん、そう断定してしまうのは、まだ早いでしょうが……」
金田一耕助は、なにかしら、深いところをのぞくような眼つきをしながら、
「しかし、そいつが佐武君を殺しに来たかどうかは別として、つぎのことだけはたしかで
しょうね。つまり、佐武君の首無し死体をボートにつんで、ここから漕ぎ出したらしいと
いうことは。……そして、ぼくはそんなところに、なんともいえぬ深い興味をおぼえるん
ですがね」
「と、いうのは?」
橘署長はさぐるような眼で耕助を見る。
「署長さん、この事件で首から下の胴をかくさねばならぬという理由は、どうしても考え
られない。……と、いうことを、さっきからぼくは、何度も力説しましたね。なにしろあ
あして生首のほうは、麗々しく菊人形の首とすげかえてあるんですから、胴のほうをかく
したところで無意味じゃありませんか。ところが、その無意味なことを、しかも、非常な
危険をおかしてやっている。なぜだろう。なぜ、そんな必要があったのだろう。……さっ
きからぼくはそのことを考えつづけていたんですが、いま、柏屋の亭主の話をきいている
うちに、やっとその理由が、わかるような気がしてきたんです」
「その理由というのは……?」
「署長さん、柏屋の亭主はなぜ、Xなる人物のことをこうも速やかにとどけて出たと思い
ます? 血染めの手ぬぐいという、れっきとした遺留品があったからじゃありませんか。
あの手ぬぐいさえなければ、Xなる人物の行動に、多少、怪しい節があったとしても、こ
う速くとどけて出やぁしなかったと思いますよ。あの連中ときたら、とかく係りあいにな
ることをなによりも恐れるんですからね。してみるとXなる人物は、宿の亭主に一刻も早
く、警察へとどけて出ろといわぬばかりに、血染めの手ぬぐいをおいていった……としか
思えないじゃありませんか。まさかあれほど重大な証拠物件を、うっかり忘れていったな
んてことは考えられませんからね」

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