「わかりました。金田一さん、あんたの言いたいのは、Xなる人物は、わざと自分に注意
を集めるように行動をしているということなんでしょう」
「そうです、そうです。署長さん、そして、同じことが、あの血まみれボートについても
いえるんじゃないでしょうか。運び出さなくてもよい首無し死体を、わざとボートで運び
出したり、血にそまったそのボートを、柏屋の近くの岬に乗り捨てたり……」
橘署長はふいに大きく眼を見はった。そして耕助の顔を穴のあくほど凝視した。署長に
もようやく、金田一耕助のいおうとするところがわかってきたのである。
「金田一さん、するとあんたのお考えでは、その男は、だれかをかばうために、あんなこ
とをしている……と、いうんですか」
金田一耕助は無言のままうなずいた。
「だれです。いったい、だれをかばっているんです」
橘署長は意気込んだ。耕助はしかし、首をかるく左右にふりながら、
「そこまではぼくにもわかりませんよ。しかし、かばわれているのがだれにしろ、この家
に住んでる人物にちがいないことだけはたしかでしょうね。なぜといって、疑問のXの行
動は、すべて注意を、外に向けようとするところにあるんですからね。犯人は外からやっ
てきたと、そう思わせるために行動しているんですからね。ということは、逆に、犯人は
この家のなかにいるということになるんじゃないでしょうかね」
「つまり疑問のXは、単なる共犯者にすぎない。そして、真犯人は別にこの家のなかにい
る……と、いうんですね」
「そうです。そうです」
「ところで、いったい、疑問のXとは何者なんだ。犬神家の一族と、いったい、どういう
関係があるというんだ」
金田一耕助はゆるく頭髪をかきまわしながら、
「署長さん、そ、それですよ、問題は。……疑問のXとはなにものか。……それがわかれ
ば犯人もわかります。ところで署長さん」
耕助は署長のほうへ向きなおって、
「ぼくがいまなにを考えているかわかりますか」
橘署長は妙な顔をして金田一耕助の顔を見る。耕助は皮肉な微笑をうかべながら、
「昨夜、この家の奥座敷では、佐清君の手型をとろうとして、一族全部集まっていました
ね。結局、手型はとれなかったが、すったもんだの押し問答が、八時ごろから十時ころま
でつづいたということです。ところで一方疑問のXですが、あいつが柏屋へ現われたのは、
八時ごろのことだ、それから十時ごろまで、ちゃんと宿にいたということになってますね。
このことは、ぼくにとっちゃ、非常にありがたいことなんですよ。第一、手数がはぶけま
すからね。もし、それでなかったら、ぼくは犬神家の一族の、ひとりひとりについて、?
リバ?調べをやらなければならなかったわけです。疑問のXとなって、柏屋へおもむいた
ものはないかと。……」
橘署長はまた大きく眼を見はった。
「金田一さん、それじゃあんたは、疑問のXも、やっぱりこの家のものだとおっしゃるん
ですか」
「いや、そう考えたいところなんですが、そうじゃなかったということを、いま申し上げ
たんですよ。しかし、ねえ、署長さん、疑問のXはなんだって、ああもがんこに顔をかく
していたんです。Xが柏屋へ現われたころにはまだ事件は起こっていなかったんですよ。
それにもかかわらずXは、なぜあんなに厳重に、顔を隠していたんでしょう。いったい、
人間が顔を見られたくないというのには、ふたつの場合が考えられる。ひとつは顔に醜い
傷かなんかがある場合、……つまり、佐清君のような場合ですね。それから、もうひとつ
は、なにかうしろ暗いところがあって、しかも自分の顔が知られているという自覚のある
場合……」
「なるほど、犬神家の一族なら、みんなこのへんでは顔が売れてるから。……」
橘署長は静かに爪をかみはじめた。この署長は、ひどく考えこむときには、爪をかむく
せがあるらしい。
「金田一さん、すると、あなたの考えによるとこうなんですね。この家のなかで、だれか
とだれかとが共謀しており、その共犯者のひとりが、昨夜、疑問のXとなって下那須の柏
屋へ現われた。そして、十一時半ごろ、ここへやって来て、佐武君の首無し死体をボート
につんで運び出し、死体を湖水へ沈め、ボートは観音岬へつけ、自分は柏屋へかえって寝
た。つまりそれは、犯人は外からやってきたということを示すためであった。そして、血
に染まった証拠の手ぬぐいを柏屋へ残しておいて、今朝早くそこを立ち、ひそかにこの家
へ舞いもどり、何食わぬ顔ですましている。……と、こういうふうに考えたいんですね」
「そうです、そうです。しかし、昨夜の家族会議というやつがあるから。……みんな?リ
バ?があるわけです」
署長の顔が急にけわしくなった。
「そうでしょうか。みんな果たして、?リバ?を持っているのでしょうか」
金田一耕助は驚いたように署長の顔を見直した。
「署長さん、それじゃだれか、?リバ?のないやつがありますか」
「あります。いや、よく調査してみなきゃわかりませんが、おそらく、?リバ?を立証す
ることは、むずかしいだろうと思われるような人物があります」
「だれです、署長さん、それはだれです」
「猿蔵!」
金田一耕助は、だしぬけに脳天から、鉛の|楔《くさび》でもぶちこまれたような大き
なショックを感じた。一瞬かれは手足がふるえる。全身が氷のように冷えていくのをおぼ
えた。しばらくかれは、相手をにらみ殺そうとでもするかのように、署長の顔を見つめて
いたが、やがて低い、ほとんど聞きとれぬくらいの声でささやいた。
「署長さん、しかし、珠世さんの話によると、佐武君が珠世さんに無礼を働こうとしたと
き、猿蔵がとび出してきて……」
言下に署長がキッパリいった。
「珠世の話はあてにはならん」
そういってから、しかし、さすがに言いすぎたのを悔やむかのように、署長はギゴチな
く|空《から》|咳《せき》をしながら、
「むろん、これは仮説ですよ。理論的に|煎《せん》じつめていけば、こんな仮説も成り
立ちうるということをいってるんですよ。で、珠世さんと猿蔵とが共謀しているとすれば、
珠世さんの話があてにならんことはいうまでもないでしょう。いや、ひょっとすると、あ
のひとの話はほんとうかもしれない。しかし、十時ごろに下那須へ出れば、十一時十分ご
ろには、ここへ帰ってこれますからね。とにかく、あの男は家族会議には出なかったにち
がいない。しかし、この家全体が、昨夜は家族会議に気をとられていたのだから、だれも
あの男のことなんか、気にとめていなかったにちがいない。むろん、念のために部下によ
く調査させますが、あの男が昨夜どこにいたか、ハッキリ証明できるものは、おそらくい
ないだろうと思いますよ。珠世さんをのぞいてはね」